逆さ鳩

Works,公募公募,夢野久作童話賞,小説

「ちょいとちょいと」
 黒マントが怪しげに手招きしておりました。たかしくんは言いました。
「不審者にはついていかないことにしてるんだ」
「そんなこといわずお待ちよ、時間を巻き戻せる鳩だよぉ」
 黒マントは袖から真っ白な鳩を出しました。「時間を巻き戻せる鳩だって?」たかしくんはついつい聞き返してしまいました。
「この鳩がいれば失敗とはオサラバだ! じゃんけんでは負け知らず、テストだって百点満点、花瓶を落っことしたって叱られることもない」
 鳩はくぐもった声でクックルーと鳴きました。
「ただの鳩でしょ?」
「なあに、ここに卵があるじゃろう」
 黒マントはもう片方の袖から卵を取り出し落っことしました。卵はチャカッと割れました。
「逆さ鳩、といってな、逆さに持つと巻き戻る、どんどんどんどん巻き戻る、ほうれ」
 黒マントは、鳩の首根っこを二本指で挟むと、くるっとひっくり返しました。鳩はお腹を見せてじっとしています。鳩の習性で、こうして持たれるとじっと動かなくなるのです。そして、たかしくんは「えっ!」と固まりました。
 飛び出た白身がアメーバのようにうごめきます。そしてどうでしょう、飛び散った殻も戻ってきて割れ目がぷっつり塞がりました。たちまち卵は完璧に元通り、黒マントの手元へおさまったのでした。
 たかしくんは感動のあまり震えました。それは大層驚いて、「その鳩どうしたら譲ってくれるの?」目を輝かせて尋ねたのでした。
「ふふふ、気に入ってくれたかね。そうだな……三百円でどうだ!」
 たかしくんはびっくりしました。ちょうどきっかり三百円持っていたからです! こうしてたかしくんは世にも珍しい逆さ鳩を手に入れました。帰宅して、しばらく鳩を眺めていましたが、そーっと持ってみると、すっぽりと手におさまって、鳩はすっかりやすらいでいました。羽毛のやわらかさとあたたかさに、たかしくんはついうとうとしてしまったのでした。
 
 目を覚ますと、からだが宙に浮いていました。続いてどしんと衝撃。家がなくなっていました。クックルー。たかしくんの顔が青ざめました。見知らぬ町にいたからです。でも、どこか見覚えがあるのです。
「きっと寝ていたあいだに巻き戻しちゃったんだ!」
 じゃあ、パパやママは? たかしくんはガクガク震えました。いつの間にか、空は真っ黄色に染まっていて、影は紫色に伸びています。たかしくんは泣き出してしまいました。
「君もやられたのか」
 ふいに声が落ちてきて、たかしくんは顔を上げました。紳士服の若者でした。紳士服は白いハンカチでたかしくんの涙を拭いてやりました。
「ここは時空の落とし穴。時を巻き戻して、巻き戻して、そうして自分が生まれる前まで巻き戻しちまった者が迷い込むのさ」
「僕は生まれなかったの?」
「そういうことさね。最近こうやって『時のみなしご』を狙う人攫いが多発しているんだ。逆さ鳩は遠い昔に絶滅したんだが、こうやって密猟されては持ち出され困っているものでね」
 紳士服は鳩を指さして言いました。「返しにいこう」
 こうしてたかしくんは、逆さ鳩を回収する組織の仲間入りをはたしたのでした。いまもどこかで『時のみなしご』たちを救い続けていることでしょう。