絶対に終電を逃さない女『シティガール未満』感想

DiaryC0095,書籍感想

絶対に終電を逃さない女『シティガール未満』(柏書房)

Amazonから引用

http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b618643.html

読み始め:2023/3/14  読み終わり:2023/3/15

あらすじ・概要
「思い描いた大人」になれなかった全てのひとへ。刊行前から共感の声続々、「絶対に終電を逃さない女」待望のデビューエッセイ!

読んだきっかけ
TLで見ない日がない。

コメント・感想
 小説とエッセイの中間のような読み味だった。私の想像していたエッセイよりは情景描写や人物同士の会話が詰め込まれていて、かと言って小説の輪へ完全に含まれているというわけでもない感じ。私がエッセイを読み慣れていないだけかもしれないのだが、そんな不思議な読み物だと感じた。固有名詞がたくさん出てくるので、本をもとにそこを巡る妄想なんかもできて楽しい。上野の「古城」、そういえば以前行ったときはめちゃくちゃ混んでて長い行列ができていた。「喫茶店にぞろぞろ並ぶな馬鹿らしい!」と半ば悔しさもあって近くの別の喫茶店に入ったんだっけ。またリベンジしたいところだ。
 私は、作中で定義されるシティガールでもなければシティガール未満でもない。東京近郊に住んではいるが、まだ越してきて日が浅いので、作中で登場する固有名詞にすぐにピンとくるわけでも、それにまつわる固有の記憶があるわけでもない。もう、言ってしまえばシティガール未満未満くらいだと思う。正直な話をすると、読むまで自分はこの本のターゲットですらないのではないかと思っていた。ただし、私も地方から大阪に進学した身なので、筆者の通過したいくつかのイニシエーションには心当たりと共感があった。化粧の話に触発され、私もそうだったなと記憶に蓋をしていた出来事を思い出した。まだ化粧の仕方も、眉の整え方も、バイトの面接の証明写真の撮り方も何も知らなかった大学一年生のころ。梅田のプロントの面接を受けて落とされた。プロントなんて、地元にはなかった。薄暗いボックス席で店長と向かい合い、手応えのない面接を終えて店を出ようとすると、バイトの女の子たちがカウンターごしに向かい合って会話に花を咲かせていた。彼女たちはどちらも垢抜けていて、なんかキラキラしていた。そのとき初めて、そういう観点で店長がバイトを採用しているのだということが分かったし、私がそのコミュニティに入れることなんて万に一つもないなと気がついた。面接を受けたこと自体が恥ずかしくなった。……そうした、交わらないけど共感ができるエピソードがたくさんあって、自分の平行世界を覗いているかのような気分になって読んだ。きっと、この本が支持されているのはそうした部分なのだと思う。舞台とされる「東京」のように、決して重ならないけれどありえたかもしれない私がそこにいる。「なぜこの人は自分のことを知っているのだろう」という不思議な温かさに惹かれるのではないか。
 特にぐっときたのは、「高円寺 純情商店街」と「歌舞伎町のサブカルキャバ嬢」と「原宿 TOGAの靴」だろうか。中野の話もよかったな。「無数の知らない人がいて、誰かと目を合わせることもなく、すれ違っているだけの、東京。」という一文が登場する。私が都会でしか生きられないなと思うのはまさにその部分だ。そこから連想して、筆者が「自分から人を誘うことがない」という話をしたときに生湯葉シホさんから掛けられたという言葉も思い出す。「それは必要じゃないからだと思いますよ」。当時の筆者はまだ学生だったはず。私も大学を卒業してから思うが、誰かと適当に会うって当たり前ではない。コロナ禍を通過してリアルタイムで更新され続けていたエッセイだからこそ、言葉に実感が乗る。メロンを持って人の家を訪ねたくなった。
 また、筆者も言及していたが、GINZAのweb媒体でハローワークの話題を掲載したのはすごいことだ。ハローワークってやっぱり一般的なフルタイムで働けないと門前払いされるんですね。そして、レールを外れた人に対して、人は「やりたいことをやった結果」と判断しがちだという話は本当によく分かる。自分も誰かにそんな目を向けていやしないかと自省した。私は半ば「私にはこれしかない」という強迫観念のもとでやっていて、それが崩れることを恐れている節もあるが、それでも積極的に書くことを選んだというよりは、それしかできないから選んだと言うほうがしっくりくる(まだデビューすらしていないが)。そういう「できないなりにやっていく、できることから少しずつ」生きていくことに対して、静かに肯定してくれるような本だった。「原宿 TOGAの靴」の「行き詰まった時こそ美味しいものを食べたりして気分転換を図り、何かをやり遂げた時には逆に普段以上に質素な生活をするほうが性に合っている」という言葉に勇気づけられた。新しい概念がインストールされた感じ。いまちょうど小説を書けなくなっていて、そのストレスからか躁状態になりレコードプレーヤー一式を衝動的に揃えてしまった。もうどうするんだよ、お金ないのに、本当にどうしようもないなと自己嫌悪に陥っていたのだが、レコードを聴きたいという気持ちは確かに本当だったのだから、しばらくは爆音でジャズを掛けながら踊って気分転換でも図ろうと思う。