細川博昭『鳥と人、交わりの文化誌』読書記録

DiaryC0095,書籍感想

細川博昭『鳥と人、交わりの文化誌』(春秋社)

https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393424605.html

読み始め:2/7  読み終わり:2/7

あらすじ・概要
いにしえより鳥は想像をかき立てる存在として、人の文化とも深いつながりをもつ生き物だった。人は鳥とどのように接してきたか。単なる身近な生物を超え、象徴的に各地の伝承やさまざまなイメージに刻み込まれた姿や遺物などから、受容の歴史や人との関わりの様相を俯瞰。日本人との関係を中心に、古来、連綿と続いてきた鳥との接点を独自の視点で紹介し、鳥の新たな一面を解き明かす。
文化誌を通して鳥たちが教え、伝える、人間と鳥との関わりの歴史がここに。
(春秋社サイトより引用)

読んだきっかけ
積んでいて、そろそろ読まねばと思った。鳥にまつわる伝承や民話、神話のリサーチをするにあたって基礎的な知識が足りていないと感じたから。

コメント・感想
コメントというよりは読んでいて気になった箇所を箇条書きしていく。
・『万葉集』には「かほどり」という正体の特定されていない鳥が登場する。
・オウムの渡来が思っていたより早かった。六四七年(大化3年)のことだそう。尚、この時代にはまだインコとオウムの区別はなかった。渡来したオウムはホンセイインコの一種だと考えられている。
・セキレイが『古事記』において一番最初に登場する生物で、イザナギとイザナミに国産みの方法を教えたのは有名だが、そこ由来で鎌倉時代くらいまでは「とつぎおしへどり(嫁ぎ教え鳥)」という名前で呼ばれることもあったらしく、思考回路がTwitterすぎてウケてしまった。他には「にはくなぶり」「つつ」「まなはしら」など。
・鳥名末尾の「め」は「鳥」を示す接尾辞だと考えられているらしい。スズメ、ツバメ、カモメなど。その他「す」や「し」なども同様と考えられている。
・インコ、オウムの命名は基本的には江戸時代の命名の名残を引き継いでいる。一方で、現在飼育が主流となっているセキセイインコやオカメインコ、ボタンインコ、コザクラインコなどは江戸時代には伝わっておらず明治時代に渡来した。
・藤原定家の日記『明月記』には「近年天子、上皇皆鳩を好みたまふ、長房卿保教等もとより鳩を養ひ、時をえて馳走す」という記述があり、これはご馳走したという意味ではなく「ハトのレース」が開催されていたのではないかと解釈されている。
・男性が腕に猛禽と思しき鳥を止まらせた「鷹匠埴輪」なるものが実在する。
・花鳥茶屋を一目見てみたかった。
・ダチョウのレース

オランダ1933年のダチョウレースの映像
・「江戸時代の初期には、生きたドードーが日本にも来ていた事実がある。だが、そのドードーは、江戸に運ばれることなく死んで、今も平戸のどこかに遺骸が埋葬されているという。」

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