無見(むみ)

Works,公募いなか、の、じけん賞,公募,小説

 二◯二一年五月二十六日。私は夜な夜な家を出て、街灯の少ない小町大路をそろそろと歩き始めました。夏の気配がほんのり香る涼しい夜でした。小町大路を真っ直ぐ行けば材木座海岸に辿り着きます。風の強い日は潮の香りが陸まで盛り上がってきて、そこに虫や鳥の声が合わさり、静かであるのに賑やかな鎌倉の風景を編み上げるのでした。
 海の音が聞こえます。そうして、俄に人の気配が立ち込めます。これまで暗がりに寺や松などがささやかな光を反射するだけだったところ、突然あかあかとした灯りが野菜や果物を照らしておりました。青果店でした。軒先には小ぶりな西瓜やつやのある林檎などが並べられています。神社の境内で開かれるお祭りのようでした。私は青果店の隣にある道具屋へ滑り込みました。土間のようになった薄暗い店内を覗いていると、瓶の三ツ矢サイダーを見つけました。店番のおばあさんが無言で瓶を開けてくれました。
 海へ至るには橋をくぐる必要がありました。国道134号線が海沿いに伸びていて、その下を行くと足元から海がやってきます。じゃりじゃりと足音に砂の音が混ざり始め、続いてざざーっと波の揺蕩う音が一層大きくなりました。見渡す限り真っ暗で、「私たちはここからやってきた」と思わせられるような巨大な無が広がっています。海の中にそのまま消えてしまえるような、こちらとあちらの境目が溶解してしまうような妖しさがあり、材木座海岸は特に、逗子から稲村ヶ崎までなだらかな海岸の続くその真ん中にありますので見晴らしが良すぎるほどで、しかし街の柔らかな灯りが線状に連なった光景をもひといきに望むことのできる素晴らしい浜辺なのでした。遠くの方に、ぽーんぽーんと点滅する青い光があります。ふらりと吸い寄せられそうな、冷えた光でした。
 私はよくこうして夜の海に遊びに行きました。ふだんはほかに二、三組の、犬の散歩をする人や、ジョギングする人などを見かけるくらいですが、今日は特別な日でした。三十名ほどはいたでしょうか。人々の連なりが、あちらにも、こちらにも。スマートフォンに照らされて、人々の顔がぼんやりと夜の海に浮かんでおりました。
 今日は、一年のうち最も大きいとされる満月で、しかもそれが皆既月食で隠れてしまうという愉快な一日なのです。人々は、赤く輝く大きな月を見ようと、各々小町大路をくだってこの海にやってきたのでしょう。誰もが、空を見上げていました。皆既月食の始まりは、二十時すぎで、それから三十分ほどかけて次第に部分食へ移行していきます。どこかみな浮かれていて、愉快な囃子が聞こえてきそうな雰囲気がありました。ここにいる誰もが、月を見る、そのためだけに集まっているのです。やがて、予告されていた時刻になりました。人々は空をきょろきょろ見回しました。どこにも月が出ていないのです。
「南東って書いてるよ、ほら」
「あのへんやろか」
 人々はそれぞれの連れ合いと、口々に月のでどころについて意見をかわしあいはじめました。私も月を探しますが、とんと見当たりません。このあたりで一番見晴らしの良い場所に来たはずなのに、方角を勘違いしていたのでしょうか。私たちは、いつまでも空を見上げておりました。
 三十名もの人々が、一斉に空を見上げ、同じものを探し、同じ「無い」を見る。誰も口にはしませんが、私たちの中には連帯感のようなものが見え隠れし始めました。私たちは、三十分間、誰一人欠けることなく、空白を見つめ続けました。それから、何事もなかったかのように、解散いたしました。サイダーの瓶はすっかり空になっていました。私たちの得たこれは、一体何だったというのでしょう。