2023.8.8-8.9旅の記録(まとまらない)

2023-08-10Diary日記

2023年8月8日

6時起床。それから充電器をリュックに入れたり、干しておいた服を畳んで着替えたりして、6時半ごろに家を出る。モーニング・ページは書く時間がなく、とりあえずそのままリュックに入れて持っていく。

すき家でまぜのっけ朝食を食べる。牛皿ではなく魚(鮭と鯖があり、鯖が特に好きだ)のほうがおいしいと思う。食べていると建設業っぽい三人組が入ってきて、誰一人として朝食メニューを頼んでいなかった。カレーを頼んだ若者に「いいね〜!」と言いながら牛丼を二つ平らげたおじさんがいた。

少し早めに駅に着くな、と思いながらコンビニに寄って、あらかじめ作っておいた「旅のしおり」を印刷した。pdfでスマホからも読めるようにしているが、せっかくなので紙でも持っておく(二日間の旅の中でぐしゃぐしゃになった)。

めあての電車がやってきて、長い間乗るのでグリーン車に乗車する。18きっぷを駅員に見せて無事に改札を通れたとき、始まるんだな旅がと胸が高鳴った。

グリーン車のなかで、あまり美味しくないコーヒーを飲んだ。小笠原鳥類詩集を持ってきていて、少しずつ読んだ。それから窓の外も見た。詩ができた。

だんだんとグリーン車の乗客が減っていって、一時間ほど経つと私以外の客がいなくなっていた。

こんなことがあるのか、と思いつい写真を撮ってしまった。思えばどこかへグリーン車で行くときでも都心付近までしか行かないし、いわば周縁から中心、再び別の周縁へやってきたわけで、目玉焼きの断面図のような旅をしていると思う。

9時19分、小山駅というところにたどり着く。そこで両毛線に乗り換えることになっている。適当におにぎりを二つ買って、出発待ちの電車のなかで平らげた。小山駅から足利駅へ、ここまでは予定通りだ。

驚いたのは、足利駅が思った以上に田舎だったこと。こんなに小さな駅だとは思っていなかった。とりあえず歩いていくと、遠くに普通の集合住宅のような建物が見えて、それが美術館だというから信じがたい。

あまり大きなポスター類などはなく控えめで、しかし確かに見覚えのある手の絵があって、よかった間違えていなかった、と日傘を畳んで入館する。撮影が禁止だった(と思う)ので記録がメモ書きだけになってしまったが、非常に良い展示で大変満足した。以下、メモをそのまま貼り付ける。

顕神の夢

岡本天明
三貴神像 30分でかきあげた
真ん中の赤子の顔が素朴でかわいい

三輪洸旗
風神がよかった
右側から渦を巻いてやってくる、渦の目、ひたひた
スサノヲ
後ろを向きながら前を向く方法について

横尾龍彦
龍との闘い
ミクストメディアキャンパスというのは楽しそうだと思った
無題
よかった、題をつけられなかったのだろう

宮川隆
力がある、前を離れられない

黒須信雄
虚裔
雨が降ってきたような気がした

下川勝
ブロンズ像というのは素晴らしいものです

石塚雅子
よかった
迦陵嚬伽がおりました

黒川秀毅
この人の書く文は面白そうだった
どんな気持ちでゴーレムを量産しているのか

上田葉介
引き摺り込まれそうだ
海を描いていると思う

橋本倫
光の壁龕Ⅱ
部屋にあったら嬉しいだろうなあ
Qaf山の七つの峰と七つの秘景Ⅱ
拝んでいる、絶滅した動物たちがいる、ティラノサウルスもいる、追い出される

黒須信雄
この人の絵はとても好きだ、一番好きだ
『天之眞名井』
こうした場所を歩いたことがある
『八尺鏡』
言葉が浮かばない
『母止津和太良世No.1』
生まれる前はこういう場所にいて洗車されている、さらさらするときとみちみちするときがある、雨が降っても照り光らない

高島野十郎
暖かくて嬉しい

芸術家はスサノヲが好きなのか?

三宅一樹
那智の多氣
よかった
木が彫られている、首が長いとても

石野守一
襲う
ウェブサイトの言葉が良い

八島正明
『ドラマ(天の巻)』
黒くすっぽりとしているが絹ごし動物です
『給食当番』
来たことがあるのに、遠い

藤山ハン
『南島神獣——四つのパーツからなる風景』
本当にこんなのがいたらこわい
本当にいるだろうから大変だと思う

平野杏子
『善財南へ行く』
色の使い方がどうなっているのか不思議
けやけやとしていて、右下の植物がうらやましい

若林奮
犬からエネルギーが出ていて大変好ましい

真島直子
女が燃えています、霊魂が彷徨っています、山が小さい、脳が大きい

関根正二
この人の描く人物の目にはハイライトがない

ちゅっとゼリー

内田あぐり
黒髪とながれ
流れていて、マグネットで止められている

藤白尊
日本にはこのような光があるのですか

草間彌生
銀河 見方が分からない、目が二つだけでは見れないのではないか

岡本太郎
湯気が立っている

宮沢賢治
無題(月夜のでんしんばしら)
早くこれになりたい
性的なものを感じる

舟越直木
髪飾りをつけた少女
こんな少女がいたら一体どうすればいいんだ

中園孔二
フライヤーになってる手の人
手の絵がやっぱいい

馬場まり子
空に窓や輪があり嬉しい

メモにある通り、黒須信雄という人の作品が一番気に入った。画像検索してもらえればどんな雰囲気かだいたい分かる。面白かったから図録が欲しかったのだが、グッズはなかった。見たものを忘れてしまうだろうことが悲しい。でも、忘れるしかないのだとも思う。複数の人間から共通してスサノヲがやたら出てきたのが面白かった。人もスサノヲを描きたがっているし、スサノヲ自身も描かれたがっているのか。感想しかメモできなかったので、それしか残らずに、どのような絵だったのかは今となってはもうそこから想像していくしかないのだけど(なんとか図録を出してくれたらいいのだけど)、それでもやっぱり満足度は高い。しかし「旅のしおり」で多めに見積もっていた「所要時間3時間」には到底及ばず1時間半ほどで観終わったこともあり、もしかしたらこれは館林の「奇界/世界」だけではなく、前橋の吉増剛造の展示も頑張れば見れるのではないかと、急遽スケジュールを練り直した。

足利駅から、東武伊勢崎線の足利市駅へ。足利市立美術館はちょうどその2つの駅の中間地点にある。11時半ごろに美術館を出て、11:57発の電車に乗る。多々良駅まで。群馬県立館林美術館の最寄り駅だ。道に全く何もない。緑で、アスファルトで、何もない。途中、大雨に降られた。こんなことなら日傘(晴雨兼用)だけでこの旅に挑まなかったのに。

あまりにひどく、途中にあった保育園で雨宿りした。面白い遊具だった。木の下にいるとあまり濡れなかった。しかし既に下半身はずぶ濡れで靴も靴下もぐずぐずになっている。仕方がないので美術館までの歩き(徒歩20分)を再開して、思わず「死ね!」と口をついて出た、その瞬間に雨脚が弱まってきて、やがてすっかり晴れてしまった。

晴れると田んぼへ向かって小さな(おそらくまだ変態したばかりの)蛙たちがぴょこぴょこと道路を跳んでいって、私が前に進むたびに左右にぴょこぴょこと避けていってジブリ映画のようだった。途中に巨大な川があり、川に大きな木がかぶさっている光景は好ましいので写真に撮った。

佐藤健寿(健康を祝われすぎている)の奇界/世界にやってきた。雨はすっかりと上がっている。奇界遺産という写真集を出している写真家ということしか知らず、この展示の趣旨もよく知らないまま来てしまったが、とにかくそれまでに撮りためた写真たちが一気に展示されるということだった。夏休みに最適。以下、メモ。

カンポアモール劇場 ハバナ
駐車場の管理人として勤めていたレイナルドという男性が廃墟になったあともそこで一人暮らしているという

マラカイボ湖
年間250日以上、多い時で一晩1000回落雷が発生する

サンテリアとアバクア
巫術師の衣装が可愛い
秘密結社的色合いが強い

トルニャンの風葬
バリ島北部
バニヤンと呼ばれる木の香りで腐臭が抑制される

電子花車
トラックの荷台が展開してライブステージに。冠婚葬祭に呼ぶことが定着したが、葬式でストリップを行うことを政府に禁止され、現在はポールダンスへとソフトランディングしている→ロングデイズ・ジャーニーのカラオケ大会

ラス・ポサス
エドワード・ジェームズ
人間不在の奇想庭園

フェルディナン・シュヴァルの理想宮
実際の姿を見たのは初めてだ

トルコのカッパドキアの外れにある洞窟
陶芸屋を営むチェス・ギャリプが店を訪れる観光客に「髪を切っていかないか?」と声をかけまくり、30年かけて人毛洞窟を生んだ

三星堆遺跡
蜀の王の記述によく似た仮面が出土した
世界四大文明起源説を覆しかねないが何もわかっていない

ギョベクリ・テペ
トルコ
1万2千年前(シュメールが9500年前)のものとされる神殿
狩猟段階の人々の神殿である可能性が高い(近くに住居が見つかっていない)ため、定住から階級や宗教が発生したという従来の人間学を覆す可能性がある

ナンマドール遺跡
ムー大陸の最有力候補地といわれた海上遺跡
12世紀ごろに成立したといわれているが全てが謎

ピラミデン(スウェーデン語でピラミッド)、1998年に廃墟になったが北極の環境下にあるため街の状態が冷凍保存されている

先程の顕神の夢の展示とは異なり、感想は特になく事実のみをメモしている。「小説のネタになりそう、舞台になりそう」と思ったものがメモに選ばれている。大体200点ほど写真があった。私は申し訳がなかった。世界中のどこへでも行って写真を撮って、現地の人々と交流して品々を譲ってもらったり貴重な場所に入らせてもらったりして、そういう佐藤健寿という人の努力を「ちゅっと吸って」いるような気持ちになって、申し訳なかった。もう少し見づらい展示にしたほうがいいのではないかと思った。こんなすごいものがたくさん整然と並べられていると戸惑ってしまう(それが、奇界/世界の「/」の意味なのかもしれないがそれでも)、相対化、相対化、ちゅっとちゅっとゼリー。罪悪感が募る。あまり心を動かさないようにする防衛機能が働いているような気もした。企画の趣旨は素晴らしいが両手を挙げて大歓迎できなかった。でも、撮ったものは大勢に還元されてこそなこともあるかもしれず、しかしあまりに見やすいので、あまりに目の前で世界のあらゆることが発生しているので、私はどうすればよいかわからず決まりが悪い。あまり時間をかけず展示を見たような気がする。写真そのもの(もちろん上手い)よりも、情報を吸っている感じがして(その写真一枚撮られるのに途方もない時間とフィルムがかけられているというのに!)、本当にいたたまれなくなってしまって、会場は大きく、夏休みの子どもが「ここがネッシーが出た湖か!」と叫んでおり、今どきの子どももネッシーを知っているのかと妙なところに感心したりして、飛行機が模された棺の横を通ってちゅっと見てちゅっと出てきたら終わっていた。

展示室の外に出ると、美術館の庭を謎のロボットが走行していた。とても晴れている。私の足がびしょびしょなのは嘘なのではないかと感じた。

川にアオサギがいて本当にありがとうございます。この後、アオサギは私を抜き去って飛んでいき、角を曲がっておそらくお気に入りの一つであろう田んぼの中央でやすらっていた。しかし私がカメラを構えたことで驚かせてしまい、大きく旋回して再び人に馴れずどこか遠くのほうへバッサバッサと飛んでいき、その様子は動画として記録することができてとても良かった。鏡面のような水、嘘の空。

中途半端な時間に美術館を出てしまい、次の電車は40分後だという。無意味な乗り換えをすると、ここで20分待ったあとに20分別の知らない駅で待って次の前橋駅まで到着することができる。せっかくなので、無意味な乗り換えを行うことにした。柱の打ち付けてある土台に腰掛けて小笠原鳥類詩集を読み終わった。

入沢康夫詩集に続いて手を出してみたが、あまり好みではない感じがした。いかにも詩的な女が出てくるのが気に入らず、昔の詩なんてそんなものだろうとは思うが(巨大主語)それが受け付けられず、途中で脇においてしまった。代わりに鮎川信夫詩集に手を出した(そう、詩集ばかり4冊も持ってきている)。意味の分からない駅に連れてこられた。野州山辺という、ここはなにかあるかなと思ったら何もなかったのでベンチに座って20分ほど続けて本を読んだ。

面白かったのは出入口で、なぜこんなにも牢獄のようなのかと不思議だった。死者の門でもある。ここから伊勢崎駅に行き、それからJRに乗り換えて前橋駅に到達する。したころにはもう16時で、目当ての萩原朔太郎記念前橋文学館は16時半が最終受付なので急がなければならない。徒歩20分かかるらしいのでちょうどいいバスを見つけて16時12分ごろに到着する。

ホスピタリティがすごく、私が来るやいなや受付の女性が(16時に上映を終了していたはずの作品を)「今から上演するのでよかったら」と言い、そして私を突然暗い部屋に通して、ポエトリーリーディングと共に箱庭が絡繰で動く森林の、光と音の、何かものすごいことが起きている小箱を見せてくれたが全く展示名が思い出せない。何かすごいものを見たということだけがわかる。陰部を葉で隠された裸の女が浮かんだり傾いたりしていた。そして、おそらく吉増剛造の朗読だったが、吉増剛造はtの音が好きなのだという確信を深めるにいたった。
「ショップは16時半までです」と案内していただいたので、先にショップを見ていたら、清家雪子『月に吠えらんねえ』のポストカードがあまりにも良く、レジに持って行った。それを見て受付の女性が「月に吠えらんねえの図録もありますのでよかったら……」と分かりにくい場所にあった見本を案内してくれた、結局それも購入した。
「ご観覧、急がなくて大丈夫ですからね」、「ロッカーありますので重い荷物はそちらへ」など、とにかくこちらへの声かけが丁寧で驚いた。

吉増剛造は萩原朔太郎だとおそらく特に「竹」が好きで、というのも以前講演でこの人が竹を突然朗読しはじめるのを聞いたことがあるのだが、そのtの音が特に好みなのだろうと推察する。展示品は撮影が可能で、そのかわりにメモはしていなかった(時間がなかったのもあるが)ので、そういうことになるのであれば撮影不可のほうがなんだかんだ痕跡が残って良いのかもしれない。

個性的な字だと思う。詩人はおのおのの「書体」を持つべきで、いや書体などは誰しもが持っているものだとは思うのだが、より一層自分の書体に敏感なのが詩人という種なのだと思う。私はどちらかというと朱墨を使っていることに驚いた、そうかそうなのか、と何やらよくわからないものがよくわからないまま了解された。

読めるわけがなくてウケてしまうが、似たような紙を私は高校時代に作ったことがある。それは授業中にどうやって筆箱に隠して物語を考えるかという試行錯誤の末に生まれたものであって、細かな字を書くことが目的ではなかったのだが、ではこの吉増剛造の読めるわけがない紙は一体何なのだろうということを考えたりなどした。

推敲を重ねるのだなと思った。校正する人は大変だなとも。詩人がこれほど言葉を練る人間だとは、いやなんだか、言葉を練ったことは隠されるようなことだと思っていたのでこうやってあけっぴろげに出されるとこちらが一歩引いてしまうというか、見てもいいのだろうかと気後れしてしまう。四人の選者(マーサ・ナカムラ、最果タヒ、三浦雅士、松浦寿輝)がコメントとともに選んだ吉増剛造の詩に対して更に吉増剛造本人がコメント(脚注)を加えるという形のメイン展示では、相変わらず吉増剛造がマーサ・ナカムラを好きすぎて笑ってしまった。あと、松浦寿輝が二行しかコメントを寄せてなくてウケた。

何の気なしにエレベーターに乗ってみると、エレベーターの扉にイラストが施されていて驚いた。用事はなかったがとりあえず4階に行ってみた。

素晴らしい。

柱に『月に吠える』の背表紙がある。なんだか、こういう細かい点が丁寧な文学館だった。

実を言うと私はまだ吉増剛造の詩をちゃんと読んだことがなく、この展示で初めてまともに読んだくらいだったがけっこう好みだった。どの詩集から入るのがいいのだろうか、読んでみたいと思う。

外に出ると川が荒れていて面白かったので写真を撮った。朔太郎橋と名付けられた橋だった。

萩原朔太郎記念館(生家を移転し展示している)は時間がなく残念ながら中を見られなかったが、庭に青い犬がいるのを見つけて嬉しかった。

こっちは前橋駅までバスに乗らず歩いて帰っているときに出会った、知らない人の犬である。本物だ。

前橋はかなり風景がよく、なんとなく佐賀市を歩いたときのことを思い出した。控えめだが上品に整った街である。

不思議な形をした歩道橋だった。歪な四角形が道路の空中で展開され、私が選ばなかった方の二辺を通って歩いていったおばさんたちと、私は最終地点で合流することとなった。

ピールオフ広告を思い出して撮ってしまった。個人的にはピールオフ広告は疎外なのでそこまで好きではない。前橋を17時半ごろに出て、本日の最終目的地、高崎駅に到着する。高崎駅周辺は非常によかった。ちょうどよい都会だ。アパホテルにチェックインする。10階だった。

以前高崎に行った人から「ケバブが美味しいから」と何度も言われていたので、夕食はケバブを食べに行った。天井には嘘の森が広がっていた。インド・ネパール料理屋には嘘の空が広がっていることが多いが、トルコ・ペルシャ料理屋では嘘の森なのか、と感心した。

ケバブとキャラフス(セロリのシチュー)を食べた。高かった(キャラフスはこのサイズで1600円もする)が非常に美味。キャラフスをなんとか家でも再現できないものかと考えた。セロリと肉を大量のパセリやライムで煮込んだシチューだが、セロリというのが非常に良かった。爽やかだ。私はニラとミントの炒めものとか、そういう清涼感のある火の通った料理が好きなので、これはけっこう気に入った。満足してホテルに帰る。

大浴場があるというので入ってみたが小さかった。しかし露天風呂が異様に熱されていて面白かったし、人が少なくて大変好ましかった。それで21時ごろにはすべてが完了し、あとは寝るだけとなった。今日買ったものを見返していた。

かわいい。萩原朔太郎には目つきの悪い鳥が似合うだろう。

買う気はなかったのに、朔の目つきがあまりにも儚くてつい買ってしまったポストカード。これをレジに持っていったことで「月に吠えらんねえの図録もありますよ!」と受付の人が声をかけてくれたので、月に吠えらんねえのファンであることを表明することができたのは結果的によかったと思う。

心残りが、出発時にばたばたしてモーニング・ページ(注:毎朝ノートを思いつくままに3ページ書くこと)ができなかったことだ。去年の12月末に始めてから一日も欠かすことなく書いていたので記録を途切れさせたくなく、もう完全に夜だが一応3ページ書いておくかということで、寝る前に書き上げた。モーニングでもなんでもないが。

自分の字はけっこう好きで、とくに急いでいるときの適当な崩し字に好感を抱いている。ぎりぎり読めるが、私以外にはもしかしたら読める代物ではないのかもしれない。「禅」という字が面白かったのでつい写真を撮ってしまった。

23時ごろには就寝し、何度か中途覚醒を挟みつつも(非常な悪夢を見た)、一日をよろしく終えることができた。

2023年8月9日

6時に起床し、モーニングページをした。それで7時すぎになって、急いで部屋を出る準備をし、7時半すぎにはチェックアウトした。今日は高崎駅から信越本線に乗る。8:02の電車で横川駅まで行く。雲行きが怪しい。

途中、複雑な工場と良い扉があったので撮影した。信越本線はボタンを押さないとドアが開かない(群馬県ではそうした駅が多い)。そして、朝の時間帯でも人は少なかった。みな途中で降りていき、終点の横川駅に着くころには車内はがらがらになっていた。

着いたが、あれが碓氷峠だろうか。雨が降っている。霧が出ている。

天気が悪すぎる。雨に愛された旅だ。横川駅から軽井沢駅までのバスは10:05に発車する。現時刻は8:39で、9時から開店するという駅から徒歩10分の喫茶店に目をつけている。

廃墟。

千と千尋に出てきそうなトンネルだった。これを渡り、全く手入れがされず雑草が伸び放題の歩道をしばらく行くと、その店が見えてきた。

めじろ。非常に良い外観。実際ここにたどり着いたのは開店5分ほど前だったが、入店してみると「いらっしゃいませ」と出迎えてもらえた。

異界だった。「夏」がそこにはあった。孫が来ていて、孫は小さなモニターで好きなテレビ番組を見ている。店主であろう老人はカウンターの中央に座り朝のワイドショーを眺めており、そのバックグラウンドでFM群馬が流されている。音が混ざり合って、そして窓の外では巨大なトラックが碓氷峠を越えんと絶えず行き交い、私はこんな上質な環境音に今まで出会ったことがない。もちろん耳だけでなく視覚も絶えず刺激され、内装がなんと好ましいことか。虫かごが中央で売られている意味不明さが愛おしい。また、カウンター席とテーブル席の間にすだれがかかっているのも良い。ほこりひとつ落ちておらず清潔だが、古くからやっている喫茶店特有の良さがいたるところに光っている。

泣きそうだ。バスが来ないなら私はずっとここにいて、永遠に店主家族の夏休みを少しずつおすそ分けしてもらえるのに。まだここにいるのに既にまた来たいと悲しくなっている。

食事も素晴らしかった。夢のようなプレートが出てきた。これで1150円(ドリンクをアイスコーヒーに変更したので+50円で1200円)。美味しい。イマジナリー祖父母の家。心がどんどんほぐされていくのを感じる。全くこの場を動きたいとは思わない。しかし時間が来れば去らねばならず、本当に悲しかった。いつまでもこの空間が続いてくれたらいいのにと願わずにいられない。せめてあともう一度でも行けたなら。旅出発の数日前に偶然ここを見つけた自分に最大級の賛辞を送りたい。夏は確かにここにあった。嘘だったんじゃないかと思うほど真実の夏だ。

10:05、雨が降っている。バス停には7人ほど人がいて、私はぎりぎり待合のベンチに座れず、ベンチの後方で傘を差していた。やがて一人520円ずつの徴収が始まり、バスが発車した。碓氷峠の歴史が車内アナウンスで解説される。中山道の難所として、汽車時代は26本のトンネルが煤煙で満たされる(窒息する)難所としての碓氷峠、そして交通手段が電車になったのち長野オリンピックに伴い新幹線が開通し、信越本線横川-軽井沢間が廃線となるまで。それからバスはぐねぐねとカーブを繰り返し、30分ほど走行したのち、濃霧の軽井沢駅に到着した。

さて、目当てのバスは11:55なのでまた時間が余る。どこか喫茶店で時間を潰そうとあらかじめ調べてきている(軽井沢の店はふらっと選んで入店できる価格帯ではないので)。

少し歩いて、旦念亭へとやってきた。水出しコーヒーがおすすめだったらしいが、どうしても名前に惹かれて「ミントコーヒー」を頼んだ。あとはかぼちゃケーキも。

本棚に並ぶ本のセンスは抜群に悪かったが、そんなものかもしれない。私の斜め前に、老人とそれを囲む二人の男子高校生という取り合わせが座っており妙だった。老人が「結婚も子育てもお金がないと無理だから今後増えることはない」と熱弁しており、それを聞いて高校生が熱心にメモを取っている。なんて気色の悪い光景なんだと思ったが、声がうるさいので会話が入ってくる。おじさん「日本は正社員になれば良い国だよ、他は徹底的に差別される。私みたいな金持ってる高齢者にとってもね。もう今後は優秀な人は海外に出て行った方が幸せだ」、高校生「(メモメモ……)」。一体あれはなんだったのだろう。それにしてもミントコーヒーは非常に美味だった。コーヒーを淹れるときに、ミントをすりつぶしてカラフェに入れておけばそれでできるらしいので、家でも実践してみようと思った。かぼちゃケーキも来るのが遅くて少しそわそわしてしまったが、来てみると大変甘くてシナモンが効いて美味しい。すぐに平らげてしまった。喫茶店にいると時間が圧縮されたように感じる。あっという間に駅に戻らねばならない時間になっていて、店を出ると一面の霧。

視界が悪すぎて笑ってしまう。バスの運行は大丈夫だろうかと思ったがちゃんとやってきて、軽井沢のさらに奥へと進んでいった。さてセゾン現代美術館は徒歩でやってくる客を全く想定していないので、「軽井沢千ヶ滝温泉入口」とかいう分かりづらい駅で下車したのち10分ほど車道を歩かなければ辿り着けない。この「軽井沢千ヶ滝温泉入口」に停車するバスの便数も少なく、したがって、このバスの運行状態で私がセゾン現代美術館へ滞在できる時間も自ずと決まってくる。12:15から15:46まで。それがセゾン現代美術館の滞在時間だ。余っても不足してもいけない。

辺鄙な場所で降ろされたときは嘘かと思ったが、ちゃんと案内が出ていた。まだ罠ではないかと疑っているがとりあえず矢印の方向へと歩き出す。

あった。なんて控えめなんだ。

庭園が美しかった。雨が降っていて、これはむしろ雨で良かったのではないかと感じた。あまりに緑が美しくて息が詰まりそうだった。

セゾン現代美術館の館内は基本的に撮影が禁止されていて、メモを取るしかなかったが、一箇所だけ撮影可能な場所があったので掲載しておく。

以下は当日のメモ。

デュシャンの箱庭みたいなやつ
小便器のミニチュアもちゃんと置かれている

マン・レイの絵画「二人」

カンディンスキー

パウル・クレー

ジョアン・ミロ「夜の中の女たち」
かわいい鳥が右側にいる、歯がギザギザで目が大きい(人間の目をしている)

マックス・エルンスト「仮定と否定」
満月?やじろべえみたいだ

ポロックのナンバー9

マン・レイの作品はいくつかあった
「ペシャージュ」という箱(青空を模している)に桃が三つ並んだもの

マーク・ロスコ ナンバー7

マグダレーナ・アバカノヴィッチ「ワルシャワー40体の背中」
膠と黄麻布で固められた8×5の背中たちが後ろ向きに並べられている、上半身のみ
墓、つきなみだが、動くことはなさそう
匂いの展示だ、麻布の古い香りが部屋いっぱいに充満している

黒い飴細工のような大きな絵画、ピエール・スーラージュ「絵画、1983年1月7日」

意味のメカニズム、

めちゃくちゃ精巧に描いてる
紙の上で空間をちゃんと考えていたことがわかる
図形の中に女性や男性の姿があるのでこれが建物なのだとわかる
考えることをやめろ、意味を分離せよ、という命令が多い

OPEN THIS TO HAVE A DEJA VUと書かれた二つの小さな扉(戸棚のような)

機能的に、感覚的に考えるな、USELESS OR MOREと書かれたビニールテープ(巨大)にクリップが複数取り付けられたもの

明らかに異なる大きさの黄色い四角形についてTHESE ARE ALL THE SAME SIZEと書かれている

その下THESE ARE ALL THE SAME SIZE ROOM FOR COLLECTION

さらにその下

THESE ARE ALL THE SAME SIZE
DO NOT ALLOW FOR CORRECTION

WAR OF THE WORLDS

「これは何か、少なくとも10回は推量して徐々に結論にたどりつけ」
赤黒く塗られた細長い直方体が貼り付けられ浮かんでいる
灰色のエンジンのような形のがらくたのよせあつめが貼り付けられている

NAME THIS

A CARD BECOMES A FOOT
と書かれた、
カードの軌跡と足(矢印)の絵
カードが足になる絵

下にはなんらかの証明を試みたあとと、滲んだ筆記体のMistake(ワインレッドのペンキ)

青いチェックシャツが畳んで貼られており、方々から矢印が伸びている、shirtとカラフルに指摘されている

放射線状に伸びた虹色の線(複数の色が重なった線)
DETERMINE THE STARTING POINT

リコーダーが縦に対照に並べられている

意味のメカニズムはどことなくパソコンの画面っぽい
全てが巨大な四角いキャンバスの上で行われているからだろうか(そして頻繁にこちらへ問いかけてくるから)

一本の線/多数の線につけられた
WITHOUT POINTING, COUNT THESE LINES

同じようなデザインの建築のデッサンをいくつか描いている
六角形のプレート
円形の階段のような段差(が内側に面している空間)

エピナール・プロジェクトのための模型
インポッシブル・アーキテクチャーでも展示されてたやつだ(たぶん)
訳のわからない橋、通れなさそうで通れる橋
ピンボールみたいな凹凸のある斜面
に繋がった
すり鉢状の建物
分たれた芝生の斜面
2本の木
ヴェニス・プロジェクト
粘土模型までつくっている

レントゲン写真(のようなドローイング)←うめぇ…写真かと思った

FOR ONE FOOTと書かれさまざまなサイズの靴が片方ずつ4足置かれている

ドリルみたいだし実際そのつもりで作ったのだと思う
ドリル帳にしてもっと手軽に販売したほうがいい

12o’clock→1969

直方体の線にCHOOSE YOUR EYES
複数通りの見方ができる

いつかのカレンダー(ただし逆向きに再生されている)

紐が鋲で固定されて星座のようになっている
絵画の上にワイヤーが釘で固定されている

なんか突然デカい音が聞こえ始めて謎
→馬鹿でかいからくりの楽器があった
木彫りの鳥が回転している
ブリキ
車輪、歯車、銅鑼、動物の巨大な骨
フクロウの羽ばたき、おもちゃの鉄琴
金属製のハート
ニキ・ド・サンファル
ジャン・ティンゲリー「地獄の首都No.1」
13時半になったから再生され始めたらしい

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ゴム手袋が人差し指と中指の間で切られ、左右に貼られている、間に文字
I , FOUND THIS , GLOVE ,
IN , MY , DRAWER , YESTER-
DAY  I CUT IT , IN , HALF
I , SEWED , UP , EACH , HAL-
F , IT , TOOK , ME , TWO , H
OURS , AND , FORTY-FIVE ,
MINUTES ,

最後の晩餐の頭の輪郭だけなぞったペイント
手の位置やパン、天井などの位置に矢印がある

卓球台が四象限にわけられている

バスケットボールのネット、落ちる瞬間のバスケットボール、途中まで落ちたバスケットボール(紐で吊られている)
背景に、体感○秒、と身長のスケールのように縦に並べて書かれている
体感時間が長い 下に行くと、
FEELING 2,563,317,149 SECONDS
などの数値になる

ズレた四角形
と線、平行な

3つの細長い鏡が並んでおりその上に横断して書かれた荒川修作の手紙(母に宛てたもの)

過去のある期間を思い出すのに必要な現在時の長さを提示している

記憶についてBLUEで考えている

鏡文字で書かれた文字

窓辺にて
と題された灰色に複数の色の線が入った、女性や男性、川などがポイントされた絵画
太陽が下の方にある、女性や木よりも下に
空は上にある

人の輪郭に切り取られた

何かテレビか雑誌かの撮影をしている
通れないので展示を逆走する

子供は展示との距離が近くて羨ましい
英語を喋る日本人の子供たちがたくさんいる
英才教育だあ

アンゼルム・キーファー
オーストリア皇妃エリザベート
と題された作品
巨大なこれは何?灰色で皺しわ波打っている、土っぽい、真ん中に髪の毛が大量のリボンでつられている

磯崎新「ロサンゼルス現代美術館」
シルクスクリーン作品、目を惹く

中西夏之
エメラルドの台座 No.2
なんか良いが上手く形容できない

『意味のメカニズム』は大変よかった。メモにも書いているが、ドリルのようなものなので、もっと全人類が気軽にアクセスできるべきだと感じた。難しいのだろうか。なんとかならないものか。一時間半から二時間ほど展示を見ていた。それからショップに出る。今回の図録は残念ながら売られていなかったが、2019年にニューヨークで開催された展示の図録が売ってあって、16,500円したが購入してしまった。また、唯一グッズ化されていた意味のメカニズムのポストカードを購入した。これで持ち出せた意味のメカニズムは撮影可能スポットのものを合わせて4点だけか……と思うと、全部で127点もあるのに、と悔しくなる。時間が余ったので併設のカフェで時間を潰した。出てきた烏龍茶(にオレンジの花の香りをつけたもの)が美味しかった。

変な植物。

良い石。

今日の予定はこれだけだ。だけ、というより時間の制約が厳しすぎてこれだけしか回れない。軽井沢は車があれば楽しかろうなあという感じがした。車社会だということを忘れそうになるほど普段は鉄道か徒歩なので、こうしたことがあると新鮮だ。帰りは15:47発のバスに乗り軽井沢駅まで戻るのだが、そのバスがなかなか来ない。霧が濃いからだろう、8分遅れでやっとバス停にやってきて、さらに軽井沢駅へ着いたのは18分遅れてのことだった。16:28。これは大変危ういことで、まず私の膀胱がバスに乗る前からずっと破裂しそうだったのと、16時半に出る軽井沢駅-横川駅間のバスには絶対に乗り遅れられなかったのとで、碓氷峠を猛烈な尿意と格闘しながら越えることとなってしまった。「16時半発の本バスは横川駅に17:04に到着予定です」という車掌のアナウンスに「この霧じゃ絶対に無理だろ」と悲鳴を上げそうになった。実際、出発してから20分経過した時点でまだ全体の道程の4分の1しか進んでいなかった。膀胱が懸命に涙を堪えている。いたたまれない。しかし、しばらくすると標高が下がってきたのか少しずつ霧が薄くなっていく。それを見越してか段々と運転手の運転速度が上昇していき、気がつくと本当に横川駅に定刻通りに着いてしまった。1m先も見渡せないような霧だったのだ、まさか、と思ったが、やってくれた。素晴らしい運転手だった。かくして私の膀胱は救われ、横川駅の公衆トイレで滂沱の涙を流すこととなった。本当に、感謝してもしきれない。

それから横川駅17:21発の電車に乗り高崎駅まで戻ってくる。駅弁を買い、グリーン車に乗る。あとは数時間電車に乗れば家に帰り着くことになる。なんだか信じられない。

舞茸ご飯の弁当だった。売り子のおばちゃんが「舞茸の天ぷらがとっても美味しくて! でも大きいから歯に挟まらないようにだけ気をつけてね」と言っていて面白かったので「じゃあそれにします」と言って最後の一箱を購入した。美味しかった。やはり言われていた通り、舞茸の天ぷらが一番美味しかった。それから本を読める元気もなく、イヤホンでマーラー交響曲第5番をひたすら鑑賞していた。窓の外が田んぼばっかりだったのにいつの間にかコンクリートばかりになり、それから巨大な摩天楼だらけになる光景は、わかっていても圧倒されるもので、帰宅したころにはすっかり馴染みの駅にジャメヴを覚えるようになっていた。

帰宅して即シャワーを浴び、どうしてここに私の家があるのだろうと不思議だった。帰れる場所があったことが不思議だ。荷ほどきをする気になれずそのまま寝た。我ながら非常に良い旅をしたと思う。