川端裕人『ドードーをめぐる堂々めぐり』感想

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川端裕人『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(岩波書店)

https://www.iwanami.co.jp/book/b593200.html

読み始め:2023/7/22  読み終わり:2023/7/22

あらすじ・概要
江戸初期のこと。『不思議の国のアリス』や『ドラえもん』にも登場する絶滅鳥ドードーが日本に来ていた!? その後の行方を追って四国へ長崎へ。時空を超えチェコやイギリス、オランダ、ついにはモーリシャスの島で這いつくばり生命のワンダーに分け入る! 日本史と西洋史、博物学と生物学の間を行き来する旅に、ご一緒ください。

読んだきっかけ
タイトルに惹かれずっと読んでみたかった。

コメント・感想
・面白かった。特に江戸時代の文献を巡る第一章が好き。鎖国時代の日本にドードーが来ていたという事実が、日本ではなくオランダから発見されたというのも興味深い。当時の商館長の日誌『オランダ商館長日記』に、1647年にドードー鳥を出島に上陸させた旨が記されていたらしい。日本でも「ドードー鳥の日本上陸の可能性」を指摘していた鳥類学者・蜂須賀正がいたが、彼が長崎図書館に問い合わせたところ「いかなる情報も追跡不可能」と解答を得る。それ以来、日本ではこの件は迷宮入りしていた、もしくは誰も調べようとしなかった。記述のあった日誌は日本に残されていたのではなくオランダ側に回収されていたわけで、日本からその情報を見つけ出すのは困難だったというわけらしい。しかし、(蜂須賀の論文は1953年であるが)実はその時点で「ドードー鳥が日本上陸を果たしていた」事実を日本にいながら知り得たことがのちに判明する。『オランダ商館長日記』は1938年に日本語へ翻訳されており、『出島蘭館日誌中巻』(村上直次郎訳、文明協会)にはドードーが「ドド鳥」として訳出されていることが判明したのだ。つまり、オランダでの発見(2014年)の76年前から既に日本では誰でも「ドードー鳥が日本上陸を果たしていた」という事実を発見することができたはずだった。しかし、それは2014年まで歴史に埋もれたままだった。この、実は目の前にあった歴史を長い間誰もが見落としていたのだという事実が面白すぎて昂奮した。残念ながら、出島に上陸したドードー鳥のその後の足取りは記録がなく判明していないらしいが、妄想が膨らむ。なんとも夢のある話である。
・棚からぼたもちなのだが、もう一つこの本を読んで発見があった。「1651年にフウチョウがオランダ商館から将軍に献上された」旨が記されていたのだ。正確には『徳川実紀』にそうした記述があるということが、この本に書かれていた。私はフウチョウに興味があり、日本ではいつごろフウチョウが知られるようになったのかも簡単に調べていたのだが、磯野直秀・内田康夫『舶来鳥獣図誌』に「延宝6年 1678年、通航一覧にフウチョウ3羽(剥製だろうと推測されている)が渡来した」旨が記載されているものが私の知っている最古の記録だった。今回「1651年にその事実があった」という旨を知れたことは、私には嬉しい誤算だった。1651年というのは、1647年の長崎有事にて幕府のオランダへの態度が硬化したのち、その関係が修復された年(つまり幕府への献上が再開された年)らしい。一方、フウチョウの図はというと、毛利梅園が梅園図譜に描いているのだが、そちらは1839年と比較的新しいものになる(江戸時代、なげぇ)。ただ、1600年代にはフウチョウが日本に上陸していたという事実には、本当は散逸してしまっただけで梅園図譜のそれ以前にも誰かがフウチョウを絵に描いていたんじゃないかという浪漫がある。私の記憶違いでなければ「フウチョウには脚がなく風に乗って地に降り立つことなく一生を過ごす、という伝説に尾ひれがついて、フウチョウは屁で飛んでいると江戸の人々は冗談を言っていた」というような記述がどこかにあったはずだ(今ぱっと見つけられなかったので出典は書けないが)。これが本当だとしたら、江戸時代の人々にフウチョウは比較的よく知られていて、しかも江戸らしいユーモアまで誕生するほどだったということになるのだが、例えば見世物小屋に下ってくる程度にはフウチョウが輸入されていたのかどうかについては今のところ知る由もない。想像で描き足された可能性もあるが、梅園図譜のフウチョウには脚が描かれている。フウチョウの剥製は現地の風習により脚を切り取られたものが多かったのだが、そのままの姿の剥製も輸入されていたのかもしれない。飛躍すると、もしかして江戸時代にも生きたままのフウチョウが日本に上陸していたのではないか、ということも考えられる。もしそうだったらどれだけ素敵だろうか。(追記:本書で言及されていた磯野直秀編『明治前動物渡来年表』をさっそく参照したところ、フウチョウの贈り物がなされたもっとも古い記録は1635年だった。『明治前動物渡来年表』では、フウチョウの記録は一貫して「剥製だろう」と但書がなされている。なぜだろう。生きていてほし〜。ちなみに、1667年に蘭品を扱う店で村上藩の大名・松平直矩がフウチョウの剥製を購入したという記録もある。大名だったら剥製を買えるレベルではあったのか。実際どのくらい輸入されていたのだろう、どの程度人々の目に触れることができたのだろう。少なくとも現在記録に残っているものより多く輸入されてはいるはずだ。それに、ドードー鳥が生きて上陸したのであればフウチョウだって生きたまま日本上陸を果たしていても良いではないか。基本的に果実や節足動物を食べる雑食性なので船内で飼育できないことはないと思う。もしくは、基本的に状態の良い剥製や生体は欧州に回されて、日本にはちょびっとしか回ってこなかったということも考えられそうではある。)
・後半になると、筆者は実際にモーリシャス島に上陸するのだが、読んでいて「後世に何かを残すの、ハードル高すぎる!」と思った。ドードー鳥の骨の亜化石が発見された沼は一時期所有者が変わったことで採掘ができなくなっていたらしいし、骨が土に還ってしまう前に発掘しなければならないのでこれから再び亜化石を見つけられるかどうかは時間との戦いだというし。それに、書かれなかったことは後世に残らない。書かれたとしてもそれが然るべき状態で保存されていなければ後世からは見つけるのが非常に難しい。当たり前のことだが、それがどんなに大変なことかが本書を読んでいるとよくわかる。気が遠くなった。というか、記録されていなければ30年前くらいの出来事でさえ、推測するしかなくなるようだ。近藤典生(1915-1997)という人物が後半に登場するのだが、彼は「環境共生」の考えを推進する研究者・探検家で、伊豆シャボテン公園などのバイオパークを提唱した人物らしい。かなり精力的に活動していて、世界各地で大規模な学術調査を行っていたらしいのだが、ドードー鳥についても調査していたはずなのに(非公式に調査をしたり自費で調査をしたりすることが多かったために)その件についてはモーリシャス島に同行していた知人のアルバム以外に記録が残されていないらしい。しかし、近藤がモーリシャス島の大統領官邸を訪ね、「ドードー・プロジェクト」の名を冠した生態系保全のプロジェクトを進めようとしていたことは確からしく、実際にマール・オゥ・ソンジュ(ドードー鳥の亜化石が発見された場所である)を取り巻く木立は、近藤の訪問後に彼の意見を取り入れて植林されたものであることも本書のなかで判明する。ここはけっこう感動した。
・全然この本とは関係ないのだが、ドードーについて調べている在野研究者のサイトを見つけたのでメモしておく。この方の私見では出島には上陸したものの本土には上陸していないのではないか(なぜなら不格好で興味を惹かない鳥だから)とのことで、それについては主観的すぎるだろという感もあるが、まあそれにしてもよくこんだけ調べてまとめているなと思う。鳥について調べているとたまにこういう個人のサイトにいきあたることが多くて楽しい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/KA-ZU/index.html
・ついでに岩瀬文庫コレクションの本草写生図のリンクもメモしておく。
https://iwasebunko.jp/stock/collection/entry-197.html