【論文集】文学フリマ東京40に出店します

2025-05-08Newsまったく新しい,告知,文学フリマ

表題の通りです。

2024年9月ごろに、阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』を読みました。感銘を受け、「私も論文書きたい! いや、書く!」と思い立ちました。しかし何かが足りない……そうか、仲間だな! と、勉強会を立ち上げることにしました。一人じゃ書けない論文も、仲間がいればなんとかなりそうですもんね。

というわけで、できたのがこの本です。

『新層 まったく新しい勉強会成果論文集』🎉

https://yo-fujii.booth.pm/items/6851697

↑BOOTHでは予約注文を受け付けています。

勉強会は2024年9月から始動し、月2回のペースで進めました。

まずは、『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』の巻末に掲載されている演習問題を十問解きました。締切までにdiscord上で提出してもらい、各々の回答を見ながら、ああでもないこうでもないと議論を交わしました。一ヶ月ほどですべての演習問題をこなし、次のステップでは、八〇〇〜一〇〇〇字程度の短いパラグラフをつくる練習をしました。これは、『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』でも良い訓練として紹介されている方法で、参加者はパラグラフをつくりながら自分が書きたい論文のテーマを探りました。この短いパラグラフの制作には、一本あたり一ヶ月掛けています。まずは最初の回でパラグラフの進捗状況の報告をしてもらい、次回そのパラグラフを提出してもらうという方式で、各回ごとに合評をしました。多くの参加者はこの期間に論文の題材が決定し、年が明けて二〇二五年の一月から、実際に論文を書き始めました。書き始めてからは各回ごとに進捗報告を行い、励ましあったり、アドバイスしあったり、和気あいあいと活動していました。毎週木曜日には「もくもく会」も行われ、論文の執筆時間の確保に役立てられました。「進捗ありません!」という声は毎回聞かれ、各々生活と執筆の両立に苦しみつつも、なんとか六名の参加者が論文の提出に漕ぎ着けました。
(『新層 まったく新しい勉強会成果論文集』、藤井佯「まったく新しい勉強会」より)

こんな感じで各自が論文のテーマを決め、2025年4月中旬を締切として参加者12名のうち6名が論文を提出することができました。半数、はかなり打率高いと思います。各々生活があるなかで大変でしたでしょうし、今回提出は叶わなかった方のなかにも「今回は間に合わなかったけど、後日書けたらここ(discord)で見せます!」と宣言された方もいらっしゃいました。また、『新層』というタイトルは、論文提出は叶わなかったものの論文集のタイトル案をたくさん考えてくださった方がいて、その案が採用されています(その節はありがとうございました!)。

そんな勉強会の、成果となる一冊ということで、力を込めて紹介していきたいと思います。

文学フリマ東京40にて初頒布

文学フリマは、「作り手が『自らが《文学》と信じるもの』を自らの手で販売する、文学作品展示即売会」です。

文学フリマ東京40の詳細です。
開催:2025年5月11日(日)12:00〜17:00
入場料:1000円(事前に一般入場チケットが販売されています。当日券もお買い求めいただけます)
会場:東京ビッグサイト 南1〜4ホール

https://c.bunfree.net/p/tokyo40/48354

サークル「まったく新しい勉強会」は、南1・2ホールの【M-37】ブースに設営されます。

当日、一般参加者は1000円の入場料が必要です。当日お求めになれるほか、事前にチケットを購入することもできます。

おしながきはこちらです。【M-37】まったく新しい勉強会ブースでは、下記の二冊の本をお求めになれます。

①新層 まったく新しい勉強会成果論文集
 A5判・144ページ・1500円です。阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』をもとに勉強会を実施し、その成果を論文としてまとめた本です。6編の論文が収録されています。当日会場でお買い上げの方に先着50部限定で、6名の論文提出者に「どのように論文を書いたのか?」を聞いてアンケートにまとめた小冊子を差し上げます。(おまけ冊子はネットプリントにも登録予定です)

②沈んだ名 故郷喪失アンソロジー
 文庫版・258ページ・1500円です。まったく新しい勉強会の主宰である藤井佯が、昨年刊行した自主制作本です。「故郷喪失」をテーマに書かれた全13編の小説・エッセイと、それらをふまえて書き下ろされた論考1編を収録したアンソロジーです。「故郷喪失」とは一体何なのか、なぜいま「故郷喪失」を語るのかという問いに真摯に取り組んだ選りすぐりの作品が揃っています。BOOTH通販はこちら

また、阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』は当日、見本を展示します(販売はしません)。

通販でのお求め

『新層 まったく新しい勉強会成果論文集』は、BOOTHにて通販を実施します。

https://yo-fujii.booth.pm/items/6851697

通販サイトはこちらです。文学フリマ東京40終了後の5月12日から順次発送いたします。

また、5月12日以降にPDF版も1200円で販売予定です。

内容紹介

『新層』は全6編の論文から構成されています。巻頭の「はじめに」と、勉強会について説明する「まったく新しい勉強会」という項目は藤井が執筆しています。

はじめに
 本書は、阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社、二〇二四年)の読者が集まって勉強会をし、その成果として完成させた論文を収録した一冊です。二〇二四年九月、『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』を読み終えた私(主宰、藤井佯)は、いてもたってもいられずに、この本の勉強会がしたいと思いました。やや唐突ながらXやMastodonにて募集をかけたところ、なんと十二名もの方が参加したいと申し出てくださいました。そうして私たちは二〇二四年九月から、月に二回、オンラインにて勉強会を開催することになりました。最初は、『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』の巻末に掲載されている演習問題に挑戦し、次第にパラグラフをつくり、そして最終目標である論文の作成に邁進しました。二〇二五年四月中旬を締切として、六名の参加者が論文を提出しました。この本に収録されている六編の論文は、どれもその人だからこそ書ける題材であり、論文を読み慣れていなくても、その分野に詳しくなくても楽しめるようなつくりになっています。アカデミックライティングを学んだことがなかったり、論文を書き慣れていなかった段階からスタートした私たちですが、なかなか面白い論文が書けたと思います。論文に面白さは必須ではありませんが、私たちはあえて、私たちの論文は面白いと言い切ってしまいます。目指したのは、読者が自分でも論文を書きたくなってしまう面白さです。 米澤穂信『氷菓』を歴史哲学でもって読み直す試み。先行研究のない漫画作品『胎界主』を論じる試み。ケストナーの児童文学に潜む、見落とされてきた不自由さを暴く試み。アンブローズ・ビアスの幻想怪奇文学に南北戦争の影響を見てとる試み。帝国日本下に亡命してきたアジアの革命家たちの諸相を掬い取る試み。ギンギツネの家畜化実験の影の功労者である女性たちにケアという視点から光を当てる試み。 どこからお読みいただいても構いません。この本が、読者の皆さまにとって素敵な入口となることを願っています。そして、『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』を世に送り出してくれた阿部幸大先生に大きな感謝を。

それでは早速、各論文を見ていきましょう。

鷲羽巧「投壜通信——歴史哲学から『氷菓』を読み直す」

Abstract
『氷菓』は米澤穂信による小説作品〈古典部〉シリーズの第一作であり、作中における古典部の文集の名前でもある。三十三年前に古典部で起こった出来事を調べ、謎めいた文集タイトルに秘められた意味を解くこの物語は、題材こそ架空であるものの、歴史の探究を謎解きの趣向としている点で歴史ミステリの系譜に連なっていると云って良い。しかし、同作における歴史とその探究はこれまで自明視されるがあまり、そもそも歴史の探究とはどのような営為であり、それが本作でどのようなものとして描かれているのか、踏み込んで論じられることはなかった。そこで本研究では、野家啓一やカルロ・ギンズブルグ、そしてヴァルター・ベンヤミンらの歴史哲学を参照しながら『氷菓』を読み直すことによって、同作の歴史哲学を明らかにすることを試みる。野家によれば、過去自体はすでに失われ、残されているのは過去の痕跡だけであり、歴史とはそれら痕跡の解釈を通してあとから構成される物語にすぎない。そしてギンズブルグによれば、その痕跡とは過去そのものに何らかの歪みが加えられた、外部の文脈を参照しての批判的検討を必要とするものである。小説『氷菓』において、主人公である折木奉太郎が一度推理を間違えてしまうのは、この批判的検討がじゅうぶんではなかったからだ。そこで折木は、史料を読み直して結論を再検討するのだが、本研究ではヴァルター・ベンヤミンの思想と、その思想を論じる田中純の研究を参照することで、折木の「読み直し」を単なる再検討に留まらない、大文字の歴史に抗する実践として読む。そして小説『氷菓』における歴史の探究とはそのように、《全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく》ことに対するささやかな抵抗であることを示し、これを「投壜通信の哲学」として、同作の歴史哲学に定める。

著者の鷲羽巧さんは京都大学推理小説研究会に所属しています。本研究では、米澤穂信『氷菓』において自明視されるあまり踏み込んで論じられることがなかった「そもそも歴史の探究とはどのような営為で、それが本作でどのようなものとして描かれているのか」という点について歴史哲学をもって論じる試みがなされています。小説『氷菓』における歴史の探究とは《全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく》ことに対するささやかな抵抗であり「投壜通信の哲学」がそこにある、とする筆者の主張は必見です。鷲羽さんは、論文を書く土台となる知識や経験がすでに層となって揺るぎなく立っておられる印象があり、本論文にもそこから生み出される「流れ」のようなものが見て取れるのではないかと思います。ぜひこの論文に浸ってほしいです。

著者による論文の試し読み記事が公開されていますので、併せてご覧ください。

藤井佯「荒野を耕す責任——Web漫画『胎界主』とハンナ・アーレント」

Abstract
『胎界主』は2005年からwebサイト『Web漫画 胎界主』にて無料連載されている尾籠憲一による漫画作品である。連載開始から20年が経過する2025年時点において、『胎界主』を論じた研究は管見の限り見られない。そこで本研究では『胎界主』研究の第一歩として、『胎界主』における「胎界主/胎界物」とはそもそも何かについて、『胎界主』において重要なキーワードとなる「責任」と「子ども」から考察していく。本論では、ハンナ・アーレントの「活動的生」を行う人間主体が「胎界主」と呼ばれる存在たちと重なるという仮説をもとに、活動的生を行う主体=胎界主の極北としてのレフ・レックスを取り上げる。レフ・レックスは作中において「見込みのある息子」であった九狼翔を殺害してしまう。この悲劇が引き起こされたのは、アーレントの語る教育において大人が果たさなければならない責任に不足があったためである。レフ・レックスは、主体的でない責任について目を背け女性たちにアウトソーシングした。本論は、レフ・レックスが子どもを世界から守るという責任、世界を子どもから守るという責任の二つを果たしつつも、子どもを第二の誕生へ導く責任を果たすことができなかったことを暴露する。この成果は、胎界物へと追いやられている女性たちの存在を明らかにするとともに、胎界主/胎界物という二項対立図式を棄却することで、フェミニズムの文脈から『胎界主』を捉え直すことが可能になるという点で重要である。

さて、こちらは主宰・藤井佯の論文です。2005年から現在まで連載され続けているWeb漫画『胎界主』についての論文になります。『胎界主』にまつわる論文は管見の限りこれまで見られず、本稿がおそらく初めての論文になります。先行研究が乏しいなか、「子ども」「責任」という作中のキーワードからハンナ・アーレントの活動的生に繋げ、論じています。ちなみに、漫画の図版引用箇所は今回カラーで印刷させてもらいました。論文と『胎界主』どちらともの入口となるような文章を目指したのでぜひご覧ください。

はづき真理「描かれているが、原因を名指しされない「子どもの涙」——ケストナー『点子ちゃんとアントン』におけるアントンの不自由さについて」

Abstract
生誕百年の1999年当時、すでにかつてほどは読まれていないとされたケストナーの子ども向け作品は、没後50年の2024年をこえてもなお堅実に読者を獲得している。「子どもの涙はおとなの涙よりもちいさいなんてことはない」ということばに代表される、子どもの苦しみを軽視しない作風が評価されているが、あえて名指しされていない「涙」の原因がある。それが「親に愛されているがゆえの選択の不自由さ」である。本論はケストナー作品にたしかに描かれつつも作品内では原因と名指しされなかった親子の相愛がもたらす「涙」を、『点子ちゃんとアントン』のアントンの行動から示す。それは自身と母の似姿を子ども向けの作品に描き続けたケストナーが意図していなかったわずかな綻びである。

はづき真理さんは大学時代にも卒業論文でケストナーを取り上げたとのことで、まさしくリベンジと言いますか、過去の自分を超えようとする熱気に溢れた、それでいて非常に論証の丁寧な論文に仕上がっています。『飛ぶ教室』や『エーミールと探偵たち』などで知られるエーリッヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』という作品を取り上げ、アントンが母親に愛されすぎているばかりにそのしがらみに囚われているさまを喝破します。ケストナーもおそらく意図していなかった綻びは、ケストナーが没してから51年の時を超えてここに見出されました。はづきさんは短パラグラフ作成の段階で、アーギュメントが既に確立されており、着実に論を構築されていく姿が印象的でした。引用される文献も膨大で、非常に安定感のある論文に仕上げられていると思います。ぜひご覧ください。

おちこち「幽霊は戦後に憑りつく——アンブローズ・ビアスの幽霊小説と南北戦争」

Abstract
アメリカの19世紀後半から20世紀初頭まで活躍した作家・ジャーナリストのアンブローズ・ビアスの幻想怪奇文学は他の作品、戦争文学集『いのちの半ばに』や箴言集『悪魔の辞典』、よりも傑作が少ないと多くの評者から言及されてきた。これは彼の南北戦争による従軍体験が大きく、その後の作品にも影響があるからだと言われている。また、作品中の皮肉的・冷笑的側面が大きく取り上げられることが多く、そのイメージは未だぬぐい切れていない。 本稿ではこの冷笑的側面を一旦脇に置いておき、評価の低い幻想怪奇文学、とりわけいくつかの幽霊小説を取りあげて、特徴を分析する。そこでわかるのは、他の作品と同様に南北戦争の影響がうかがえることであり、他の小説家にはない独自のプロットやストーリーの見せ方でもある。 ビアス作品は幻想怪奇文学、とりわけアメリカ幻想怪奇文学の中でも特異な作家であり、その射程は未だ南北戦争以後である「戦後」の中にいるアメリカに通じ、再評価されるべき作家である。

おちこちさんは、19世紀から20世紀前半までの英米幻想怪奇文学を中心に読まれているとのことで、今回はアンブローズ・ビアスに着目した論文を寄せてくださいました。アンブローズ・ビアスは戦争文学集『いのちの半ばに』や箴言集『悪魔の辞典』の作風などから皮肉屋・冷笑家として日本では受容された向きがありましたが、本論文ではビアスのまた違った側面に光を当てることになります。ビアスの幻想怪奇文学、とりわけ幽霊小説には、彼の南北戦争での従軍体験が大きく影を落としているのではないか、とこの論文は問いかけます。未だ「戦後」にあるアメリカに通じる射程を持つ作品群として、ビアスは今こそ読み直されるべき作家なのです。おちこちさんは、WorkFlowyなどのツールを駆使してシステマチックに論文を構築されている姿が印象的でした。論文の構成の美しさにも着目してお読みいただきたいと思います。

府屋綾「同床異夢の綱引き——帝国日本下の亡命独立運動家たち」

Abstract
19世紀後半から20世紀初頭にかけては、近代国家としての帝国日本が成立していく過程である。アジア主義はこの時代の日本を覆い、そして周辺アジアにも喧伝され、アジアの革命・独立を目指す運動家の間にも受容された思想であった。アジアの連帯を説く言説が日本の拡張主義を正当化する流れにつながっていく以上、周辺アジアの運動家たちと日本の間の関係は同床異夢とならざるを得ないが、各々の理想を実現するため手段として、その違いを呑み込みながら、互いに接触する選択肢が成り立つのである。 本稿では、当時のアジアの運動家のうち、日本に亡命した運動家に焦点をあてて、彼らが日本でどのように行動し、そこで行われた・行われなかった対話を通じて、帝国日本下に亡命した革命家たちが自らの理想と日本の理想の間の妥協点を探っていったかを浮かび上がらせようとするものである。明確な後ろ盾を持たない亡命活動家が日本で活動する上で支援者は必要不可欠な存在であった。そして、どのような支援を受け、活動基盤を固めることができたかは亡命活動家が自身の理想を手繰り寄せるか、他者の思惑に折れるかという綱引きの中で主要な点を占めていたのである。

小説の手がかりとしての調べ物が高じた結果、それが論文になるということがあります。今回の勉強会は、藤井のSNSを介してメンバーを募集したので、小説を書かれている方の参加が多くなっていました。勉強会では小説と論文の違いなどについても議論が盛り上がったのをよく覚えています。そんななか府屋綾さんは、帝国日本下においてアジア主義に少なからず影響を受けたアジアの独立運動家たちに焦点を当てました。金玉均、孫文、ラス・ビハリ・ボース、アルテミオ・リカルテらを取り上げ、彼らが自身の理想と他者の思惑の合間でどのように揺れ動いたのかを考察されています。正直知らなかったことだらけで、かなり知的好奇心をそそられました。ぜひ読んでいただきたいです。

阿部登龍「キツネを飼いならケアしたのは誰か——ルイセンコ主義下の家畜化実験とケアの倫理」

Abstract
一九五三年に開始されたソビエト連邦の遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフによるギンギツネの家畜化実験の背景には、ルイセンコ主義という疑似科学と政治の歪な結びつきがもたらした生物学者への弾圧があった。そうした環境下ゆえに実験の成果は科学界にも広く知られず、現代からふり返る場合においても、当時のソ連の社会状況は科学実験の書割り的な背景として描かれるに留まってきた。しかしルイセンコ主義が象徴するイデオロギーと「科学」の結合、それによる人間の抑圧は現代にも存続するもので、日本においてもまた同様である。ここに家畜化実験を改めて検討する社会的意義がある。本稿は、ルイセンコ主義下において構想されたギンギツネの家畜化実験について、ケアの倫理を援用しながら再検討することで、女性たちのケアの営みが科学研究から多重の疎外を受けてきたことを指摘する。科学研究において、無名の(とされた)実験協力者たち――多くがケアを担う女性であった――の評価は不十分であった。それどころか科学が立脚する世界観そのものが女性たちを差別し抑圧してきた。ギンギツネの家畜化実験が示すようにケアが家畜化のキーであるのなら、われわれの社会と生の基礎がケアの上に成立しているのは科学史的な事実にほかならない。

阿部登龍さんは第14回創元SF短編賞にてデビューされたSF作家です。今回は、作品の下調べも兼ねて論文をまとめられています。ソビエト連邦の遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフに着目した論文はおそらく日本でも数が少ないです。ルイセンコ主義下においてベリャーエフの実験の成果は科学界にも広く知られておらず、資料も限られています。そんななか、実はリュドミラ・トルートという共同研究者の女性が存在したという事実や、名前の知られていない多くのギンギツネ世話係の女性たちが存在したことが、この論文では強調されます。科学研究においても女性たちのケアは不可視化されてきたのだということを見事に論証したこの論文は、まさしく「まったく新しい勉強会成果論文集」のトリとしてふさわしいものだと思います。

おわりに

以上、6編の論文についての紹介でした。どれも非常に独創性のある、これまでになかった論文になったかと思います。文学フリマ東京40に参加される際は、ぜひ【M-37】まったく新しい勉強会ブースにも足をお運びいただければと思います。まったく新しい勉強会公式Xにて取り置きも承っておりますのでご活用ください。ちなみに、一定期間までの本の売上は著者らで分配、それ以降の売上は「あしなが育英会」に寄付をする予定です。皆さまふるってお買い求めください。著者に、そして未来の子どもたちに利益を還元しましょう!

それでは、5月11日(日)文学フリマ東京40にてお会いしましょう。よろしくお願いいたします。