まじられないし
【無関心】コマちゃんにおもちゃをあげてみた
画面のなかで青色のセキセイインコがアンパンマンのマーチを歌っている。
「なんのために、うまれて、なにをして、いきるチュピ」
人間の手が出てきて、木材が複雑に絡み合ったおもちゃをインコに手渡した。インコはそれにはあまり関心を示さず、「コマコマターン、コマチョップ、なんのために、チュリ、うまれピッ」と繰り返し鳴いている。
「変なおもちゃ ぼくはそんなのいらないよ!」
とテロップが表示された。木琴やひょうきんなラッパの音がズンチャカ流れる間抜けな音楽が底抜けに明るく流れ続けている。コマちゃんばいばーい、女性の声がして、インコが片足をあげた。そして、ふるふるとそれを左右に振った。
【コマちゃんママの徒然日記】。それがわたしの母親が運営しているアカウント名だ。YouTubeで飼い鳥のセキセイインコ・コマの動画を不定期にあげている。チャンネル登録者数は十五万人ほどで、ペット動画界隈ではそれなりに視聴者がいるほうだと思う。
わたしはこのチャンネルが嫌いだ。コマはわたしの飼い鳥でもあるのだから。
コマはわたしが高校生の頃から家にいた。大学は遠方だったから下宿をしたけれど、わたしはコマがいるから帰省が楽しみだった。コマはわたしのことを忘れないでいてくれた。コマは賢いのだ。きっと、母が思っているよりもずっと、この家のことをわかっている。
だから、母がつくった動画は、コマの人格を認めていないようにわたしには見えるのだった。鳥なのだからそんなものはないだろうといういじわるな見方もできるかもしれないが、コマだって家族の一員だ。コマが思ってもいなさそうなことを母が動画でアテレコするのがわたしには許せなかった。それに、とんちきな音楽。動物を力のない存在であると思っていないと出てこないようなセンス。わたしは昔からテレビのペット動画特集が嫌いで、それはあの間抜けな音楽と動物の感情を勝手に代弁するナレーションのせいなのだが、母の動画はその系譜を完璧に受け継いだものだと言ってよかった。コマはそんなこと言わない。わたしは昨日新しく上がったコマの動画を閉じて、スマートフォンをソファに放り投げた。
リビングの奥ではコマがうとうとと船を漕いでいる。平和な住宅街の昼下がり。遠くから子どもの遊ぶ声が聞こえる。母は夜勤で朝までいない。ベテランの看護師である母は、適応障害を患って出戻りしてきた無職の娘を養うだけの稼ぎがある。私はようやく寝たきりからは脱してきたかなというくらいにはなってきていて、最近は毎日コマとお留守番していることが多い。
適応障害が酷かったときには、休むということがどういうことなのかわからなくて、力を抜こうとして力んでしまうような、休もうという強迫観念でよけい心身が休まらないような、要は一日中アクセルとブレーキを同時に踏んでいる感じでにっちもさっちも行かなかったのだが、最近ようやく「暇」という概念を思い出しかけているような気がする。一日中ぼーっとしていることに耐えられなくなってきていた。かといって外に出る元気もない。自ずと足はコマのいるリビングに向かう。それ以外にすることなんてないのだから。
「コマちゃん」
呼んでみる。コマは「遊ぶのですか」と言わんばかりにケージの手前に飛んできた。ケージにへばりついて少しずつ自分の体重で垂れ下がってゆく。わたしはケージを開けるとコマを放鳥した。コマは一通りリビングをばさばさと旋回したあと、「ひとやすみしますかね」と言わんばかりにパササとわたしの肩にとまりにきた。
「コマちゃんおしゃべりしよ」
そう言うといつもコマは首をかしげた。そして、くちばしをじょりじょりさせながらこれまでの生のなかで覚えてきた言葉を再生してくれるのだった。
「コマちゃん、ちゅりり、だいすき、コマねー、こまつな、ちゅぴっ、もうちょっとね、チッ、ほしいですねー、きゅうきゅうしゃ」
コマはよく言葉を覚えた。オスだからというのもあるだろうが、母がよく話しかけるのだ。母が話す言葉をコマは反復した。おいちいね、ちゅぴっ、みずあび、する?
「コマちゃん、ママー、ね、そうですか、おいちい、おいちですねー、ちゅち、ぎゃるる」
わたしはなんとなく、スマホを拾って、コマを撮影した。動画にして、コマが喋るままにそれを記録することにした。
「ちゅぴぴ、おまわりさーん、たいほ、にんじん、コマ、コマ、コマ、ちゅぴぴ、かわいいねえ、だいすき、コマちゃんだいすき、かんかんかん、なにかな、きゅうきゅうしゃ、ひゃくとーばん、チッ、こまつながたくさんあります、ピッ、コマコマキック、コマパンチ、コマ、あんよ、かわいいね、ありがとさーん、ママ」
コマはきっとこれらの言葉の意味なんてわかっていないのだろう。しかし人間側からすると、連関があるようで突拍子もない言葉の羅列を次々と出されると、つい顔がほころんでしまう。
「コマちゃん、ばいばいは?」
そう聞くと、コマは片足をあげて左右に振った。よくできました。
わたしは動画編集アプリを検索した。なにも、母がつくる動画がコマのすべてではないのだ、と思う。わたしもコマの動画をつくってみようか。ためしに検索で一番上に出てきたアプリをダウンロードしてみる。無料版だとアプリのロゴが入ってしまうらしかったが、スマホで撮った動画をそのままスマホ上で編集できるという手軽さが良いと思った。
コマはずっと喋っていた。たまに何を考えているのかわからない沈黙の時間がある。そのあとうんちをしたり、突然飛んでいってしまったりすることもあった。わたしはコマが喋る姿のありのままをスマートフォンに映し続けた。コマが喋るだけ。そう、コマが喋るだけなのだ。
人間がそれを解釈することをしない。そのまま提示する。それしかないのでは、とわたしは思った。
とりあえず、ノーカットの二分程度の動画に、できるだけコマの言葉に忠実になるようにテロップをつけた。保存ボタンを押す。動画がエクスポートされていく。進捗を示すバーが満たされていった。ピロリン。小気味よい音がなって動画が完成する。
コマをケージに戻し、動画を再生した。
「コマのにんじん、とめいとーう、コマちゃんくるくる、ターン、ターンエンターン、だいこうぶつはきゅうきゅうしゃでした、ぴっぴー、せいかいです、チッチッ、ありあとござしたー」
ふふ、思わずわたしは微笑んだ。まったく支離滅裂だ。しかし鳥が言っているというだけでどこかユーモラスで、あたたかみがある。
少しだけ母の気持ちがわかった。動画を撮ると、誰かに見せたくなるようだ。
わたしは自分のXのアカウントを開き、動画をアップロードした。「ツイート」を押すまでには少しためらいがあった。でも、このアカウントではあまり鳥の話ってしてこなかったし、たまにはいいかなと思い、「うちのインコめっちゃ喋る」という文言とともにツイートしてみた。
反響はすぐあった。仲良くしているフォロワーから、
「え、これ小豆さんとこのインコちゃんですか? めっちゃかわいー! インコってこんなに喋るんですね!」
とリプライが来た。やがてリツイートの通知がやってきて、リツイートが二桁を超えたあたりでXを閉じた。
夕食は母がつくりおきしてくれている総菜を適当に盛りつけ、米を炊いて食べた。いずれつくりおきはわたしの仕事になるべきだ、と思う。これから母と、コマと三人で生きていくのであれば、わたしはこの家でなにか仕事を見つけるべきだと思った。コマはかしこい担当、母は社会性担当、であればわたしは人間性担当あたりだろうか。いやいや。
動画のことなんてすっかり忘れていたので、夕食後にXを開いてびっくりした。通知が鳴り止まないのだ。コマが、ちゃんとバズっていた。まだリツイートは数千台だが、いいねは五万を超えており、リプライもどんどん来ていた。一旦Xを閉じた。えらいことになったと思った。
一呼吸置いて再びXを開いたら、フォロワーからのリプライが目に留まった。
「コマちゃんて、このコマちゃん?」
リプライには、YouTubeのリンクが張り付けてあって、そこには母の運営しているチャンネルが張られていた。
「そうだよ でもわたしもコマの動画撮ろうかな」
気がつくと返信を入力していた。わたしもコマの動画を撮る? わたしはもしかして、母に妬いているのだろうか。いや、妬いているというより、コマの嘘の姿が晒されていることが嫌なのかもしれなかった。わたしのなかで、コマはもっと頭がよかった。決して「もう食べきれないよぉ〜」だとか「うんしょ、よいしょ」だとか、そういうことは言わないのだった。
「コマ、動画バズっちゃった」
コマはちゅりん、と返事した。なんて言っているのかはわからなかったけれど、否定的なニュアンスはないように感じた。
「わたしがコマの本当の姿を発信すればいいんだ」
こうして、わたしの動画投稿は始まった。
最初は、Xで投稿するだけだったものの次第にそれだけでは物足りなくなり、ついにYouTubeでチャンネルを開設した。【コマが喋る】というアカウントで、コマが喋ったことをひたすら書き起こすだけのチャンネルだった。まだまだ登録者数は三桁行かなかったが、それでもXから流入してくるのか毎日登録は増えていった。
母の動画は相変わらずだった。母はわたしが寝ているときによく動画撮影をしていた。わたしは適応障害になってから睡眠障害を患っていたので、不規則なシフトで働く母とはあまり生活の時間帯が合わなかった。それで、気づかないうちに動画が増えていることもしばしばだった。新作の動画ではコマが水浴びをしており、そこに「ちゃぷちゃぷ〜♪ ぼくみずあびだーいすき♡」というテロップが張られていた。
わたしの動画投稿は順調で、それと並行してわたしは新しい言葉をどんどんコマに教えていった。コマはそれを次々と吸収していった。本当にコマは賢かった。
「コマちゃん、はしりまわる、コマッ、コマッ、ちゅちち、あんよがじょうずでござあますねー、もういっちょ、ぷるぷるりー、とうきょとっきょきょかきょ、チッ」
わたしはコマにどんな言葉を教えるべきか悩んだ。意味などないのだから片っ端から教えていけばいいのだろうが。それで、わたしは自分の生活を実況してコマに聞かせることにした。
「コマちゃん、いまかいぬしは寝ています。ソファにごろーんとしていますね。かいぬしは何もしていません。残念ですね。かいぬしはお母さんみたいに働き者じゃなかったのです。親不孝者ですね。縦になれない。かいぬしは働けません。かいぬしは新卒で入った会社をやめちゃったんです。いじめられて。いじめってわかる? コマちゃんには一生縁がないものなんだよ」
コマは首をかしげた。そして、「ばいばーい」と言いながら片足をあげた。
「そう、ばいばいしたの。いや、ばいばいされたと言うべきかもね。かいぬしは使い物にならなくて、社会からばいばいされました。みんな前に進んでいまーす、かいぬしは昼間からコマちゃんに喋りかけていまーす。話し相手がコマちゃんしかいないからでーす。コマちゃんがいてよかった、本当にいつもありがとう。コマちゃん大好き」
「……そういえば最近コマがよく喋るんだけど、あんた言葉教えてるの?」
たまたま夕食の時間帯が合った母からこう尋ねられた。
「うん、最近はよくコマと遊んでるから」
「ふうん」
母は何も言わず小松菜のお浸しを口に含んだ。葉っぱの部分はコマにあげるので、人間が食べるのは茎の部分だ。
「コマちゃんだいすき、って言うことも増えたわね」
「それは事実だし……」
わたしのアカウントでも「これって徒然日記のコマちゃんですよね?」という質問がよく飛んでくるようになった。コマという名前がインコの名前として珍しいのかどうかはわからなかったけど、同じ青いインコで、それによく喋るとなると自ずと絞られるのだろう。そういうときは「ええ、コマちゃんママの娘です!」と返すようにした。なんとなく、一つのペットにつき一つの動画チャンネルを持つことしか許されないという思い込みがあったのだが、存外受け入れられるようだった。「そうだったんですねー! 娘さんからの投稿も、また違ったコマちゃんが見られて嬉しいです! チャンネル、フォローさせていただきました」
こうしたことが何件も続いた。
わたしは落ち着かなくなっていた。居心地が悪いというか、してはいけないことをしているような罪悪感があった。なんで皆そんな簡単に受け入れられるんだ? と思った。元はといえば、母の動画が気に入らなくて、そのカウンターとして放った動画だったのに、皆そんなこと気にもしていないかのように振る舞った。あ、受け入れちゃうんだ、と思った。皆、かわいい動物の動画を消費しているだけだったんだ。わたしが問題だと思っていることを、皆は問題だとすら認識していない。そんな面倒なことを考えているのはわたしだけだった。
しかし、では物議を醸したかったのか? 自問自答してみても答えはでなかった。そういうわけでもない。でも、わたしはやはり怒られたくはなかった。だからこれは覚悟の問題なのかもしれない。わたしは覚悟のないままになんとなくでやってきてしまった。それがよくなかったのだろうか。コマは止まり木をガジガジと齧っていた。
「コマ、出ておいで」
わたしが手招きすると、「よろこんで!」と言わんばかりに指にとまった。
少しずつ、わたしの体調は良くなっていった。アニマルセラピー? そういうこともあるかもしれない。コマのおしゃべりを聞いて、コマの喋ることをありのまま伝えるための動画をつくって、それで動画を通じて人々と交流した。インターネット上だけのやりとりだったけど、それでもないよりはマシだった。やることなんてなかったし、これからどうしていけばいいかなんてわからなかったから、わたしはコマの動画づくりに没頭した。
まだ若いんだから、と母に思われているのではないかということを恐れた。まだ若いからなんだっていうんだろう。コマは賢い。コマはかわいい。賢くてかわいくて、いるだけで存在を許されるコマに嫉妬しているところも、もしかしたら、あるのかもしれない。
「あんた、動画出してるでしょ」
ついにこのときがきた、と思った。母のスマホにはわたしのYouTubeチャンネルが表示されていた。怒られるのかな、と思った。それとも悲しむのだろうか。
わたしは頷いた。う、ん。はっきりと言った。どんな表情をしていたのか自分でもわからない。でも、意思はあった。意思? なんの、だろう。自分は別に間違ったことをしているわけではないのだ、という確信のようなもの? わたしはコマのことを愛しているし、母のことも愛していた。母のつくるコマの動画は嫌いだけど。でも、それがなんだというのだろう。わたしは、そうだよ、と言った。わたしも、コマの動画撮ってるの。
「なんでもっと早く言ってくれなかったのよ! コラボでもする?」
「……え、あ、ああ、いつかそれもいいかもね」
予想外の反応に面食らって歯切れの悪い返事をした。食卓だった。わたしが手に持った箸の先から白米が湯気を立てていて、それだけがゆらめいていた。小松菜のお浸し。おみそ汁。冷凍の鯖の味噌煮。わたしは白米をぱくりと口に放り込んでしまってから、ゆっくりと噛んだ。消化がよくなるまで三十回。だんだん口の中が甘くなって、嫌になった。
わたしは怒られたかったのか? 悲しませたかったのか? よくわからなくなっていた。コマが遠くから「ちゅぴちぃ、だいみょーじん、コマッ、コマッ、こまつなたべる〜?」と楽しげに言った。
そっか、と思った。
なにかがストンと腹の中に落ち込んだ気がした。結局、わたしに「それは変だ」と言ってくれる人はいなかった。皆、コマちゃんかわいーとか、親子で動画つくってるんですね! とか、肯定的な反応ばかりよこして、なんだか馬鹿にされている気がしていた。じゃあどういう扱いを受けたかったのか。考えてもわからない。わたしは駄々っ子に戻ってしまったような気がした。寂しかっただけなのだ。誰も彼も大人な対応をして、細かいことには気づきもしないで素通りしていくのに、わたしだけが小さな石に躓き続けている。わたしだけ、置いていかれている。次第に動画をあげる頻度は下がっていった。
コマが死んだ。起きてみると冷たくなっていた。すぐに母に連絡した。母が帰ってくるまで、寒くないようにコマの亡骸をハンカチでくるんでやった。コマはもう何も喋らなかった。目は閉じていて、体は硬いのにとても軽かった。朝番から帰ってきた母は、化粧が少し崩れていて、両手に花束を抱えていた。小松菜やみかんなどの生前コマが好きだったものも買ってきていた。
コマが死んでも母のやることは変わらなかった。母は、ビデオカメラを起動して動画を撮り始めた。泣きながら、「コマが虹の橋を渡りました」とエモーショナルに説明しはじめた。コマは紙製の深皿に入れられ、その周りには花が散らされた。そのあと、小松菜の葉っぱの部分や剥いたみかんなどをちりばめたミニ祭壇がつくられ、コマはそこに安置された。後日、動物葬を執り行ったが、そのときも母はカメラを回していた。どんな気持ちで動画をつくるのだろう、とわたしは思った。
一週間ほど経ったあとだった。母が動画をあげた。【徒然日記】最後の動画をわたしは再生した。オルゴールの感動的な音楽とともに、白字の明朝体で「コマが虹の橋を渡りました」というテロップとナレーション。それからコマとの思い出を振り返るスライドショーなどで構成された約十五分間の動画。再生回数は二十万回を超えていた。コメントには「泣きました、コマちゃんはきっと天国からママさんを見守っていますよ」とか「たまたま流れてきて動画を見ました。感動しました」とかが並んでいて、人の鳥の死で泣ける人間がこんなにいるのか、とわたしは動揺した。知らない世界を垣間見たような気がした。
わたしの方はというと、ただ「コマが突然亡くなりました」という短いメッセージと視聴者へのお礼だけを添えた無味乾燥なショート動画をあげるに留めた。最後まで我が母とは思想が合わなかったなと思った。しかし、お互いにお互いの考える弔いをしてあげられたのはよかったのかもしれない、と考え直すこともあった。
実は動画のストックがあった。それは公開するか迷ったが、動画の編集だけして結局非公開にした。最後の動画でコマは「どっちなんでしょうねー、どっちなんでしょうねー」と頻繁に口にしていた。
「どっちなんでしょうねー、どっちなんでしょうねー」
わたしはコマの真似をして言った。そんな言葉教えたっけ? と思った。少なくともわたしはそんな言葉をコマに言った記憶はなかった。どっちなんでしょうねー。もういない鳥の声を思い出しながら、わたしはどっちなんでしょうねー、と一人で繰り返した。
母とわたしはしばらくケージを片づけられなかった。二人になってしまって、わたしは自分のつくったコマの動画を見返すことが増えた。今までコマが見守ってくれていたのか、と改めて気づいた。母親が出勤してしまうとわたしは一人になった。冷蔵庫から取り出した小松菜のお浸しが、葉の部分まで浸されていた。
わたしはおおむね元気にはなってきていたけど、まだまだ働くことはできなさそうだった。コマがついていてくれたら、その勇気が出ただろうか。でももうコマはいないのだから、自分でなんとか勇気を振り絞るしかなかった。こういうときに、母のような人だったら、死んだコマが見守ってくれているのだから大丈夫、という考え方ができたのかもしれないなと思った。わたしはそこまで真っ直ぐにはなれなくて、なんだか損しているような気がする。
「コマちゃん、かいぬしは一人になってしまいました。コマちゃんを責めたいわけじゃないよ。むしろよく生きてくれたなと思う。でも寂しいです。コマちゃんはもう、どこにもいない」
コマはもうどこにもいない、それがわたしの出した結論だった。
しかし、コマが亡くなってからしばらく経ったある日、わたしは夢を見た。夢の中でわたしは、青い髪をもつ美しい少年と向き合っていた。少年は何も喋らなかったが、コマだ、と一目でわかった。そうか、コマに会いたがってしまったから、脳が勝手にコマを夢に登場させたんだ、とわたしはいやに冷静だった。脳みその構造を呪った。素直に再会を喜べばいいのに、やっぱりわたしは損しているなと思う。コマはずっと黙っていた。それは穏やかな時間で、ずっとそうしていられるような気がした。コマはじっとわたしを見つめていて、そこにはどんな感情もなく、ただ単にわたしを見ているだけ、といった感じだった。不快感はなく、安心だった。
コマに聞いてみたいことがあった。わたしも結局コマの本当の姿なんて捉えられなかったんじゃないかと。コマのことを勝手に動画にして、それはコマと生きるということではなかったのではないかと。わたしは間違えたのだろうか。コマは動かない。やがてコマを見ているうちに、わたしは完全に間違えたというわけでもないと思えるようになった。人間は人間なりに人間しかできないやりかたで動物と、あなたと接そうとしました。コマの言葉をひたすら書き留めていけば、コマの言いたいことや感じていることがわかるのではないかと思って、コマにもっと近づけるのだと浅はかにも思っていました。それでどうなったかはわからないけど、少なくともわたしのやり方と母のやり方はそんなに変わらなかったかもしれなくて、でも他にどうすればいいのかわからなかった。コマと接するということがどういうことだったのか最後までわからないまま、あなたは遠くへ行ってしまった。コマは何も言わない。
わたしはコマの頭を撫でた。やはりコマは目を開けたまま何も言わなかった。でも、わたしは鳥だったころのコマを撫でたときのことを思いだした。放鳥したときにうとうとして眠ってしまったら、気がついたら脇のところにコマが入り込んでいてしばらく一緒に横になっていたこととか、コマ、と呼べば元気に鳴いて一目散に飛んでやってくることとか、生活の至るところにコマを思い出すトリガーが仕込まれていて、動画も、動画もそうなんです。コマの動画を見返すと、コマがいる。コマが意味のわからないことを喋っていて、それは人間の言葉ではないけれど、でも明らかにコマは人間と意思疎通を図ろうとしていて、いやもしかしたらそれは考えすぎで独り言に近いものだったのかもしれないけど、わたしはコマの言いたいこととかなんとなくわかったような気がして、母は逆にコマのことを過度に擬人化して理解しようとしていたってことで、目指す方向性は一緒だったのかもしれないとか。コマはわたしのなかにいるコマであって、母のなかにいるコマはまた違って、という当たり前のことがわかられて、しかしコマはそれ以前にコマであって、コマとして生きて、コマとして喋って、コマとして死んでいったから立派なものなのだなとか、コマはしかも死んだあとにまで会いに来てくれたんだ、とかコマは何も言わないけどコマが来てくれたこと、コマが目の前でわたしを見ていることそれ自体に奇蹟を感じて、コマ、コマ、わたしたち、わかりあえたかはわからないけど、少なくとも一緒に暮らしてたんだよね、と思って、一緒の時間を過ごすだけでよかったのか、と今さら、本当に今さら、気がついた。
でもコマ、わたしたちは人間だからすぐ相手のことをわかりたくなるんだよ、それ以前に留まることができないんだよ、とちょっと言い訳してみたりもして、コマはわたしたちといて楽しかったのかな幸せだったかなとかやっぱり考えちゃうんだよ、と思って、コマにそんなこと言っても仕方ないよねとも思いつつ人間だからそう言わずにはいられない。
コマ、本当にあなたは多くのひとから愛されていたんだよということも伝えたい、動画であなたの姿をいろんなひとに拡散してしまったことが正解なのかもはやわからなくなっているのだけど、でもコマは祝福されていたよということを伝えたくて、でも本当に伝えなきゃいけないのはもっと別なことのような気もしていて、うまくまとまらない、でも、やっぱり、コマに会えてよかった、コマのことわたしはどれほど理解できていたのでしょうか、コマにわたしは何かしてあげられたでしょうか、コマ、コマ、
思いは迸って空中に霧散した。きらきらとした空間で、宝石の埋まった洞窟のなかにいるみたいな感じだった。一瞬だったような気もするし、永遠に近い時間の流れもあった、でもわたしが言わなければいけない言葉はひとつだった。それを言ったら、コマは行ってしまうなということもわかってしまったけど、でもいつかは終えなくてはならなかった、
「ママのところにも行ってあげなよ」
そう言うと、コマは静かに頷いた気がして、すべてが遠くへと流れ去っていった。コマがいってしまう。いや、わたしが進んでいるのか。
置いていかないで、と思う。
コマがこちらをずっと見ている。輪郭はだんだんぼやけていって、それでもわたしにはわかった。
「ばいばい」
コマが小さく手を振っていた。
わたしはそれで安心して力が抜けて、気がつくといつの間にか朝が来ていた。
「不思議な夢を見たの」
と母が言うので、コマだね、と言ったらなんでわかったの、と驚いていた。コマは約束を守ってくれたらしい。いや、もしかしたら母の元に先に行っていたのかもしれないし、コマならわたしから言われなくたってそうしたとは思うけど。
「片づけようと思う、ケージ」
母に言うと、母も頷いた。コマがばいばいしてくれた。それだけでわたしはよかった。人間はそれでよかった。少しの間まじりあって、やっぱりまじりあってなかったんだと知って、いずればいばいがある。ケージを片づけて、窓を開けた。柔らかい風が、するりと部屋に潜り込んできた。
(了)
第4回京都大学新聞文学賞にて、一次選考を通過したものです。
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