ウロツツキ

Works,公募公募,坊っちゃん文学賞,小説

 祖母はよく物を失くす人だった。ちょっとしたもの、飴だとか消しゴムだとか、そういったものならいいのだけど、実印を失くしたこともあってそのときは大騒ぎだった。ちょうど遊びに来ていた母と私が捜索に乗り出し、しかし祖母ひとりだけのほほんとして「そりゃもう見つからんばい」と言うものだから、「あんたが一番必死に探さんね!」と母から叱られる始末。思えばおかしな人だった。いつもどんぐりを入れた袋を持ち歩いていて、ふとしたときにそれを部屋にばらまくのだった。「ばあちゃん何しようと?」と聞いても、「ちょっとね」とはぐらかされる。それでいて、祖母が一人で住むには幾ばくか大きかろうその屋敷には、いつもちりひとつ落ちていなくて、もちろん転がっているどんぐりなんか見たこともなかった。祖母が撒くどんぐりが、いつ片付けられているのか不思議だった。
 私も祖母の失くし癖の被害者になったことがある。祖母の何歳だかのお誕生日のときに、お小遣いを貯めてやっと購入したリップスティックを、祖母は贈られたその日に失くした。あのときは確か私も動揺してしまい、酷く泣きわめいたのだったと思う。「おばあちゃんなんか、大嫌い」とも言ってしまったような気がする。ほんのりとしたピンクで、オパール色の光沢がある可愛らしいリップだった。今も、まだちょっとだけ許せていない。
 祖母の屋敷に来たのは久々だった。数年前に祖母が緩和ケア病棟へ移動してから空き家になっている。夏休みだったので、私は祖母の家に泊まらせてもらうことにし、祖母のお見舞いをすることになっていた。いよいよ宣告された余命が近づいてきて、この夏がもう最後かもしれないと覚悟していた。
 しばらくぶりにやってきた家は空気がひんやりと冷たくて、どこからともなくかすかに風がそよいでいる。思っていたほど埃は溜まっておらず、散らかってもおらず、むしろ人が住んでいないのが不自然なほどだった。その日は早くに眠ることにして、翌朝。
 コンコココココココココココココココココ……。
 かすかな音で目を覚ました。木を高速で叩くような音。やがて音は止み、ピンと静寂が訪れた。一体何だったのか。どこかで工事でもしているのだろうか。いやそんな、こんな朝っぱらから。時計を見ると早朝四時ごろで、早めに眠ったのもあってもう一度寝付ける気がしない。とりあえず起きて、洗面所で歯を磨くことにする。歯ブラシがない。最後に使ったのは昨晩だ。あんなもの、失くしようがない。
 コンコココココココココココココココココ……。
 再び音がした。今度は先程とは別の場所から聞こえる。音の方へ進もうとすると鳴り止んでしまう。ついぞ音の正体を見極めることはできなかった。
 その後も不可解なことが次々と起こった。まず私のペンがどこかへ行った。それからコンタクトレンズのケース。耳栓の片っぽ。どれも目を離した隙になくなっている。ここまで来ると流石の私でも理解できた。祖母がよく物を失くすのではなく、この家がおかしいのだ。
 祖母を訪ねた。祖母はもうあまり話すことができず、ただ私は手を握っていた。反応は返ってこないかもしれないと思ったが、聞いてみた。
「ねえばあちゃん、やっぱりなんか、ばあちゃんちってよう物がなくならん? あれなんやったんやろか」
 祖母は薄く目を閉じて、こちらの声が聞こえているのか聞こえていないのか分からなかった。しかし、しばらくして、祖母はゆっくりと手を挙げようとした。看護師が「ああ」と頷いて、引き出しから紙片を取り出した。その紙片は看護師から私に手渡された。
「竹富さん、わたしましたからね、大丈夫ですよ」
 看護師がそう伝えると祖母は満足げにしている。そしていびきをかいて眠りこけてしまった。
「その紙片はお孫さんがいらっしゃったときに渡すように言われていたんです」と看護師は言う。私は紙片を開いてみた。知らない電話番号が書かれていた。
 電話するまでには勇気がいった。番号を検索にかけても何の情報もヒットしないのだ。しかし祖母が託した番号であるし、と意を決して電話すると、若い男の声がした。
「ああ、竹富のばあさんとこの」
と声は言って、「じゃあ行きますわ。お孫さんも立ち会ってください」と電話が切れた。
 しばらくして、作業着姿の目つきの悪い男がやってきた。男は私に挨拶すると、屋敷を見て「いやー相変わらず立派な虚憑きですねぇ」としみじみ言った。
「うろつき?」
「なんだ、おばあさんから何も聞いとらんのですね。この家はこのあたりじゃ有名でね。ほら、よう物が無くなるでしょう」
「はい、それはもう毎日のように」
「それが、ウロツツキのせいなんですわ。この家が気に入って住み着いてもう何十年になるかな、おばあさんが入院なさってからはどんぐり供える人もおらんで可哀想に」
 ウロツツキ? どんぐり? 私は混乱した。男は「邪魔しますよ」と言って屋敷に上がり、それから細部を点検し始めた。このままだと何も説明してくれなさそうだったので、私は自分から聞かなければならなかった。
「ウロツツキ、っていうのはなんなんですか」
「キツツキの仲間ですわ」
「……キツツキ?」
 予想外の返答に私の声は裏返った。
「そう、キツツキは木をつつくでしょう、でもウロツツキがつつくのはなんにもない場所、虚空、それでウロツツキですわ。ウロツツキが憑いた家は幸福になるという言い伝えもあるから、邪険に扱われることはないけど、まあ実害はありますわな」
「それが、物がなくなること?」
「ウロツツキには、細長いものを好んで蓄える習性がありますけん。どんぐりが一番の好物やけど、それがなかったら他のもん取っていきますわ」
 祖母が頻繁にどんぐりをばらまいていた理由がわかった。あれは、ウロツツキに捧げていたのだ。それで、どんぐりがなければウロツツキは代わりに細長いものを取って行ってしまう。
「痛っ!」
 考えごとをしながら歩いていたからか、箪笥の角に小指をぶつけてしまう。
 バラバラバラバラ!
 突如、私の周囲にどんぐりが弾けた。
「きた! ナイスです、お孫さん!」
 男が親指を立てた。私は何がなんだか全くわからない。箪笥の角から突然床一面に広がるほどのどんぐりが現れたのだ。混乱しないほうがおかしい。
「な、なんですかこれ!」
「ウロツツキはどんぐりをこの家の至る所に隠しとるんですよ。お孫さんはいま偶然その場所を引き当てたんです。この調子で探していきましょう」
 何を、とは聞けず、私は男に置いてけぼりにされる。男は、鴨居をカンカン叩いたり、廊下の何もないところをつついたりして、屋敷中を捜索している。時たま、パラパラとどんぐりが虚空から湧き出てくる。本当に、ウロツツキというものが存在するのだと、私は信じざるを得なかった。
 それにしても、だだっ広い屋敷の、しかも空間中すべてが捜索対象だなんて(何の?)、とてもじゃないが一日で終わる作業ではない。結局、男は連日やってきた。
「今日も暑いですねー」とか「次はあの和室ですけん」とか言いながら、日がな虚空をつつきまわっている。そうしているうちに、祖母の容態は悪化し、いよいよ覚悟を決める必要に迫られた。
「ねえ、あの男なんやったん、ウロツツキとか全然ばあちゃん教えてくれんかったやん、なんでなん」
意識のない祖母の手を握り、私は愚痴ることしかできなかった。
 
 結局、その後すぐに祖母は亡くなって、しばらくはバタバタとしていたので男はその間は屋敷を訪ねてこず、すべてが宙ぶらりんのまま、いよいよ屋敷を後にする日になった。初日に聞いたのはウロツツキの虚空をつつく音だったのかな、などと考えていたら、またあの音が聞こえてきた。
 コンコココココココココココココココココ……。
 近かった。私は物音を立てないようにそっと近づいた。音の出処まであと少しのところだった。あと、もう少し。カツン。見えない壁にぶつかったような気がした。
「あっ」
 バラバラバラバラ……。
 あたりにどんぐりが飛び散った。私の歯ブラシやペンや耳栓も一緒に床へ散らばっていった。
 その中に、ピンクでオパール色の光沢に輝く細長い物体があった。慌ててそれを拾い上げる。間違いない。昔、私が祖母にあげたリップスティックだった。
 リップスティックに紙が巻かれている。そっと解いて紙を広げる。
「みかちゃんへ
 少し前、ウロツツキが病室にやってきました。それで、ああ、もう私は長くない、これは神様がくれた時間なのね、いつかきっとこの手紙が読まれるときが来るのね、と思って、あなたあてに手紙を書きます。わたしの大事なみかちゃん。直接渡すのは気恥ずかしいから、ウロツツキに郵便を頼むことにしました。
 いつもなくしてばっかりでごめんね。おばあちゃん、いつも嬉しかったよ。これはあなたに返します。」
 手紙には祖母の癖字がびっしりと敷き詰められていた。まだ字の書けるころに、これを私に残したのだろう。
「あれ」
 男が玄関先から顔を覗かせていた。
「もう帰られるんですか」
 そして、私の手に握られたリップクリームと、濡れた顔を見て「ああ」と言う。
「言っときますけどお孫さん、そんなもんじゃないですよ」
 男の真意が分からず私が顔を上げると、男は続けてこう言った。
「ばあさん、生前こう言ってましたから。『孫あての手紙を三百は隠したけん、見つけるんばどんだけ時間かかるやろか、楽しみばい』。まだこの家にはあなたに宛てた手紙が大量に隠されとるんですよ」
 三百だって? 私は祖母が病室で手紙を書くのを想像する。毎日毎日、祖母はペンを握る。握れなくなるまで握る。書き終わって、最後に紙を細くクルクル巻いておくと、翌日その手紙は病室から忽然と消えている……。
 私は笑った。どんぐりの落ち始める季節だった。