2024.02.21 上雲楽さんへ

手紙上雲楽さんへ,手紙

𓄿𓅀𓅁𓅂𓅃𓅄𓅅𓅆𓅇𓅈𓅉𓅊𓅋𓅌𓅍𓅎𓅏𓅐𓅑𓅒𓅓𓅔𓅕𓅖𓅗𓅘𓅙𓅚𓅛𓅜𓅝𓅞𓅟𓅠𓅡𓅢𓅣𓅤𓅥𓅦𓅧𓅨𓅩𓅪𓅫𓅬𓅭𓅮𓅯𓅰

お手紙をいただきました

𓄿𓅀𓅁𓅂𓅃𓅄𓅅𓅆𓅇𓅈𓅉𓅊𓅋𓅌𓅍𓅎𓅏𓅐𓅑𓅒𓅓𓅔𓅕𓅖𓅗𓅘𓅙𓅚𓅛𓅜𓅝𓅞𓅟𓅠𓅡𓅢𓅣𓅤𓅥𓅦𓅧𓅨𓅩𓅪𓅫𓅬𓅭𓅮𓅯𓅰

上雲楽さんへ

「例えば他の人にも、サドのテクストについて話したのですが、幼稚なくせに頭でっかちで、自分勝手で被害者がかわいそうだから嫌い、と率直に言われました。やはり、自分はそのように返答してくれるコミュニケーションを求めている。共感や連帯も必要だと思いますが、実直な「批評」を欲している。」について。順番が前後しますが、これについて思ったことを先に書きますね。私には例に出してくださった発言が「批評」であるようには全く思えないのですが、そこは些少な話なので置いておきます。これを読んで感じたのは、私は少し遠慮しすぎたのかもしれない、ということでした。今日はもう、率直に思ったこと全部言うことにしますね。
ちなみに、サドのテクストについては、第一印象「キモ」でした。キモいと思ったことをキモいと言わずにおいたのは私の落ち度です。

胎界主を読んでくださりありがとうございました。ツイートを見ている限りだと苦しそうだったので申し訳無さが強いです。しかし誠実ですね。何が面白いのかわからない、と素直に言えることは素晴らしいことです。そうか「原液」か、という気付きがありました。言い得て妙ですね。私も、キャラや用語の解像度を高めて読むことにあまり意味は感じません。それはそれで面白いですが。Twitterで胎界主を面白がっている人たちはそういう人たちなので、たまに見て「ほへー」などと言いはします。よくそんな枝葉末節の部分にこだわり続けられるな、と思いますね。私が惹かれているのはまさにその「原液」であるがゆえなのだろうと気づきがありました。どうしようもない言い方をすると、作者と波長が合うんでしょうね。尾籠憲一の見ているものが私にはわかるので。もちろんそれは過大な言い方ですし、私にわかるのはほんの一部だとは思いますが、見てしまったなら応えるしかないですからね。欲を言えば、私は尾籠憲一に私が書いた小説を読んでほしいですし、その結果「わかるよ」と言われても「全然違うよ」と言われても、どちらにせよ嬉しいと思います。

つとむ会の概説を読みましたが、全く理解できませんでした。
「「つとむ会」はこのキモさを忘れないために、「狂気」に呑まれて独善的にならないために、オタクが大手を振って歩くこの時代に、あえて「つとむ」を名乗ります。」
ここ論理通ってます?
「しかし、だからといって、癒しや心地良さにばかり浸っていれば、いずれ京アニを燃やすのです。」
ここも意味わかりません。燃やさねーんだよ。やっぱ私はおたくが「キモイ」ことを言い訳に自分のことを特別視するのを見るの嫌いですね。
「私たちは永山則夫や宮崎勤、加藤智大やへずまりゅう、渡邊博史や青葉真司とほとんど変わりません。」
そう素朴に信じられるのは可哀想です。こんな文章見せられたら、おたくってほんと存在しない罪を背負うのが好きですよね、と悪口の一つや二つ言いたくもなりますよ。
まあでも、自分を「おたく」だと信じちゃったなら、もう仕方がないので「おたく」としての在り方を探すしかないですね。苦しく無益な道だと思いますが、私は何か言える立場ではありません。

つとむ会の経緯については、ちょっと面白いなと思いました。様式美ですね。

「当たり前ですが、「おたく」であるとか、小説を書いているとか、それだけで気が合うわけじゃないですね。」
ちょうど私も同じことを考えていました。これは提案なのですが、文通やめませんか? これ以上続けてもなという感じありますし、なんか区切りが良い気もします。少なくとも、私は次の返信はしないことにします。上雲さんの方からの返事の有無はお任せします。

「共感や連帯も必要だと思いますが、実直な「批評」を欲している」。これについて、私が理解できていないだけかもしれないのですが、私は共感や連帯の側の人間だと思われていますか? あまりそういう自覚はなかったので新鮮でした。私の失敗はそこかもしれませんね。基本的にコミュニケーションって「一度受け止めたあと自分の考えを言う」でうまく回るという学習があったので、そのコミュニケーション方法を上雲さんにも適用してしまいました。普段エミュレータを回しているとこういう外れ値のときに応用が効かないですね……反省します。

私は「手紙が面白くない」とは一言も言っていないですが、実際面白かったかと言われると微妙なので、まあそれも良いでしょう。これまで多々トラブルがあったとのことで、それはお辛いでしょうね。自分を変えるか環境を変えるかしかないと思いますが、なんとか健やかに過ごせることを祈っています。
ちなみに、私が「うーん」となったのは、やりとりをしていくなかで、私の言葉が言い換えられているだけで「さっきからそれを私は言おうとしてたんですが…」と感じることが幾度かあったことかなと思いました。伝わってないんだ、という徒労感というか。しかしそんなことを言ってもどうしようもないですよね。尋問されているとは感じませんでしたが、息つく間もなくしきりに答えを求められているような感覚はありました。いや、それが上雲さんの言う「尋問的な部分」ということなんでしょうか。
とはいえ、上雲楽さんの身近に実直な言葉を返答してくれる誰かがいるという事実は、私も素直にとても嬉しいです。私と上雲さんは多分ほんとに気が合わない者同士なので、これ以上の進展とかはなさそうな感じがしていますが、あえて疎遠になりたいとも思いません。手紙をやりとりするなかで色々発見もありましたし、自分とは感覚の違う第三者の考えを聞けたことは豊かさでした。このような機会を、どうもありがとうございました。どうか、どうかお元気で。

藤井より