2024.02.13 上雲楽さんへ

2024-02-13手紙上雲楽さんへ,手紙

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お手紙をいただきました

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上雲楽さんへ

 こちらこそ、鳩アンソロジーではありがとうございました。故郷喪失アンソロジーの考えは全く心構えのないまま突然降ってきたもので、降ってきたものは形にする以外に仕方がなく、バイタリティがあるというよりかは後先の事を考えていないだけだなと思ってしまいます。

「ディアスポラや災害避難、難民などに目を向けると、自分の喪失感がままごとに感じられます」。これについて、私自身もそうで、そこにまず葛藤がありました。何が故郷喪失で何が故郷喪失でないのか厳密にジャッジしていくということがしたいわけではありませんが、しかしいま世界で起こっている惨事を見ると自分の人生における喪失なんてちっぽけなものだと感じてしまうのをとめられません。しかし本人にとって「故郷喪失」の感はたしかに存在するんですよね。ここでも「在る」の話になりますが。私の基本的な思考的枠組みは「本人が在ると言ったら在るんだ」ということになっていまして、それで応募資格に「故郷を喪失したと自認している」ことを掲げたのですが、現状それが良かったのかどうか判断できないでいます。さて、ここまででまだ何ごとも解決していないのですが、少なくとも私は「この世界には自分より辛い境遇にある人がたくさんいる、しかし私は私から始めるしかない」という考えをもって、この企画を立てたのだと言えると思います。

手紙をいただいて、まだそれに対する返答を思いつかないまま、とりあえず書き進めています。書くなかで現在地が見つかればよいのですが。

私個人の話をしましょう。私も、一年だけ留年しました。実家は九州ですが大阪に一人暮らしをしていて、一年生の後半にはもう鬱病になってたと思います。私の故郷への感情は幼い頃から一貫していて「連れ戻されるという恐れ」でした(これは、故郷を出る前から存在していました)。上雲さんと同様、学費もアパートの家賃も負担してもらっていましたから、完全に自由というわけにはいきませんでした。申し訳なかったですね。しかし私にとって地元や実家というのはとても生きていける場所ではなかったので、「実家に帰る」ということが最大の恐怖でした。学生生活が上手く行っておらず、単位が全く取れていないことが両親に伝わることを恐れました。実家や地元を離れる手立てとして、卒業して(あるいは退学して)就職することしか考えられませんでした。しかし鬱病でうまく動けないものですから、とにかく(足掻けないのに)足掻くほかなかった。私の場合、なぜ実家に帰りたくないのかというのは明白で、精神的虐待を受けていたからなのですが、学生の間は「しかしその実家に生かされている」ということで余計どうすることもできないというか……。大学生の当時も、言葉にならなかっただけでおそらく「故郷喪失」の感を覚えていたのだと思います。

だから、私が「故郷喪失アンソロジー」を立ち上げることができたのは、ひとまずは身の回りの安全を確保できる地を得られたからなんだと思います。大学を卒業して、新卒で入った会社は適応障害になって一年で辞め、それでもまだなんとかこの地にしがみつけています。失業手当でなんとかやっている状況ですし、アルバイトなので不安定な雇用ですが、それでも「ひとまずは落ち着けた」のです。一息つくことができて初めて、故郷喪失ということについて向き合う必要が生じてきたというか、それまでは端的に余裕がなかったのですね。本当は、いま語る余裕がない人の声を掬えたら良いのかもしれません。しかし、人が何かを語り始めるということにはとても長い時間がかかります。だから、故郷喪失アンソロジーも、ひとまずは腰を下ろせる場所を見つけられた人たちが、その故郷について振り返って語る、という作品が多く届くのではないかな、と予想しています。

喪失とは「在るもの」からのパースペクティブでしかない、ということについて。難しいですね。たしかに、無いものは失いようがありません。最近は図書館で「故郷喪失」と検索して出てきた本を片っ端から読んでいるのですが、ある本に、小林秀雄は「喪失する故郷がないことで故郷の欠如に気がついた」というようなことを言っているというふうなことが書かれていました。しかし小林秀雄はそれに対して劣等感や後ろめたさを感じているというよりは、「こういう代償を払って、今日やっと西洋文学の伝統的性格を歪曲する事なく理解しはじめたのだ」とか開き直るわけですが。分断と喪失は異なるという言及について、まだ私はよく理解できていないのが正直なところです。また、虚無と喪失についても。異なる場合、どうなるのでしょう。これは喧嘩を売りたいわけではなく、故郷を喪失すること、故郷から分断する/されること、故郷が存在しないこと、を区別したときに、その次に私はどうするのがよいのかわからないのです(そういう不器用さが私にはあるようです)。私がどうするか、とは別として、それらの違いについて議論してみるのは楽しそうではあるのですが。回路は寡聞にして観たことがなく、またホラーが得意ではないので観られるかわからないのですが、映画はまず「在る」世界を描いてしまうものであるという指摘は面白いなと思いました。

小説というメディアで喪失を書くことは難しい、そうかもしれません。これは個人的な実感なのですが、やはりこのテーマだとエッセイのほうが書きやすいですね(もともとそうだろというのはその通り)。自身でも故郷喪失をテーマに、とりあえず小説とエッセイと論考を書いてみようと思っているのですが、エッセイはすぐ書けて、小説はまだ踏み出せずにいます。「いったい岐阜とは何だ! そんなもの、この日本にほんとにあるのか?」これはすごいですね。私が小説読んでなさすぎなだけなんですが、いざ「故郷喪失」をテーマに書こうと思ったときに、今までそういうテーマの小説を読んだことがあったかどうか、パッと思いつけなかったんですよね。だから「この小説には故郷喪失が描かれていた」という情報はとても嬉しいです。本当なら、故郷喪失ブックガイドをアンソロジーにつけたいのですが、読書量も乏しい個人の力ではどうにもならず……。とりあえずアンソロジーをつくるにあたって読んだ本だけでも一言添えて挙げておこうとは思っています。今のところ、大江健三郎を読まなくてはならないのだろうなという予感はしていますが、まだ着手できておりません。故郷喪失アンソロジーには厳密には締切がないのですが、作品公募を3月中旬で締める手前、なるべく早めに形にできたほうが良いよなと思いつつ、しかし私の方で関連書籍や論文には極力あたったうえで本を出したいという気持ちもあり、兼ね合いが難しいです。

小説で喪失を書くことが難しいということについてもう一つ、ひとえに文字数の関係もあるかもしれません。小説には最初から何かがあるわけではないので書き手側が世界をつくって提示する必要がありますが(雑な物言いですみません)、喪失するためにはまず存在しなければならないので、まず何かをつくりあげてからそれを喪失することを描くというプロセスを経なければならないのかもしれません。これをやるにはなかなか短い分量だときついかもしれませんね。少なくとも1万字ってかなりタイトです。気を抜くと、ただ何かが喪失されてしまった雰囲気があるだけの作品になってしまいそうで、実は恐ろしい課題だったのかもしれません。今更ながら、非常に難しいことを参加者には要求してしまったな……と思います。鳩のときとの高低差がすごいですね。

つまるところ私は故郷喪失ということが一体どういうことなのか全くわかっていないということがおわかりいただけたかと思います。わからないからつくっており、自分の力だけではどうにもならないと思ったから作品の募集をかけたのだと思います。その過程で何か見えてくるといいなと思います。ガンダムを全く通ってきておらず、機動戦士Vガンダムも未視聴なのですが、カテジナ・ルースの話は興味深いです。故郷喪失というのは、そもそも往還する人々がいて初めて浮き上がってくるものなのでしょう。私は、故郷喪失者が帰らざるを得ない故郷というのは、結局「故郷’」であって「故郷」ではないと思っています(多分上雲さんと言葉が異なるだけで同じことを言っているという感触があります)。それで、故郷には帰れないし、故郷’には居場所がありません。故郷は喪失されるというより、「喪失され続ける」と言ったほうが適切かもしれません。そこに終わりはありません。故郷は喪失され続けるので決定的に、絶対的に喪失されることはない、といいますか。

私にとって、故郷は「そこから逃げ続けなくてはならない」ものであり、それゆえ逆説的に故郷にとらわれているといった言い方はできると思います。他の方にとってもそうなのかはわからないのですが。それを知るための今回の本づくりでもあるのでしょうね。この本をつくることで何かが昇華されるとは思えないのですが、形にせざるを得ず、それがどういう結果につながるのか見届ける必要があるなと感じています。

手紙って締めるのが思いの外難しいですね。なかなかお返事の難しい手紙になってしまったかもしれないという懸念があります。またこれは、キーボード入力である&インターネット上でのやりとりであることならではの問題なのですが、お手紙を読むとすぐ返事を書きたくなってしまうし、実際書けてしまうし、郵便物と違って即返事が相手へ届いてしまいますね。物理的・時間的な距離が、どのていど文通という体験における何かを占めているのか図りかねますが、あんまり長文のSNSと大差なくなるようでしたら、少し間隔を置くなりして調整してみようと思います。今回は書けてしまったのでそのまま送ります。お返事はいつでもけっこうです。穏やかな日々を願っています。

藤井より

𓄿𓅀𓅁𓅂𓅃𓅄𓅅𓅆𓅇𓅈𓅉𓅊𓅋𓅌𓅍𓅎𓅏𓅐𓅑𓅒𓅓𓅔𓅕𓅖𓅗𓅘𓅙𓅚𓅛𓅜𓅝𓅞𓅟𓅠𓅡𓅢𓅣𓅤𓅥𓅦𓅧𓅨𓅩𓅪𓅫𓅬𓅭𓅮𓅯𓅰

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