映画『晩春』感想

Diary映画感想

『晩春』(1949)・108分

観た日付:2023/4/29

どこで観た:神奈川近代文学館

あらすじ(コピペ)
小津の戦後3作目で作品評価の高さとともに興行的成功も収めた。やもめの父(笠智衆)を気遣って結婚をためらう娘(原節子)とそれを見守る善意の人々の物語は、その後の小津の作風を決定づけ、復活した脚本家野田とのコンビは遺作の『秋刀魚の味』まで続く。

https://www.kanabun.or.jp/event/17764/

観たきっかけ
小津安二郎の監督作品を観てみたかった。

コメント
・音声の4割くらい何言っているか分からなかった。やっぱり、一昔まえの日本語を聞き取るのは難しい。
・観客のほとんどが高齢者で、笑いどころできっちり笑うのが興味深かった。紀子を父が「おい、おい、おい!」と呼びつけるシーンで笑いが起こっていたのは不思議だった。私にも笑いどころが分かる部分は多数あった。
・小津安二郎の特徴として言われる、全く関係ない風景や静物のカットが挟まれるやつ、あれも笑いどころな気がしてきた。あれでなんとも言いようのない間がつくられる。余韻とまでは言えないけど、前後でぶつりとシーンが途切れるわけでもない。あのシーンは「可笑しい」。
・能のシーンが思った以上に長回しなのと、後半になると紀子の感情の起伏が能に乗ってきて相乗効果で盛り上がっていくのとで、あれは良いシーンだなと思った。
・昭和24年の作品なので当然といえばそうなのだが、ストーリーはやはり昔の日本の家父長制という感じでキツかった。どこまでも女をものとしか思っていない。当の女性もそれがあたりまえのことなので何の疑問も抱かない。私の祖父がまさにそんな感じなのだが、本当に昔はそうだったんだなあとドン引きした。ドン引きできる時代に生きていることがありがたい(今の時代も不十分だが)。祖父も、「茶」と言えば茶が出てくると思っているし、何も一人でこなすことができない。作中の「父」は、娘に「帯」と言えば帯を娘が持ってきてもらえる暮らしをしている。帰宅したら娘に帽子を外してもらえ鞄を居間まで運んでもらえる。挙げ句に「お父さんは私がいなくなったら生活に困ると思う」と娘が言う(むしろ娘がそれに乗り気)といった始末。最後の方の薄っぺらいお説教も嫌だった。興行的成功を収めたということだから、当時はそのお説教にも、やたら紀子を結婚させてこようとする親戚らにも、肯定的な反応が多かったんだろうなと思うとなんとも言えない気分になる。時代は変わったんだなと思う。
・音楽がよかった。メインテーマも良いのだが、特に能のシーンは良かった。
・現代の作品と違ってあまり作品中に説明がないというのが印象深かった。突然京都に旅行に行ったりする。あとから、紀子が結婚する前の最後の旅行として京都に向かったということが理解されるが、作中で特段それを分かりやすく説明するということはない。そういう、「あたりまえの会話」を重ね合わせてストーリーを前進させていくやり方を、最近あんまり観ていなかった気がして新鮮だった(私がそういう最近の映画を観ていないだけかもしれないが)。
・紀子の結婚相手がついに画面上に登場しない演出は良かったと思う。最後の、父が一人になった部屋でりんごを剥いてうつむくシーンも良かった。
・原節子がずっと笑っていて不気味だった。全く本心を見せない人の笑い方。でも、落ち込むときや苛立っているときはちゃんと表情が消えるし、感情の起伏がないわけではなくむしろ激しいのだが、笑顔だけは、監督に「ずっと薄く微笑んでいるように」とでも言われたのか? と思うような不自然さだった。それは時代の違いなのかもしれない(他にも、姉妹同士のスキンシップがやたら多かったり、人々の距離に不自然さを覚えることが多かったりしたので、笑顔に関しても当時はこれが当たり前の笑顔だったのかもしれない)。
・舞台が鎌倉で、知っている風景がよく出てきたので、70年前はこんなだったのか……といった点でも楽しめた。海は、モノクロ画面なのにちゃんと鎌倉の海だと分かるところがすごかった。鶴岡八幡宮で、鳩が一斉に飛び立つシーンがあったけど、あれはどうやって撮ったのだろう。本当に見事な飛び立ち方だった。