【試し読み】小火

2023-03-08胎界主二次創作,小説,胎界主

本記事は、全頁総天然色web漫画『胎界主』の非公式な二次創作作品、
藤井佯『井戸のあかつき 凡蔵稀男短編怪奇小説集』の一部サンプルです。

   小火ぼや


 路面電車が、山道をきりきり走る。窓硝子に木影が次々と落ち、車内がちかちかと明滅した。「これより先、専用車両にのみ通行を許可す」。錆びた掲示の横を、電車は車体を傾け曲がっていく。側面には「110」と印字されていた。これは、電車が鮒界市警察署の専用車両だという証である。
 真昼だというのに、周囲は不気味なほど静まり返っていた。甲高い鳥の鳴き声が空に響き渡り、遠くまでこだました。登るほどに悪路となる。速度を落とした電車の側面を、笹の葉がばさばさと叩いていった。
 ガタンゴトンと近づいてくるかすかな音を聞いて、男が屋敷から顔を出す。路線の終点――鮒界市立公園墓地の管理人である。名を凡蔵稀男といった。
 稀男は近づいてくる車両の姿を認めると顔をしかめた。用件は分かっている。遺体の受け渡しだ。警察が運んでくる遺体は、たいてい状態が良いとは言えない。キキィと不快な金属音を立て、電車が運転を停止した。ひょろひょろとした、糸目の警官が下車した。布川巡査部長だ。続いて、小太りの眼鏡をかけた男がぺこりと会釈しながら降りてくる。少し前に転属してきた福田巡査である。
 運び込まれた遺体は、真っ黒に焦げていた。不自然な前屈姿勢の炭化した塊。生前どんな姿であったのか全く判断がつかなかった。
「まったくこいつのおかげで大忙しでね」
 福田が言った。
 鮒界市では、ここ一ヶ月、立て続けに放火が起こっている。初めの放火は未遂に終わったものの、三日後に再び同じ家が半焼。その直後、少し離れた場所でもボヤ騒ぎがあった。その後さらに七件の被害が相次いでいる。奇跡的にどの火事も被害は最小限に抑えられたが、五件目の放火でとうとう死人が出た。連続する事件で唯一、家は全焼、住人は焼死。それがいま、稀男の目の前に安置された遺体だった。
 警察では、同一犯による連続放火事件として捜査を進めていたらしい。その被疑者が、他でもないこの遺体その人だったというので頭を抱えているのだ。逮捕状を持っていざ乗り込もうというちょうどそのときに、男は自宅もろとも燃えてしまったらしい。しかし、被疑者が死亡してからも、放火が止むことはなかった。
 稀男は遺体にカバーを被せた。焼死体では十分な防腐処理を行えないので、土葬ではなく火葬を執り行うこととなる。
 布川と福田が専用車両に乗り込むのを見送り、稀男は物言わぬ死体とともに取り残される。山の向こうに厚い雲が見え、稀男は明日の天気を憂いた。
 屈強な褐色肌の男が、駄菓子屋の軒先でアイスキャンデーを食べていた。目つきは鋭く、短く刈り込まれた坊主頭には、前後にかけてジグザグと稲妻状の傷が走る。その傷に合わせたのか、両頬には青い稲妻模様の刺青が彫られていた。山吹色の短いスカーフを首に巻き、粗い布でできた緋色のタンクトップからは丸太の如き二本の腕を堂々と晒している。男は、この地の人間ではなかった。北米州ニューメキシコ出身のブエブロ・インディアンである。ルーサー・ナッチェス。ベール派ヘッド所属の誓約者だった。
 ルーサーは、稀男を悪魔と誓約させるか、それが無理なら抹殺せよとの任を負って鮒界市へとやってきた。ヘッドには神獣の血を飲み、超人的な能力を得た「躰化者」が多く所属している。ルーサーもそんな能力者の一人であった。司神オヌリス=アレスの躰化者は、自身の基礎体力・筋力を爆発的に増強させる。制限時間と発動終了後の硬直時間といった制約はあるものの、単純明快ゆえに強力な能力だ。特にルーサーは八歳の頃からヘッドの前線で活躍してきたベテランで、最大で十二乗の増強が可能であった。日本においては未成年とされる年齢でありながら、特殊暗殺部に所属し続けるだけの実力は「いま彼が生きていること」そのものが証明している。幾度の死線を掻い潜ってきた熟練の超能力者が、一郊外のひ弱な墓守に負ける道理などない。その、はずだった。
 結果は惨敗。稀男はルーサーと相対しても「全然ビックリせえへん」どころか、ルーサーを「アンポン」呼ばわりするほどの余裕ぶり。「失敗は死」を意味するヘッドにあって、ルーサーが一命をとりとめているのは、稀男の交渉と悪魔の気まぐれによるものが大きかった。現在は、ベール派君主であるベールゼブブに命令され「誓約満期まで凡蔵稀男を監視・護衛すること」という新たな任務のため鮒界市に留まっている。
 ルーサーがふと顔を上げると、見覚えのある小太りの男子高校生が通りかかったところだった。ルーサーが病院に入院していたころ、隣のベッドで療養していた青年だ。気難しい青年ではあったが、ルーサーの陽気さにつられたのか、自然と会話する仲になっていた。
「おう、二郎やないけ」
 青年がびくっと身体を震わせた。それからゆっくりと振り返る。
「何をそんなビビることがあんねん、ワイや、ルーサーやがな」
「ああなんだ、ルーサーか……」
「何や、何かあったんか」
 青年――虹増二郎は小刻みに震えていた。憔悴しきった二郎を見て、ルーサーもただならぬ気配を感じたのか深刻な表情になる。
 二郎はあたりを見回すとさっと移動し、ルーサーの側へ座った。
「見られてたんだよ……ヴァンパイアと闘ったときのこと、変態に!」
「変態ぃ?」
 ルーサーは首を傾げた。
 先月のことである。鮒界市の住人たちが大量にヴァンパイアへと「感染」させられる事件が発生した。まず二郎の幼馴染、黒連照子がヴァンパイアへと躰化させられ、四日目に朝日のアカーシャ球体に襲われ死亡した。ルーサーと二郎は、その仇討ちのため、ヴァンパイアたちのアジトを突き止め二人で乗り込んだのだった。虹増二郎は、近年大亜州を中心に勢力を広げつつある東郷家の元当主・東郷正義の妾腹である。東郷の人間は、球体使い、いわゆる超能力者の素質をもった人間がほとんどであり、二郎も例に漏れず、東郷の本拠地・西海道に生まれた稚児として幼少期に訓練を受けてきた。彼の能力はパイロキネシス。アカーシャ球体を当てた対象を自在に発火させることができた。アカーシャ球体というのは、例えば天界・地獄・魔界などといった、この世界とは異なる強大な胎界――次元世界の粒である。その名の通り球体のような形状に見え、軌道を描いたり回転したりしながらこの世界を漂っている。物理法則・物理世界の外に存在するもので、普通の人間では見ることはかなわないが、球体使いや躰化者、半妖精などであれば見たり干渉したりすることも可能だった。
 復讐劇は苦い結果となった。彼らがヴァンパイアの親玉・シャクヨウだと思い込み殺害したのは、シャクヨウに操られた別人であった。しかも彼は味方側で、シャクヨウに対処するため派遣されたヘッドの躰化者だったのである。仇討ちは中途半端に終わり、黒連照子は帰ってこない。二郎にとっては思い出したくもない出来事だろう。
 しかし、それが変態に見られたとはどういうことなのか。
 二郎の話を要約するとこうである。
 最近登下校中に視線を感じる。手練の気配でもないけれど、ど素人のそれとも思えず、態度を決めかねて悶々としていたところに、なんと向こうから接触があった。レインコートを着た中年の男で、こいつが近づいてきたかと思えば「虹増様!」とボクの前で座り込んで合掌する。
「虹増二郎様ですよねッ!? あの、私、虹増様がヴァンパイアに発火するのを偶然お見かけしてしまいましてッ、それから貴方のことが寝ても覚めても忘れられずッ! こうしてお声掛けする無礼をお許しくださいッ」
 なんだコイツ? と思ったけど、ヴァンパイアという言葉が引っかかってもう少し話を聞くことにした。男は蒲田と名乗り、ぜひ私めに火を点けてください! と縋ってきた。どうやらボクがパイロキネシスを使えることを知って、毎日声をかけるタイミングを探していたらしい。「どうしてだよ」と聞いても、それ以上は「火を、火をッ、早くッ、貴方の火が欲しいんですッ」以外に喋らなくて、段々怖くなってきた。それからふと視線を落とすと……。
「……ソイツ、勃起してたんだよ」
 二郎はその光景を思い出したようで、再び大きく身震いした。
「それで不気味になって逃げ出してきたんだ。しばらく火、火、私のに火を点けてくださいッ、って叫びながら追いかけてきてさ……。ピロフィリアって言うの? 多分、火に欲情する男だったんだ。しかも懲りずに次の日も、また次の日もレインコートで追いかけてくるんだよ! 最悪だよもう、なんなんだよこの町は!」
 ルーサーは、どんな顔をすれば良いかわからないといった表情で、ポリポリと頭を掻いた。
「あー、なんというか、ご愁傷サマやねそりゃ……」
 今にも泣き出しそうな二郎を放っておくこともできず、ルーサーは二郎を家まで送ることに決めた。

                         (続)