新井潤美『〈英国紳士〉の生態学』感想

DiaryC0136,書籍感想

新井潤美『〈英国紳士〉の生態学 ことばから暮らしまで』(講談社学術文庫)

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000328384

読み始め:2023/7/14  読み終わり:2023/7/14

あらすじ・概要
自転車を「bike」と呼ぶか「cycle」と呼ぶか、眼鏡は「spectacles」かはたまた「glass」か。イギリスの階級意識はこんなところにも現れる。言葉遣い、アクセントにはじまり、家や食べ物、ファッション、休暇を過ごす場所……あらゆるものに微妙な、あるいは明白な階級をあらわす名札がついている。「世界中でもっとも階級にとりつかれた国」、作家ジョージ・オーウェルはイギリスをそう評している。
 そんなイギリスで「紳士」たらんと、ほかの階級から嘲笑を浴びつつ精一杯背伸びしてきたのが、本書の主人公「ロウアー・ミドル・クラス」の人々である。「英国紳士」と聞いて真っ先に思い浮かべるシャーロック・ホームズや、日本で人気のジーヴズは、実は彼らと同じ階級に属するヒーローなのだ。
 ワーキング・クラスとは断固区別されたい、しかしアッパー・クラスには決して届かない。上の階級の趣味や持ち物をまねると、たちまち流行して彼らが所属する階級の証となり、揶揄の対象になってしまう。隣人と差をつけるべく、アップライト・ピアノを買い、レースのカーテンを飾り、ささやかなことに一喜一憂する姿は、滑稽でありながらもいじましく、愛おしい。
 彼らが揶揄されはじめたヴィクトリア朝から、かつての階級を超越した「スーパー・クラス」が登場する現代に至るまで、およそ100年間の悪戦苦闘を豊かなエピソードで描きだす。ほろ苦くもおかしいイギリス階級文化論。(原本:『階級にとりつかれた人びと』中公新書、1999年)

読んだきっかけ
小説の資料として。

コメント・感想
 イギリスの階級の、主に「ロウアー・ミドル・クラス」の人々にまつわる本。リスペクタビリティという言葉自体初めて知った。彼らがアッパークラスに近づくたびに、アッパー・ミドル・クラスの人々が一緒にするなとばかりにその文化から離れていく。結果、ロウアー・ミドル・クラス特有のものとして残り、揶揄の対象とされてしまう様々な風習や文化。そういえばダウントン・アビーのシーズン1でも、上流階級の人々が弁護士のことを「ミドルクラスでしょ」「いいえ、アッパー・ミドル・クラスよ」みたいな感じで噂していたシーンがあった(一概に弁護士といってもアッパーとロウアーがいる)。どういうニュアンスなんだろうと思っていたが、この本を読んで少し理解が進んだ気がする。郊外(サバービア)に住む人々(サバーバン)の歴史についても興味深かった。サバーバンという言葉のマイナスイメージは現在においても残っているらしい。この本で初めてセミ・ディタッチドと呼ばれる住宅形式を知った。一見すると庭の付いた一戸建てだが、実際は左右で半分にわかれ二世帯が入っている住宅のことを指す。イギリスではポピュラーな住宅のようで、ロウアー・ミドル・クラスを象徴する住居でもあるらしい。
 イギリス人は自身の階級に自覚的で、分をわきまえる(つまり同じ階級で一生を終える)という生き方をする人が多かったらしく、そこに現れた上昇志向を持ったロウアー・ミドル・クラスの人々はそれだけで奇異の目に晒されたり嘲笑の的となったりしていた、というから新鮮だ。再びダウントン・アビーの話になるが、使用人の中にも「メイドで終わらず秘書になりたい」という密かな野望を持ったキャラクターや、「私はこんなところで終わる人間ではない」と公言したために笑いものにされるキャラクターが登場する。上昇志向がよしとされない文化もあるということが、(言われてみれば当たり前なのだが)言われるまで意識すらしなかったな……と興味深かった。まあ、私も中流階級の人間だし、そういう風潮の中で育ったし、知らず知らずのうちに上昇志向をインプットしていたなと思う。

印象に残った文章
ロウアー・ミドル・クラスが教育、経済力、生活様式などにおいて、アッパー・ミドル・クラスに近づけば近づくほど、アッパー・ミドル・クラスはこの二つのミドル・クラスの間の溝をはっきりさせようとする。ロウアー・ミドル・クラスがアッパー・ミドル・クラスの真似をして「リスペクタブル」になろうとして身につけた習慣、趣味、そして持ち物が今度は「逆ステイタス・シンボル」となってしまう。(p.151)
なんか、色んなところで同じような光景を目にしているような気はする。大なり小なり。