福井健太『本格ミステリ鑑賞術』感想

DiaryC0095,書籍感想

福井健太『本格ミステリ鑑賞術』(東京創元社)

Amazonから引用

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488015336

読み始め:2023/3/18  読み終わり:2023/3/18

あらすじ・概要
フェアとアンフェアの境目はいったいどこにあるのか、作者の仕掛けた伏線やミスディレクションはどのように評価すればよいのか、叙述トリックは本格ミステリ史のなかでどのように位置づけられるのか──エドガー・アラン・ポオや東野圭吾など、古今東西の傑作を具体例に挙げて、知れば必ず本格ミステリの面白さが倍増する鑑賞術を、余すところなく丁寧に紹介。初心者から作家志望者まで、全ミステリファン必読のガイドブック!

読んだきっかけ
ミステリ要素のある小説を書く必要が出てきたので(本当はよくないけど)カンフル剤のように読むことにした。

コメント・感想
 怒られそうなのだが、ミステリの良さがわからない。これはもう仕方なくて、「合わない」ということなんだと思う。でも、なぜそうなのかを未だに自分に納得行くように説明できていなくて、その糸口が少しでもつかめたらいいなと思いつつこの本を読んだところがある。本書は非常に優秀なブックガイドなのだが、結果として「面白そう」「面白くなさそう」と思う作品ははっきりと分かれた。カー・ジョン・ディクスンの本は面白そうだと思った。なんというか、幻想要素が入っていたり、異世界要素が入っていたり。そういう作品なら読めそうだと思った。ガリレオシリーズでギリだと思う(ドラマしか見たことないが)。だから多分、人間の起こす事件に全く興味がないのかもしれない。誰が誰をどう殺したとかどうでもよくて、動機もどうせつまらないんだからどうでもよくて、犯人が誰かわかったところで「へー」で終わるし、犯人の異常性なんてのもたかが知れてて、そうなるともう、事件そのものが幻惑的な香りを秘めているかどうかが私の判断軸になってしまうのだと思う。殺人なんてするなよ馬鹿、と思うし、なんでたかが人殺すのにわけわからないトリックを使うんだよ、と思ってしまうし、それならまだ日常系の謎を題材にしたもののほうがすっと飲み込める。←完全にミステリを読む資格ない人間の発言だと思う。『屍人館の殺人』はつまらなすぎてびっくりして、百鬼夜行シリーズはのめり込んで読めた(それでも謎解きの時間は基本的に退屈している)。本書には「社会派的テーマや人間的ドラマへの興味の無さから生じた反動のエネルギーがガジェット型の”新本格”を育んだ面もあった」、「記号化は必ずしも人間性の剥奪を意味しない。シンプルな記号操作に徹するのも、人間なるものを解析・再構成して遊戯性とドラマ性を両立させるのも、本格ミステリの創作法」という主張が登場するのだが、この部分はよく分からなかった。ミステリが社会派的テーマや人間的ドラマに興味がないと思ったことがない。記号化は、徹底してやった場合にのみ今まで見えてこなかったものが見えてくるだけであって、大半のミステリはそれに失敗しているのでは、とも思うし(もちろんこの主張についてはミステリにおける「法則性」という文脈が乗っているので一概に言えるわけではないのだけど)。だから、根本的に本格ミステリファンとは分かり合えないのだと思う。謎そのものに、トリックに惹かれない。どうでもいい。本書は本当に様々なミステリ小説のあらすじが登場するので、それでなんとなく自分が面白いと思うかそうでないかの傾向が以前よりはっきりとした気がしてありがたい。
 とはいえ、やはり名作とされているものにはそれなりの理由があるはずで、ほぼ読まずに「ミステリ嫌い」と言っているのは罪悪感があり、ここで挙げられていた本は少しずつでも読んでいきたいなと感じている。その結果、自分がなぜ「ミステリが苦手」と思うのかがもっと明確になるかもしれないし、好きなミステリも見つかるかもしれないし。ちょうど今、保坂和志『小説の自由』を読んでいて、保坂和志もミステリーとか犯罪ものにまったく関心がないと言い切っていたのを見つけて、少し安心してしまった。なんとなく保坂和志には、この人は私と同類ではないかという気持ちを感じていて、いや、かなり烏滸がましいことを言っていることは分かっているのだが、似たところを感じていたので、この人ももしかしたら私のミステリが苦手、を分かってくれるかもしれない、と勝手に期待してしまっている。
 すみません、本の内容にあまり触れず自分の話ばかりしてしまった。本の内容としては大満足でした。ミステリの原則から始まり、本格ミステリとは何か、どのような変遷を辿ってきたか、がわかりやすい章立てで紹介されていく。そもそも「最後に出たロジック」が解決とされるだけであって、無限遡行が可能であるという話だとか、一つの事件に無数の解釈ができるのが当たり前だという話だとか(ちょっとまとめ方が乱暴ですが)、なんとなくミステリに対して思っていたことがきちんと文章になってまとめられていて、そういうことかと知った気になれた。第三部の技巧編がやっぱり面白くて、その第二章:幻視の風景、がやはり一番お気に入りの章だ。幻想がないミステリが生み出されているの、なんで? と思ってしまう。別に、洋館を出せば、それっぽい小道具を出せば幻想になるわけじゃないんですよ。そういうところで不満があるのかもしれない。私がもともと幻想寄りの人間で、根底に神話しかないから、ミステリを楽しむのが難しいのかもしれない。島田荘司の『本格ミステリー宣言』を孫引きしてしまうと、「この世界に存在するあらゆる小説は、大きく分類して二つの系譜に属しているという考え方に魅かれる。ひとつは私小説を頂上とする「リアリズムの小説」、もうひとつは「神話の系譜」である。」ということなのだが、ここでなんか私は諸々が腑に落ちた気がした。続いて、「本格ミステリー」の作家は、幻想性と論理性を破綻なく同居させなければならない、という話に続く。私が苦手なのは、このバランスが欠けている、もしくは大きく論理性に寄っている作品なのかもしれない、とそのとき思った。
 総じて面白い読書体験だった。巻末に、登場した作品のリストが載っているのもありがたい。