これから胎界主の話をしよう

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 ……どこから話せばよいのだろう。まずは、私が胎界主と出会ったときの話から。私が胎界主を読み始めたのは、どうやら2020年3月27日のことらしい。なぜ分かるかというと、LINEで「胎界主」と検索すると、友人に「一昨日読み始めた胎界主というweb漫画が面白い」とメッセージを送信した痕跡があるからだ。私が誰かに直接自分の嗜んでいる作品を教えることは少ない。それだけ胎界主という作品が強烈だったことが分かる。3年と8ヶ月。まだ、たったのそれだけしか経っていないことが驚きだ。この作品は私の人生を大きく変えてしまった。外からは見えない形で、しかし内部では劇的な影響を受けながら。
 『胎界主』は、尾籠憲一によるweb漫画作品である。悪魔や死神といった神獣が跋扈する世界で、創造行為を行うことができる「胎界主」たちや、彼らに導かれ、ときに翻弄される胎界物たちの生を描く怪奇、ファンタジー長編だ。尾籠憲一の個人サイトにて、2005年から三日に三ページのペースで更新され(現在は一週間に一度、五、六ページほど更新される形式に切り替わっている)、第一部〈アカーシャ球体〉、第二部〈ロックヘイム〉につぎ、現在もシリーズ完結作である第三部〈翻訳儀典〉が全編フルカラーにて無料連載中である。驚くべきことに、2005年から2020年まで一度も休載されることはなかった。商業作品ではないにもかかわらず、一度もだ。2020年にモデムの故障により更新が途絶えた際は、あまりの異常事態にファンが自宅まで連絡して作者の安否を確認する騒動になったほどである1
 連載の始まった2005年というのはどのような年だっただろうか。私は小学校低学年だった。あまり当時の記憶はないが、地震の多かった年らしい。首相は小泉純一郎で、愛・地球博が開催された。閏秒が挿入された年でもある。それから、wikipediaを見ると「洋菓子やデザートなどを『スイーツ』と言い換える表現が、この頃から女性向け雑誌などで見受けられるようになる」と興味深い記載がある。ドラえもんの声優が一新されたのも2005年だそうだ。web漫画の趨勢には詳しくないのだが、私の知っている作品だけを挙げるならば『堀さんと宮村くん』が「読解アヘン」で連載され始めたのは2007年、『金魚王国の崩壊』が「模造クリスタル」にて連載開始したのは2008年(活動自体は2003年頃からとのこと)、『ワンパンマン』が始まったのは2009年だそうだ。当時は知るよしもなかったが、個人サイトでのweb漫画連載が流行した時期、その初期から中期あたりに『胎界主』もまた、大海に漕ぎ出したということになるだろうか。
 その15年後に、私は胎界主と出会う。15年間連載が続いていたからこその奇跡、リアルタイムで感想をつぶやく人々が絶えることがなかったがゆえの奇跡とも言える。最初は、Twitterのタイムラインでちょくちょく、とんでもない作品があるという断片が流れてくるのみだった。ちょっとした興味で一度サイトを開いたが、すぐに挫折したことを覚えている。胎界主の第一話が難解であることはファンの間でもよく知られた話で、私もまんまと初見殺しに嵌ってしまったわけだ。何を以て、腹を据えてこれを読むのだと決意したのかは忘れてしまった。しかし、2020年3月27日に第一部から胎界主を読み進めた私は、それから徹夜で読みふけり、第二部の最終話まで一気に走り抜けた。当時大学4年生。鬱病を患い、3年次に半期休学を挟み、同期を卒業式で見送ったのち、大学5年目の春を迎えるところだった。単位は卒業要件の半分以上残っていて、就活の早期選考には乗れず、ゼミの卒論もあり、先行きはすべて不透明だった。そこに、胎界主という作品——安寧を捨て出口を求め荒野へ踏み出す作品——をぶつけられたのである。心臓の最も深い部分に刺さらないほうがどうかしているだろう。
 初めて読んだとき、私はどうすればよいか分からなかった。とてつもない衝動だけがあって、この作品をもっと世に知らしめたいとも思ったし、この作品をもっと理解したいとも思った。一番新鮮だったのは、二次創作への欲求だった。これまでどんな作品を見ても二次創作がしたいなどと思ったことはなかった。この強大な世界にとてつもなく惹かれていた。しかし同時に、生半可な気持ちではその領域に踏み込めないことも理解していた。作者への興味も強かった。作者については、「長いこと風呂に入らないと体臭がおでんになってご機嫌」2、「スーパーに水を汲みに行っていたら、洗わずにずっと使ってた専用ペットボトルに数ミリほどの貝?が発生した」3といった発言、「家賃年額264,000円の物件に住んでいる」4などといった情報しかなく、とにかくこの作品の完結に人生を賭け、浮世離れした生活を送っている(おそらく働かれていないのではないかと思う)というイメージがそうしたエピソードを知るたびに強化されていった。これは、プロの小説家を目指している私には強烈な劇薬でもあった。端的に言えば、尾籠憲一になりたい、そう思ってしまった。
 2021年、私は大学を卒業する。未だになぜ卒業できたのか分からない。新卒で就職した会社は、適応障害になって一年で辞めた。適応障害というより、大学時代からの鬱病が寛解していなかったことも原因であるように思える。それから無職になり、小説を書ける程度には回復した。その間に、胎界主は第三部の連載を再開し、現在も毎週更新が続いている。2023年4月には、胎界主webオンリーが開催された。イベント開催の発表前、私はちょうど胎界主の二次創作の構想を練り始めていた頃で、まるで誂えたかのように初の同人イベントが企画されたのだった。イベントでは、二次創作小説を文庫本にして頒布した。ありがたいことに初版30冊は売り切れて、増刷した分も完売した。
 自分の話ばかりして申し訳ない。しかし、このエッセイは徹頭徹尾自分の話である。胎界主そのものの話ではない。胎界主と私、胎界主と出会った私についての文章である。分かりやすく人生が変わったわけではない。むしろ変わりつつある途上であると言えるだろう。何気ない瞬間に作中の一コマが思い浮かぶ、何か別の作品を鑑賞しても胎界主によって構築された枠組みを使って思考してしまう、人生に胎界主が食い込んでいる、いつか胎界主のような、胎界主を超える作品を書きたい……どうしようもなく、胎界主という作品に魅せられてしまった小説家志望の戯言である。

 この文章はどこへ向かっているのか——正直に白状すると、あまり読み手というものを想定していない。私が、私自身のけじめのために書く文章である。胎界主という作品があまりに自分の深いところへ刺さってしまったがために、胎界主を理解することを通じて、自分を理解したいと感じている。小説家としての私はいまスランプに陥っている。どう書いても自分の内面が反映されないような気がしている。何を書きたいのか分からなくなっている。この壁を超えるために、私はこれまで向き合ってこなかった問題を直視しようと考えているわけだ。
 胎界主という作品の、どこに、そこまで惹かれているのか。私はそれさえ分からない。どうしてこの作品のことを「本物」だと感じたのか、どのようにしたら胎界主のような作品を生み出せるのかが知りたい。胎界主が尾籠憲一から生み出されたように、ある作者からある作品が生み出される必然性のようなもの、私にしかつくれない作品を作ることのヒントを、胎界主を批評することによって得ることができないだろうか。つまり、胎界主を創作論として読む試みである。「つくる」ことは胎界主の大きなテーマだ。きっとこれを果たした先に何かがあると信じて進みたい。
 ここでようやく、「胎界主」について説明することになる。『胎界主』において、「胎界主」というタームは明確に定義されているわけではない。この世界では、唯一人間にのみ「たましい」が存在し、その中でもさらに「胎界主」と呼ばれる人間は、「世界を変成させることができる力の持ち主」であり「創造行為」を行うことができるとされている。『胎界主』の世界はどん詰まりの世界、出口のない世界として何度も強調されて描かれる。その中で、出口を見つけ外へと歩き出せる存在、創造行為を行い、創造主をも超える可能性を創り出せる存在が、「胎界主」である。今後、第三部でどのような展開が繰り広げられるかは分からないが、「胎界主」については暫定的にそう結論づけることができるだろう。さてここでお気づきのように、「胎界主」というのは『胎界主』世界にのみ適用できる概念ではない。私たちの生きるこの現実においても、「胎界主」という生き方は実践可能なはずである。つまりあらゆる「創造行為を行う人間」として。『胎界主』は、創作を志す人々に、特に深い影響を及ぼす作品である。たとえば、胎界主@wikiを設立したのは『ダンジョン飯』の九井諒子だし、『女甲冑騎士さんとぼく』の原作者である青井タイル、くらげバンチで作品を発表しているパレゴリックも熱心な胎界主読者である(私としても、この流れにあやかりたいところである)。決して『胎界主』を読んでいたから作家として商業デビューしたというわけではないし、商業デビューだけが創作の道ではないが、それでも一読者として、『胎界主』には「創作者が読むとますます創作にのめり込まざるを得なくなる(結果として商業デビューする人もでてくる)」という特性があるように思えてならないのである。
 また、『胎界主』についての批評が読みたいという願望もある。私が探した中で、純粋な布教記事や感想記事を除くと、批評らしいことをしているのは、デイビット・ライスの「THE★映画日記」くらいではないかと思う。『胎界主』の批評がこれまでなされてこなかったのは、複雑な世界設定や考察の余地、複数存在するテーマなどが入り乱れており、語り切るのが困難であることがまず理由として挙げられるだろう。また、ほとんどの考察がTwitter上で行われていることも大きい。トゥゲッター等でアーカイブされてはいるものの、まとまった文章としてはあまり記事が残っていないように思われる。私も批評などやったことがないので上手くいくか分からない。しかし、ないのなら自分で作るしかないのである。どのような切り口で語るのかはまだ迷っている。一話ずつ精読していくのか、登場人物ごとに各論を設けるのか、それともいきなり総論から入るべきか……これから私は、時間をかけて胎界主を語ろうと思う。
 手始めに、第一部の第一話を考察した記事を書いた。最終的に、胎界主と創作論を結びつけて論じることを目標としたいが、各話を振り返り精読するため、まずは一話ずつ記事を更新していこうと思う。漠然と、来年末までにはこのプロジェクトを終わらせたいと考えている。方位は正しいが、距離までは知れない。

第一話の考察はこちら
  1. 「15年連載し続けたweb漫画の更新が突然途絶え、ファンが作者の住居連絡先を探し当てるまで発展【胎界主】」 https://togetter.com/li/1539960 (2023.12.13最終閲覧) ↩︎
  2. 「胎界主第三部構成」https://taikaisyu.fanbox.cc/posts/405346 (2023.12.13最終閲覧) ↩︎
  3. 「お水」https://taikaisyu.fanbox.cc/posts/2993481?utm_campaign=post_page&utm_medium=share&utm_source=twitter (2023.12.13最終閲覧、なお有料会員限定記事である) ↩︎
  4. 「今後の予定」http://www.taikaisyu.com/00roc/roc-095/16.html (2023.12.13最終閲覧) ↩︎