鳩造りの工程

Works小説

「鳩が造れることを発見したわ」
 宮野ほまれがそう言ったのはある冬の放課後だった。小倉闇子あんこはいつものように「ふうん」と心ここにあらずな返事をした。二人は学園のベンチに座っていた。今日は図書室が書架整理のため閉室していたので、二人はこうして枯れた噴水を囲むベンチに並んで、何をするでもなくぼんやりしている。二人の前を一羽の鳩が通り過ぎていった。
 突然、誉が素早い手さばきで鳩を捕獲した。そして、こともなげに脚を引っこ抜いていく。すぽっと間抜けな音がして、鳩の脚が外れた。そして誉は鳩の嘴を開けたり閉めたりして、しばらく鳩をぐるりと眺めるとこう言った。
「学園の鳩は造られたものなの。でも粗悪品ね」
「そうだったんだ」
 そこで初めて闇子がそれらしい反応をした。誉の言うことはいつも正しかったので、闇子はそれを疑いもしなかった。
「さぞ酷い環境で造られているのでしょうね、でも私たちならもっと質の良い鳩が造れるわ」
 誉が提案して、闇子がそれに乗る。それが二人のお決まりのパターンだった。
「私たち、いまから造鳩部を名乗りましょう。部室は茶道部の隣が空いているはずよ」
「そこは前に網棚切り倒し部で占拠したときに剥奪されたね」
「じゃあ職員室の地下にしましょう」
 誉がベンチから立ち上がり、すたすたと歩き始める。闇子はそれを追い、誉が穴を掘り始めるのをしばらく眺めていた。
「手伝うよ」
「いいの、もう少しで終わるから」
 誉が地面から顔を出した。穴をくぐると扉があり、扉をくぐると四畳半ほどの部屋がある。天井に紙コップを近づけて耳をそばだてると職員会議が聞こえた。
「庵野先生の机の真下ね、悪くないわ」
 誉が学生鞄からノートを取り出して、何やら書きつけ始めた。
「豆五百グラム、にがり大さじ二杯、ソブリン金貨一枚、子どもが失くした片足の靴……」
 闇子が読み上げると「丸をつけたものはあなたの担当ね」と誉がノートから顔を上げずに言った。
 闇子が誉と出会ったのは入学式だった。壇上に上がった宮野誉は新入生挨拶で学園に巣食う八体の幽霊の話をした。五体目の特徴、出現場所、出現条件、弱点などを話しているとき、大講堂が停電した。七体目の幽霊の出現条件が「入学式で幽霊の話をすること」だったので致し方ないことだった。大講堂はパニックに包まれたが、
「巻き毛で赤毛のあなた」
と、マイクもなしによく通る声で誉が指さしたのが闇子だった。
「七体目の幽霊は、巻き毛で赤毛の新入生が早口言葉を無事に言い終われば除霊できるわ」
 誉が言った。
「新設診察室視察瀕死の死者四捨五入の祝詞トルコの刺客市か区か知覚過敏でヴォッ……」
 闇子は途中で噛んだので、新入生の半分は七体目の幽霊に食われたのだった。
 そんなこんなで二人はいつも一緒にいるようになり、放課後は新しい部活を作っては生徒会から廃部を言い渡される毎日を過ごしていた。
「できたわ」
 誉はリストを部屋に張り付けた。そこには鳩造りの工程が書かれていたが、最後の部分は誉にのみ読める言語で書かれていたので闇子には読み解くことができなかった。
「探しに行きましょう、鳩の材料を」
 材料にオーストラリア産のシーグラスがあったため、闇子はヨーロッパまで行く羽目になった。紆余曲折ありつつも、すべての材料が手に入ったので二人は地下に籠もった。
「最近やけにおとなしいじゃないか、怪しいな」
 移動教室で生徒会長の壊縷紗えるしゃ金剛ダイヤとすれ違ったとき、闇子は目を背けた。
「先輩を無視するな! お前、決闘だ!」
 壊縷紗会長はこうしてよく決闘を申し込んでくるが、闇子は常に勝利している。今回は五芒星描画対決だったが、壊縷紗会長のそれはどう見てもウニでしかなく、副会長の屋根原先輩も「これは小倉闇子の勝利ですわ」と素っ気なく言い放つほかなかった。うううと涙を流す壊縷紗会長を残し、闇子は「じゃ、用事あるんで」と生徒会室を去っていく。
 地下部屋に行くと、誉が「できたわ」と鳩を胸に抱いていた。それはどこからどう見ても鳩でしかなく、鳩としか言いようがない鳩だった。
「すごいね」
「これから少しずつ学園の鳩を本物の鳩にすり替えていきましょう」
 誉は鳩を放鳥した。
 こうして冬の間、造鳩部はひたすら鳩を増産した。全校に散らばる鳩三千五百六十七羽のうち、二千八百九羽の鳩を造鳩部製の鳩にすり替えたところで、ようやく生徒会に勘付かれた。
「お前たち、またよからぬ企みをしているそうだな」
 壊縷紗会長が穴を見つけて部屋に突撃してきたころには、二人はすべての材料とレシピを別の場所へ移管していた。しかし鳩については、闇子が鳩を放鳥している姿を新聞部に撮られたことを決定打として、生徒会は二人を鳩七割八分入れ替え事件の容疑者として追及する方針を取った。
「隠すことなんてないわ」
と誉が言うので、闇子は「私たちがやりました」と言った。壊縷紗会長の表情はますます険しくなり、ぷるぷると震えだしたかと思うと、絞り出すような声が聞こえた。
「……どこへやった」
 二人は顔を見合わせて何も言わない。
「生徒会謹製の鳩二千八百九羽をどこにやったのかと聞いているのだ!」
 これに関しては、二人も知らなかった。
「一羽造れば一羽消えます。これが自然の摂理です」
「摂理だと?」
「きっと不完全な鳩が集まる星があるのよ」
 誉が言った。
「ふざけるな!」
 壊縷紗会長により、造鳩部は廃部となった。
 同日、宮野誉は失踪した。
 
 小倉闇子は、生徒会室に向かっている。彼女の胸には一羽の鳩。かつて存在した造鳩部にて製造された最後の鳩である。生徒会室の扉を開け放つと、壊縷紗金剛が佇んでいる。壊縷紗会長も鳩を従えていた。これから決闘が行われるのだ。
「よく来たな、小倉闇子」
「何度やっても同じですよ、壊縷紗会長」
 今日の決闘は一味違う。
 生徒会室が激しく動いたかと思うとたちまち闘技場に姿を変え、鳩たちは各々巨大化し始めた。二人は鳩の尾羽根がついた帽子を被った。そして剣を手に二人は鳩に跨ると、空中戦の火蓋が切って落とされた。
「誉をどこへやった!」
「知らぬと言っているだろう!」
 闇子の斬撃が壊縷紗の乗る鳩の足元を掠めた。壊縷紗は旋回し上昇していく。闇子がそれを追い、二人の巻き起こす風がもつれ砂塵を撒き散らした。
「彼女は不完全に完璧すぎるのだ!」
 壊縷紗の剣が鳩胸を捉える。闇子の鳩は羽根を散らしながらすんでのところで避けきった。闇子が鳩を宙返りさせ下から剣を押し上げた。壊縷紗がひらりと交わす。闇子はいつものように勝てないことに苛立っていた。壊縷紗には鳩に跨っての空中戦の才覚だけは圧倒的に備わっていたのだ。
「何が言いたい!」
「君は完璧に不完全だということだ!」
 一瞬だった。
 壊縷紗の剣が闇子の帽子を貫き、尾羽根は真っ逆さまに落ちていった。闇子は体勢を崩し落下してゆく。闇子と、元の大きさへと収縮してゆく造鳩部謹製の鳩は、一面の薔薇の洪水に身体を受け止められ、そしてずぶずぶと沈んでいった。
 
 闇子は学園を去らざるを得なかった。どうやら学園の正式な決闘というのは伝統的に鳩に跨って行われるようで、普段の壊縷紗金剛との決闘なんて所詮不完全なものだったということらしい。正式な決闘で敗北した者は学園を去る。これはいかなることがあっても覆すことのできない学園の絶対的なルールであり、闇子は寮の部屋に戻ると荷物をまとめ始めた。
 闇子の部屋は誉と相部屋だったが誉の痕跡は綺麗に無くなっている。驚いたのが周囲の反応で、なんと人々は皆、宮野誉なんて人物ははじめから存在しなかったかのように振る舞うのだった。小倉闇子と壊縷紗金剛だけが宮野誉のことを覚えている。だからこそ、闇子は壊縷紗に決闘を挑んだのだったが、負けてしまった。
 コトリ。
 微かな音がして闇子は顔をあげた。窓際に一羽の鳩が止まっていた。闇子は窓を開け、鳩を部屋へ招く。造鳩部謹製鳩だった。製造番号を見る。ナンバー2810。それは存在しないはずの鳩だった。そうするようにしか思えなかったので、闇子は鳩の首を軽く捻った。
 ジッ。
 鳩の目が光り、壁に投影された映像を見て闇子はあっと声をあげる。
 誉の姿が映っていた。周囲には数多くの鳩がいる。
「彼女に勝てるわけないでしょう」
 誉は呆れるように言った。
「戦う必要もなかったのよ。壊縷紗会長は私の居場所を知らないわ」
「誉、いまどこに」
「不完全に完璧なものが辿り着く星に来てしまったみたいなの」
「退屈じゃない?」
「ええ、とても快適」
「そう、ならよかった」
「あなた、私のこときっと忘れるわ」
「忘れないよ」
「いいえ、きっと忘れるの」
 鳩の映像が途切れた。闇子は学園を出た。
 
 数年後、小倉闇子の手元に鳩の糞が落ちた。糞は封蝋となって、闇子の手がめくれた。そこには隠された文字があった。
『そろそろ飽きたわ、迎えに来てくれる?』
 闇子には心当たりが全くなかった。しかし心の奥底を弄られる感じがして、そのメッセージを見て以来、どこか現実に身が入らなくなってしまった。
 闇子が公園のベンチに座っていたとき、鳩が目の前を横切った。突然、闇子は素早い手さばきで鳩を捕獲した。そして、こともなげに脚を引っこ抜いていく。すぽっと間抜けな音がして、鳩の脚が外れた。そして闇子は鳩の嘴を開けたり閉めたりして、しばらく鳩をぐるりと眺めた。
「随分と粗悪な鳩だな」
 声の方を見ると、壊縷紗金剛がいた。それで、闇子は記憶の七割八分を取り戻すこととなった。
「壊縷紗先輩、いま何してるんですか」
「決まっているだろう、生徒会長だよ」
「何年も?」
「そう、何年も」
 完璧に完璧な人間は、稀だからだ、と闇子は思った。
「私は決闘に負けました。学園に立ち入ることができません」
「入学しなおせばいい」
 いいんだ、と闇子は思った。
 入学式で闇子は幽霊の話をして、七体目の幽霊を撃退した。
 闇子は捜索部を設立した。捜索部では、日々宮野誉の捜索が執り行われた。宮野誉の痕跡は、驚くほど残されていなかった。職員室の近くで穴を掘っていたが、部屋などどこにもない。鳩のレシピをどこへやったのか、闇子は一切思い出せなかった。きっと、誉が持って行ってしまったのだろうと闇子は考える。
 壊縷紗金剛とはたまに遊びの決闘を行うことがあった。正式な決闘を行うには、まだ二人ともに覚悟が足りなかった。負けたらまた入学すればいいとはいえ、誉の捜索に退学は邪魔でしかなかった。
 ある日、首を振りながら歩く鳩を見て、闇子は「あっ」と呟いた。
 闇子は、学園内の全ての造鳩部謹製鳩を捜索した。そして、彼らを見つけるたびに首を軽く捻っていった。首を捻られた鳩は、目から光線を出して飛ぶようになった。
 そんな日々が何日も過ぎ去っていき、とある冬の日、闇子は二千八百九羽の鳩すべての目を点灯させることに成功した。そうして冬の空に浮き上がった図形を見ると、それは不完全に完璧な惑星にほかならなかった。闇子は決闘を挑んだ。
 あの日どこかへ飛んでいったはずの鳩は、寮に戻ると当然のように窓辺に佇んでいた。闇子はその鳩を抱え、生徒会室までの長い階段を登る。壊縷紗金剛は生徒会室の奥に控え、緊張の面持ちを湛えていた。
 鳩が巨大化していき、双方剣を構える。
「私を負かせ、小倉闇子!」
「とっとと退け、壊縷紗金剛!」
 夜の闇に鳩たちが舞う。星が剣を煌めかせ、二人は空中でもつれあう。不完全に完璧な惑星は、不完全に完璧な視線を二人に投げかけていた。
 決着は一瞬でついた。小倉闇子の勝利。
「だから戦わなくていいって言ったじゃない」
 天から声が降ってきたのは、壊縷紗金剛が薔薇の海に呑まれた直後だった。
「誉」
 宮野誉は鳩に乗って惑星から降りてきた。
「メッセージを送ったのは私じゃないわ」
「そうだったのか」
「それは不完全に不完全な宮野誉の仕業ね」
「まったく気づかなかった」
 地上から鳩が一斉に飛び立った。
「帰るの?」
「不完全に完璧な惑星は、はじめから存在しない」
 誉が言った。「不完全な鳩が戻ってくるわ」
 惑星からバサバサと羽音が降りてきて、やがて地上の鳩と天上の鳩は混じり合いどこかへ消滅してしまった。
「私も帰ろうかしら」
「どこへ」
「惑星へ」
「やっぱり退屈してなかったんだ」
「毎日たのしいことだらけだわ」
 闇子はそこにはいけないことがわかっていた。
「それで、会いたいときは」
「その鳩で呼び出して」
 ナンバー2810の鳩がクックルーと鳴いた。
 気づいたときには、闇子は寮のベッドに寝そべっていた。
 
 壊縷紗会長の敗北は衝撃をもって学園に迎えられ、反対署名がめちゃくちゃ集まったので退学が取り消しになった。いいんだ、と闇子は思った。じゃあ私のときもそれでよかったんじゃないかと思ったが、自分のために署名してくれる人なんて誉くらいだったろうなと思い直した。闇子は学園でやることがなくなったので、あっさり捜索部を畳んで退学した。
 学園を出て、これからどうしようかと思った矢先、居住区の鳩がすべて造鳩部、いや、宮野誉謹製の鳩にすり替わっていることに気がついた。闇子はすべての鳩の首を捻った。鳩たちの目から光線が飛び出して、空に銀河を形作った。
「宇宙を再現しようとしてる?」
 鳩ナンバー2810の鳩を通して誉に尋ねたところ「よくわかったわね」と返答があった。日本全土の鳩をすげ替えることで、太陽系くらいは作れそうだという。
「そんなことしていいんだ」
「いいわけないわ」
「じゃあ止めようかな」
 誉はそこで初めて言葉に詰まった。
「いいわ、やってみなさいよ」
 通話が切れた。
 とはいえ闇子にはどうすれば宮野誉を止められるのか分からなかった。とりあえず、まだすげ替えられていない鳩を探すところから始めることにした。鳩たちはどれも粗悪品だったが、たまにきらりと光るものを持つものがいた。
「造るしかないのか」
 やはりそこに戻ってくると思いながら、闇子は必死にあの日造った鳩のレシピを思い出す。闇子は完璧に不完全な鳩を造る必要があった。不完全に完璧な鳩と混ぜてしまえば、撹乱されて星が描けなくなるだろうと考えたのだった。
 渡欧してシーグラスを大量に集め、自身の担当していなかった材料については手探りで調合して、少しずつ鳩の完成度を高めていった。こうしている間にも、宮野誉は日本全土の鳩をすげ替えようとしている。闇子は壊縷紗金剛に声を掛けた。壊縷紗金剛は未だ生徒会長の座に就いていたが、快く生徒会の鳩レシピを提供してくれた。それを組み合わせて闇子は全く新しい鳩を造ろうとする。完璧に不完全な鳩は、そうして完成することになった。
 闇子は壊縷紗の手を借りながらもほぼ独力で鳩を量産する。宮野誉の驚異的な鳩生産スピードに負けないよう昼夜手を動かし続けたが、やはり不利なものは不利だった。そこで、あるとき、それまでに生産していた六千三百三十二羽の鳩の首を捻って光線を照射し、闇子は完璧に不完全な惑星を描画することに成功した。闇子は完璧に不完全な惑星に移住することに決める。ここでは地球と流れている時間が異なった。しかしそれは、永遠に誉と会えないということでもあった。なにせ、完璧に不完璧なものと不完全に完璧なものは相容れないからである。
 惑星同士が恋をするにはどうすればよいのだろうか、と闇子は考えるようになった。恋、じゃなくてもいい、お互いがお互いに何かを賭け、傾けるような強い力。それで、惑星の重力がもっと必要なのではないかと考えた。永遠に出会わずともその力で闇子は誉の惑星と接続する。
「だって私たち、卒業していないじゃない」
 闇子は誉の惑星の位置を計測し始めた。
 そのためには不完全に完璧な鳩を造る必要があった。再び長い研究期間が過ぎていった。不完全に完璧な鳩は完成したが、すぐにどこかへ飛び去っていった。そこで、闇子は鳩に追跡装置を取り付ければよいのだということに気がついた。鳩はいずれ不完全に完璧な惑星へと辿り着くだろう。闇子は不完全に完璧な鳩、完璧に不完全な鳩の双方をマスターし、自在に操れるようになっていった。しばらくして、不完全に完璧な鳩が、不完全に完璧な惑星へと辿り着いたのだった。
 闇子は惑星を拡張しようとした。惑星には、完璧に不完全なものが漂着した。それが輪をつくって周囲を浮遊していたので、まずはそれらを大地に接合した。完璧に不完全な都市ができあがり、次第に天へ天へと聳えていった。
 完璧に不完全な鳩と不完全に完璧な鳩はいまや日本全土で完全に入り乱れていた。次に狙われたのはもちろんユーラシア大陸だったが、それぞれの鳩はそれぞれの鳩と交合してさらに得体のしれないものになっていき、第三勢力として名乗りを上げた。これを地球の鳩とする。地球の鳩は目的を持たなかった。それゆえ気にすることはないと思われたが、殖えるスピードは異常に速かった。たちまち完璧に不完全な鳩と不完全に完璧な鳩と地球の鳩のバランスは偏っていき、あるとき偶然にすべての地球の鳩が首を振った瞬間に目から現れた光線によって新たな惑星が照射され、人類はそこへの移住を検討することとなった。それで闇子は焦った。早く誉の惑星を捕まえなければならなかった。観測データでは、誉の惑星の公転周期が少しずつずれていることがわかった。闇子の惑星に引き寄せられているのだ。引き寄せ、引き寄せよ、と闇子は祈った。祈り、鳩を造り、惑星を拡張し、また祈った。
 幾ばくも時が過ぎ、完璧に不完全な惑星と、不完全に完璧な惑星は互いに力を及ぼし合い、もつれ回転し始めた。闇子は完璧に不完全な望遠鏡を用いて誉の惑星を観察した。そこに誉は見えなかった。
「馬鹿ね、そんなことする必要なかったのに」
 声がして、闇子は振り返った。宮野誉がそこにいた。
「どうして」
「私はもはや、不完全に完璧な存在ではないから」
 どうやって、と言いかけた口元に誉が指を当てる。
「ずっとこうしたかったんでしょう」
 それを聞いて、闇子はため息をついた。
「お前は誉じゃないな、誉はそんなこと言わないから」
「いいじゃない、完璧に不完全な宮野誉だって」
「私も不完全に完璧な小倉闇子を造ろうか?」
 だが、それが一体何になるというのだろう。しかし二人で造れば速いもので、あっという間に不完全に完璧な小倉闇子が完成してしまった。不完全に完璧な小倉闇子は、不完全に完璧な鳩に乗って不完全に完璧な惑星へと飛んでいってしまった。
「これを応用すれば新しい星ができるわ」
 完璧に不完全な誉が言った。完璧に完璧を目指すか、不完全に不完全を目指すか、どうしようかということになり、両方が造られた。造られた完璧に完璧な小倉闇子と完璧に完璧な宮野誉と不完全に不完全な小倉闇子と不完全に不完全な宮野誉は、新しくできた地球を侵略することにした。造られた完璧に完璧な小倉闇子と完璧に完璧な宮野誉と不完全に不完全な小倉闇子と不完全に不完全な宮野誉は完璧に完璧な鳩と不完全に不完全な鳩に乗って新しい地球へと渡っていった。しかし結果は惨敗で、なにせ向こうには壊縷紗金剛がいたので、壊縷紗金剛が指揮する学生たちの軍団が新しい地球を防衛しきったらしい。
「まだ生徒会長をやっていたのね」
「死ぬまでそうだろうよ」
 私たちも、という言葉を完璧に不完全な小倉闇子は飲み込んで、もしも初めに出会ったのが不完全に完璧な宮野誉でなかったら私たちはいま出会えていたのに、いやしかしそれは後付けであって、やはり完璧に不完全な小倉闇子と不完全に完璧な宮野誉が出会うしかなかったのだろうと考え直す。不完全に完璧な宮野誉はいま何をしているのだろうと思いを馳せた。その横には不完全に完璧な小倉闇子がいるはずだ。不完全に完璧な宮野誉はそれで気が済むのだろうか、私たちは同じ気持ちではないのだろうか。
「よし、もう全部壊そう」
 完璧に不完全な小倉闇子は、完璧に不完全ゆえに惑星を破壊した。破壊した惑星は宙を漂って、完璧に不完全な宮野誉は「私もこうやって殺すの?」と問いかけた。小倉闇子はそこまで思い切りがよくなかったので、完璧に不完全ゆえに自らが命を絶った。
 不完全に完璧な宮野誉は不完全に完璧ゆえに、完璧に不完全な小倉闇子の死を予測することができず、はじめは興味深く思ったものの次第に悲しみが込み上げてきて、初めて声をあげて泣いた。それは銀河中に響き渡り星を大地をぐわんぐわんと揺らし続けた。不完全に完璧な宮野誉は完璧に不完全な宮野誉を呼んだ。そうなることはわかっていたのに二人は出会った瞬間に消滅した。同時多発的に不完全に完璧な鳩たちと完璧に不完全な鳩たちが出会い次々と対消滅していった。完璧に完璧な鳩たちと小倉闇子と宮野誉と、不完全に不完全な鳩たちと小倉闇子と宮野誉とでは、その完璧さと不完全さゆえに対消滅は起こらなかった。しかし捻れたエネルギーは捻れた場所からしか生まれることはなく、次々と対消滅していく鳩たちはその対消滅の光で新しい惑星を照射し、そこに人影が二つ見えた。
 ただの宮野誉と小倉闇子がそこにいて、ただの二人であるがゆえにそっくりそのまま今までの記憶を失って、それで急速に思い出が形づくられていって、二人はあの日あの冬にベンチに座っていて、目の前を通り過ぎゆく一羽の鳩を眺めている。ただの二人であるがゆえに鳩は造られることなく、完璧に完璧な鳩と不完全に不完全な鳩はその世界には存在することがかなわず、入学式で宮野誉が八体の幽霊たちについてスピーチすることはなく、巻き毛で赤毛の小倉闇子が早口言葉を言い間違えることはなく、網棚切り倒し部は造られることはなく、壊縷紗金剛に目をつけられることはなく、小倉闇子が壊縷紗金剛と決闘することはなく、職員室の地下に四畳半の部屋が造られることはなく、宮野誉が鳩を造ることはなく、宮野誉が失踪することはなく、小倉闇子が薔薇の海に呑まれることはなく、小倉闇子が退学することはなく、鳩の糞が封蝋になっていて何かを思い出すことはなく、小倉闇子は宮野誉に出会うことはなく、しかしベンチで二人並んで座っていたという事実だけはあって、その事実だけが二人を結びつけてお互いに声をかけることとなった。
「「あの」」
 そうして一つの銀河が誕生した。
 二人はどちらともなく鳩を造り始めた。材料は、豆五百グラム、にがり大さじ二杯、ソブリン金貨一枚、子どもが失くした片足の靴、ラスコヴニクの茎一本、月の砂五グラム、チュニジア産の砂漠の薔薇七.八二グラム、タマルを蒸し終わったあとのバナナの葉、オーストリア産シーグラス少量、忙殺されたサラリーマンが捨てたマッチ棒一本、パンの耳三本など。その他、機密となる材料が二、三ある。それらを二人は掻き集めようとした。オーストリアには海がなかった。サラリーマンはマッチを使わなかった。最後の工程は秘されたままだった。当然、鳩は完成することがなかった。鳩が完成しなくても、二人は一緒にいた。二人の寮の部屋は同じで、二人のことを誰一人知るものはいなかった。壊縷紗金剛は卒業した。小倉闇子と宮野誉は捜索部を立ち上げた。何かを捜索する必要があることだけは理解していた。失われた私たちの何かがそこにあるのだと信じていた。しかしそれは既に消滅したもので、もしくはどこかはるか遠いところにあるもので、翼を持たない二人には到底手が届くものではなかった。しかし捜索部は日がな二人を捜索した。そう、小倉闇子と宮野誉は小倉闇子と宮野誉を探していた。見つかるはずもなく、来る日も来る日も探し続けた。ある日、宮野誉が鳩を捕まえた。鳩の脚を引っ張ろうとしたら、鳩はくぐもった声で悲鳴をあげた。宮野誉は鳩を逃してやった。ある日、小倉闇子が鳩を捕まえた。鳩の首を捻ると、鳩はくぐもった声で悲鳴をあげた。小倉闇子は鳩を逃してやった。
「なんだ、ここには全部ほんとうのことしかないみたい」
 どちらともなく言った。つまんない。小倉闇子と宮野誉は、互いを造る方法を調べ始めた。鳩すら造れない二人に何が造れるものだろうか。鳩たちは二人をただ静かに見つめていた。次第に二人を囲む鳩は増えていき、鳩たちは独自の祈りの言葉をもって二人を祝福した。二人は完璧に近づいていき、同時に不完全に近づいていった。
 あるとき、二人は職員室の地下に空洞があることを突き止める。二人で力を合わせて穴を掘る。そこには小ぶりな箱が埋まっていて、そこにはかつて誰かが書き置きした機密事項のメモが入っていた。不完全に完璧な宮野誉がその惑星で探り続けた機密を別世界へ送る方法。鳩たちの祝福によりそれは達成され、小倉闇子と宮野誉はそれを手にした。彼女たちは鳩を造る。鳩を造って少しずつそれを世に混ぜる。捜索部は廃部となった。新しく設立されたそれは、造鳩部と名乗り、茶道部の隣に部室を持った。

                         (了)