山本浩貴(いぬのせなか座)『言語表現を酷使する(ための)レイアウト――或るワークショップの記録 第0部 生にとって言語表現とはなにか』読書メモ

Diary同人,書籍感想

山本浩貴『言語表現を酷使する(ための)レイアウト――或るワークショップの記録 第0部 生にとって言語表現とはなにか』

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読み始め:2023/5/24  読み終わり:2023/5/24

あらすじ・概要
いぬのせなか座立ち上げの背景にあった思想やアプローチを、保坂和志さんからの影響などを中心にまとめた4万字。
「言語表現を酷使する(ための)レイアウト――或るワークショップの記録」は、山本が2023年5月現在執筆中の単著の序章として書き進められているものであり、本書はそのうちの第0部の草稿のみを抜粋して販売するものである。

読んだきっかけ
 なぜ言語表現なのか、ということが気になっていたから。自分がなぜ言語表現をやっているのか、自分でもわからないのでそのヒントがほしいと思った。文フリで売り切れていたので通販で購入した。

コメント・感想
 保坂和志の『小説の誕生』や『小説の自由』、『書きあぐねている人のための小説入門』などは読んでいて、とても強い影響を受けている。といっても、自分が小説を書くうえでは保坂和志の言うような「現前性」を重視したり、そのまま書く、即興的に書き直す、といった実践を伴ってはおらず、ただ思考が保坂和志に乗っ取られそうになった、といったほうが実態としては近いように感じる。それで、言っていることは分かるけど、それが私にも合うのだろうかということは素朴に感じていて、というか保坂の仕事がそもそもどういう時代の雰囲気の中で生まれてきたのかということすら知らないまま目の前にあの圧倒されるテクストを差し出されたという感じがしていて、つまり一旦俯瞰して私が浴びたものは一体何だったのかということを確認したかった。この第0部は、まず保坂の仕事がどのようなものであったかの確認から始まり、そしてその成果や危うさの指摘をしたのちに、それではこれを乗り越えるためにどのような実践が考えられるのかという問いに答える形でテクストが進んでいく。私には難しくて何度も読み返した。32ページしかないのに読むのに一時間もかかった。具体的な実践は続きの章で語られるのだろうが、まずは「こう書いたら世界がこう見えている魂をつくることができる」という考え方に辿り着いたこと、それは「根本的なレベルですべてを『表現を(自他に)発見すること』のもと、一元論的に記述/操作していこうとする態度である」こと、そしてその軸として「【表現主体とその周囲の環境をめぐる情報の触発】に注目する」こと、そして「それら触発の配置関係の操作をめぐる優れた実験の営みとして読み書きを一元論的に捉える」ことの二点が挙げられること、が記されている。
 あらゆるテクストは、それそのものとしておびうる意味の群れを超えて、肉体に特定の思考や感覚を、表現の担い手とその周囲の環境をめぐる仮構のかたちで強いる触発のレイアウトとしてある。触発は、言葉ごと、一文ごとに立ち上げられては周囲の言葉や文との間で衝突し、新たな統合のあり方を、新たな思考として発明していく。そしてその発明は、テクストの手前側の私の統合=施工方法としても半ば強制的に用いられ、肉体を動かし、動かされた肉体によって次なる一文が書き(読み)足されていく。そうした一連のプロセスを通じて行なわれるのが、テクストを用いた私(ら)の思考である。(p.31)
 印象的なのは、頻繁に「私(ら)」という言葉が使われること。ひとりでやらない、元々言語表現(特に詩歌や小説)はひとりでやるものという性質が強いが、それをひとりのまま、共同で行うにはどうすればよいか、ということが今後探られていくのだと捉えた。これは、「いぬのせなか座」がそもそも共通の友人の自死をきっかけにして立ち上げられたものであるということが深く関係しているのだろう。
 それでは私はどうしたらいいのか、ということはまだ分からない。次のステップとしていよいよ「言語表現の技術を(すでに取り返しのつかないほど)肉体に根づかせてしまった者」として『レイアウトの思考』の具体的内実とその発達/改変方法を知る、ということになるのだと思うが、これは本になるのを待ってからゆっくり読み、実践していきたいと思う(だってワークショップなのだから)。いま私の思考は「書くこと」への直結が早い(なんでもかんでも最終的には「書くこと」に辿り着いてしまう)自覚があるのだが、読むことや、毎日ある程度の分量を書くこと、など生活レベルで「書くこと」に触れる時間を増やしたいとも思っていて、ひとまずはそうやってみて自分がどう変化するのかを観察してみたいと考えている。