パトリシア・ハイスミス『サスペンス小説の書き方』読書記録

DiaryC0098,書籍感想

パトリシア・ハイスミス 坪野圭介=訳『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』(フィルムアート社)

http://filmart.co.jp/books/novel/patricia-highsmith/

読み始め:2023/2/8  読み終わり:2023/2/8

あらすじ・概要
「私は物語のきっかけになるような日々の出来事からこの本を始めている。作家はそこから進んでいく——まず作家が、次に読者が動き出す。芸術はいつでも、おもしろいことや、数分ないし数時間を費やす価値があると思えることを語って、読者の気を惹けるかどうかの問題なのである。」(本文より)
鋭利な観察眼と執拗な心理描写、深い洞察と巧みな構成で多くの文芸ファンをも魅了するサスペンスの巨匠、パトリシア・ハイスミス。「この本はハウツー式の手引き書ではない。どうすれば成功する本、つまり読みやすい本が書けるかを説明することは不可能である」と本書冒頭で確言する著者が、自らの「小説を書くことと、それを職業にすること」についてのノウハウを明かした、文章読本・執筆論。
本書は、1966年に初版が刊行され、その後なんども版元を変えながら現在まで熱心に読み継がれてきたハイスミスの隠れた名著。長編・短編集を合わせ30タイトルほどある作品のほぼすべてが邦訳されている作家の唯一の小説指南書であり、今回が待望の初邦訳となる。
何が「小説を書くこと」を専門的職業としうるのか、なおかつ何がそれを刺激的で生き生きとしたものにするのか。同時に、絶えず失敗の可能性を秘めたものである「執筆」において、失敗から学べることとはなんなのか。ハイスミスは本書において、サスペンス小説の重要な要素をプロセスに分けて解説し、アイディアの芽、書き始め、プロットの作り方、行き詰まり、初校、改稿など、自身の小説から豊富な実例を示しながら余すところなく説明していく。自身の経験から成功や失敗についても包み隠さず語られ、そのキャリアに基づいた実践的なアドバイスは、失敗や行き詰まりを経験した作家志望者の心を必ず捉えるだろう。
ミステリに限らず、全てのジャンルの小説家志望者必読書!

読んだきっかけ
積んでいた。わかつきひかる×鈴木輝一郎の動画を見て「すべての基本はミステリ」と言っていたのに共感したので、そういえば積んでるやつそろそろ読むか〜と思った(本のタイトルはミステリ小説の書き方じゃなくてサスペンス小説の書き方だけど)。

コメント・感想
・章ごとにポイントが1〜3個くらいちゃんとあるか確認しようね、という実践的なアドバイスが良かった。ここでいうポイントというのは、その章が物語をどのように前進させるのか、というポイントのこと。
・p.83あたり、著者の犯罪者に対する接し方について持論が挟まれるのだけど、そこが興味深かった。「活動的で自由な魂を持ち、誰にも屈服しない」とある。そして、それを追う主人公(探偵など)は正しいがゆえに残酷。でも、残酷さは正しさの側に置かれるべき、主人公が共感を得るのは犯罪者の方が悪い人間だから。面白い。
・ヤドーの話面白かった。サラトガ・スプリングズにアーティストが利用できる芸術家村があるらしい。費用はかからないが自作の本の冒頭やいくつかの短編と三名分の推薦書が必要。自分専用の部屋と、午前九時から午後四時まで誰にも邪魔されない保証を得られる。食事も無料。めっちゃいいやん。
・下で少し長めに引用した、執筆の習慣づけ。自戒したい。
・読者が主人公のことを「気にかける」かどうかを気にするべきだという主張がよかった。「好きになるか」ではなく、主人公の顛末を「気にかける」かどうか。
・私はパトリシア・ハイスミスを一度も読んだことがないのだが、本書のなかで解説される各作品のあらすじを見て、これが売れた時代は景気が良かったのだろうなと素朴に考えてしまった。今なら「もう少しオチをハッピーエンドに寄せてください」とか色々注文が来そうだなと思った。もちろん、最初のあらすじが最終的にどのように変わったとか、著者自身の体験が作中のこういう箇所に結びついた、といった話は興味深く読みつつも。
・なんで表紙にカタツムリがいるんだろうと思っていたら、訳者解説でパトリシア・ハイスミスは人間を嫌い猫とカタツムリを好んだという説明がなされていて、なるほどだった。
・著者自身が揺さぶられて情熱を傾けざるを得ない何らかが描かれない・・、ギミック先行の作品は良くないよ、みたいなことを言っていてわかる〜〜〜〜と思った(何様)。そろそろ選り好みせず読まねばと思っているが、私がミステリを敬遠している理由がまさにそれだからだ(何様ツー)。書名は伏せるが、かなり売れたり賞も獲ったりなあれやこれやを読んで全然ハマれなかったのは、きっとそういうことなんだろうなと思う。◯◯◯の◯◯でネタバレがネタバレでネタバレしたこと、まだ全然納得してないしネタバレしなかったほうが絶対もっと面白くなったと思っている。ギミックに都合よくキャラクターが巻き込まれているのが見たいわけではない。

良かった文・シーン
本というのはいつでも、直接的で、実際にその中にいるように感じられる経験を含んでいる方がよい。(P.35)
プロットとは結局、作家が作品に取り掛かる時に、厳格なものとして頭に置くべきものではない。私はこの考えをさらに一歩推し進めて、プロットは完了させるべきでないとさえ信じている。自分自身の楽しみについても考えるべきである。(p.69)
一日の中に二日あるような錯覚を起こし、忙しい状況でも夜に向けて最大限の活力を得られたのである。仮眠ののちには、執筆上の問題が思いがけぬ方法で解決することもある。問題を抱えて眠り、答えとともに目覚めるのだ。(p.78)
本を書くことは非常に長い連続的な過程であり、理想を言えば、妨げは睡眠だけであるべきだ。(p.106)
すばらしいことに、本とそれが要求する事柄に調子が合ってさえいれば、執筆期間中に外の世界から入ってくる情報や人の顔や名前やエピソードなど、あらゆる種類の印象をその本に利用できるようになる。(p.110)
二、三時間の完全なプライバシーをそこかしこで要求するのに、冷徹な薄情者になる必要はないし、そのように感じる必要もない。こうしたスケジュールは習慣にすべきものであり、執筆自体と同じく、その習慣こそがひとつの生き方なのだ。必要なものと捉えよう。そうすれば、人はいつでも執筆できるし、実際に執筆するはずだろう。自分をいつの日か物書きになる人物なのだと考え、作家にはなりたいが怠惰か習慣の欠如ゆえに今はほとんど書けていないと捉える人もいるかもしれない。そうした人間は書けるときにはまずまずうまく書くかも知れないし——得てして彼らは立派な手紙書きとして知られることになる——ちょこちょこ何かを売りさえするかもしれないが、それさえも疑わしい。執筆は技術であり、たえざる訓練が必要なのだ。(p.112)