ひらりさ『それでも女をやっていく』感想

DiaryC0095,書籍感想

ひらりさ『それでも女をやっていく』(ワニブックス)

公式サイトから引用

https://www.wani.co.jp/event.php?id=7632

読み始め:2023/3/15  読み終わり:2023/3/27

あらすじ・概要
女らしさへの抵抗、外見コンプレックス、恋愛のこじらせ、BLに逃避した日々、
セクハラ・パワハラに耐えた経験、フェミニズムとの出会い――。
実体験をもとに女を取り巻くラベルを見つめ直す渾身のエッセイ!

読んだきっかけ
タイトルや、感想ツイートなどを見かけて気になっており、いずれ読まなければと思っていた。

コメント・感想
 よくここまで曝け出せるな、と思った。私と著者はあんまり似ていない。こんな人もいるのだなと思いながら読んだ。それでも、女だという理由で受けた扱いには「私にもそういうことあったな……」と思い当たる出来事がちらほらあった。東大でのティッシュのくだりは私の場合、共学だった公立高校(もしかしたら中学で既に)で体験したものだったし、そのほかにも「やっぱりみんなこういう体験しているんだな」と思うエピソードがいくつも出てくる(私は著者ほど自分を曝け出せないので、そういうことがあった、としか書けないが)。読んで、自分が傷ついていることを改めて自覚したし、著者の通過してきた傷も目の当たりにしてしまった。どうしてもこういう読み物に接すると、自分について饒舌になってしまう。だが、この本のあとがきでは、それを語る人が増えてほしいとも書かれていたので、少しだけ脈絡のない自分語りをしてみようかと思う。
 私は腐女子ではないし、女友達はほとんどいないうえに著者のようなウェットな関係を結んでいるひとは0だ。恋愛に全く興味がない。むしろそういう人たちが苦手で避けて避けて、小中高大と男性の中にいることが多かった。「男子に媚を売っている」といったような誹りを同性から受けるのを私が回避していたのは、女子コミュニティから明らかに私が浮いていて、向こうも私を「違う」と思っていたからだろうし、そもそも私にいわゆる「女子力」といったものが皆無だったので、やり玉に挙げられなかっただけだろうと思う。だからといって、男子の中にいて浮かないようにするのも難しく、ふとした時に気を使われたり、告白されたり、男子同士であれば行っていたはずのコミュニケーションから外されたりしたときに、どうしようもなく自分が「女」という性を背負わされているのだと寂しさを感じることはあった。でも、男になりたかったのかと言われるとよくわからない。確かに、生理はなくなってほしいし、いまのところ女だから得られているメリットって果たしてあるだろうかと疑わしい。母親から「あなたが生まれてきたとき最初に思ったのは『この子もこんなに辛い思いをするのか、かわいそうに』ということだった」と言われたことすらある。女であることを好きになれたことなどない。女でよかった、なんて諦めだし欺瞞だとさえ思っている。私にはこう書くのが限界だが、セクハラされたことも痴漢されたこともレイプされたこともある。女らしく身だしなみを整えたりもしていないのに、「女」というものからむしろ離れようとしているのに、いやむしろそうだからなのかもしれないけど、とにかくそういうことは「女であれば」「女であるというだけで」発生する。読みながら、自分の傷を数えた。数えて、同じような傷に触れることで、得られるギザギザとした形の癒やしに救いを求めた。読みながら少し癒やされた自分がいたのは確かだ。全然タイプの違う女が、違う傷つき方をしていて、それはこの世界で実際にあったことで、そうしたことが語られているという事実に確かに救われることもあるのだと思った。

 「女友達が好きだから、その女友達が好きになった男も好きになる」というくだりが登場するのだが、それが私には衝撃だった。私は女友達に好きな人を奪われたことがあるのだが、その女もそういう気持ちだったのだろうか。でも、当時の私は、矢印が自分に向いているとは思えなかったし、ただ漠然と私の持っているものは全て奪いたい人なんだろうなと考えていた。いまも正直、その考えを捨てられない。半信半疑だ。その女は、すでに音信不通で生きているのかどうかもわからない。無事に地元を脱出できていればいいのだが。本書には、様々な「筆者と縁が切れた女」が登場する。私と、その女友達も縁が切れたと言い切ってしまっていいだろう。そういう仕方でしか人の記憶に残れない弱い人だったなと、酷い言い草だけど今となっては思う。でも、私はなぜ彼女が弱かったのか知っていたし、私の側でしてあげられることがさほどないことも分かっていた。どうしようもなかったなと、こうやって自分語りの種にしてごめんね、としか思わない。でも、幸せにはなっていてほしい。それも勝手な話だな、とは思うけど。

 母親についての文章は苦々しく思いながら読んだ。私とはまたタイプの違う悩み方だったけど、文章中にあった母親の言葉に「これ私も言われたことあるな」と驚いた。一定の条件が揃うとそうなってしまうものなのだろうと思う。私も母娘関係でめちゃくちゃ傷ついているし、ここにはあまり書きたくないが、私はどちらかというと、筆者の友人側なので「甘えすぎてしまう」という悩みがあるのかと新鮮だった。しかし、私にも「自分と同じ傾向を持った年上の女性にやたら懐いてしまう」傾向はあると自覚しているので、似たようなものかもしれない。私は母親、というより「存在しない姉」を求めているような気がする。そして、そんな人は見つからないほうが良いんじゃないかと心の底では思っている。そんな存在が現れたら、私の形は多分変わってしまうと思う。

 触発されて自分語りをしてしまいたくなるのは、良いエッセイの特徴なんじゃないかと思う。読み始めるまでにかなりの覚悟が必要だったし、読み終わったいま、やはり腹を抉られたような痛みがあるだが、読めてよかった。