映画『国宝』感想箇条書き(ネタバレあり)

Diary日記,映画感想

・参議院選挙の投票日にレイトショーで『国宝』を観に行った。20時半ごろ上映で、ポップコーンの列に並んでいる間に当確がぽつぽつ出始めていた。映画を見終わってから開票速報のページを開いたとき、残り10数席が未定くらいで、おおかた結果が出ていたが、参政党がここまで取っちゃうか〜というのと、思いのほか共産党が善戦していてよかったな、という感想だった。社民党はまだ当確が出ていなくて気が気でなかった(寝て起きたらラサール石井に当確が出ていた。一議席だけでも守れたことに安心した)。開票速報と映画の余韻とでめちゃめちゃになりながら眠った。

・最近、「雪」あるいは「空からちらちらと降ってくるもの」について考えることが多い。これは、ハン・ガン『別れを告げない』を読んだばかりだからで、『別れを告げない』では、というかハン・ガン作品では「雪」が非常に象徴的に用いられる。それで『国宝』も雪、というか「空から何かがちらちらと降ってくる」という景色を喜久雄が求め続けていることが強調され、これは何か重要なことだから考えなければならないぞ、と思った。天から降ってくるもの。

・美しく印象的なシーンが多い。一緒に観に行っていた夫が、俊介の脚って切らなきゃダメだったのかなあと感想を言ってくれたが、それは確かにそうやね、と納得したうえで、作劇上やストーリーの力学的なもので、あの結末をいくらでも正当化できてしまうことに恐ろしさを感じた。私だって、俊介にそんな運命を辿ってほしくはなかったが、俊介があの結末になるのは小説を書いている者として非常に納得できる話ではある(私自身はそうした大きな流れに逆らいたいという気分があり、私が『国宝』を書いていたら決してそのような結末にはしなかったと思うが、それでもああなる理由が手に取るようにわかるのである)。それは、BLUE GIANTで雪祈(ここでも雪だ)が雪の降る日になぜ事故に遭わなければならなかったのか、と同じ話でもある。喜久雄は、というより、人間国宝は「舞台に取り残される側」「最後まで舞台に立っている側」なのだと、劇中では何度も強調されて描かれる。育ての父は舞台上で喀血して倒れる。俊介は脚の痛みから舞台から降りざるを得ない。取り残されるのはいつも喜久雄側だった(そして、万菊も同様に舞台に取り残される。劇中何度かあるそのシーンは、いつも印象的に切り取られる)。「あそこからいつも何か観よるよな」と言って俊介は舞台の天頂を見上げる。その、いつも観ている何かが喜久雄や万菊を選んできた。舞台とはそれほど「この世界とは異なる論理で動く世界」である。何か大きなものに選ばれた者でないと、最後までそこに立つことはできないのだ。だから、舞台に立つ人を上から見下ろす形のカットが何度も繰り返される。
また、血ということもある。俊介が血に守られていた存在だとすると、俊介はその血の負の側面も当然受け継いでいることになる。父は糖尿病で他界するが、俊介にも同じ病が遺伝している。そうした意味で、大きな力に引っ張られるままに書くとあの結末以外には辿りつかないというのは実感を持ってわかるのだった。

・細かい点で言うと、長崎弁も大阪弁も京都弁も非常に美しくてほれぼれした。監修がしっかりしているんだなと思って嬉しくなった。久々にあんなに自然な長崎弁を聞いた。

・歌舞伎が観たくなった。これは『国宝』という映画の大きな達成であると思う。有名どころの演目がこれでもかというほど贅沢に鳴らされて、本当に見応えがあった。鷺娘、いつか生で観てみたいなと思う。

・これは私の作品摂取の傾向なだけかもしれず、それとは別に大きな流れの話なのかもしれず、断定はできないのだが、最近「天才同士の葛藤」をテーマにした作品が多いなと感じる。アルティストやメダリストなどもそれに含まれると思う。凡人が天才の中に放り込まれて葛藤する(しかしその凡人も、本当の凡人から見ると天才である)というパターンが減っているような。ストレスがなくて見やすいのでありがたいのだが、時代の何らかを象徴しているようにも思えてならない。

・万菊がかなり好きな人物だった。生きながらにして「国宝」とされる人、そうした人はもう器としか形容できない在り方をする。この世にいながらこの世でないどこかに片足を突っ込んでいる。終盤、喜久雄が国宝になった際にもそれは感じた。芸だけに身をそそぐことでしか生きられない人たち。

・竹野がずっと良いキャラでずるかったですね。「あのようには生きられない」、それでも近くでそうした人々をずっと相手にしてきて、的確にサポートをする。面倒見が良い。苦労してるんだろうな。

・箇条書きにしたら色々出てくるかと思ったが、存外出てこない。言葉にできない領域で受け取ったものが多い。正直なところ、日本でこんな映画が観られるなんて、と申し訳ないことを思ってしまった。まだまだ捨てたもんじゃなかったんだな、と。そうした意味で勇気をもらえる作品でもあった。

・国宝を観ているとき、というか歌舞伎のシーンを観ているとき、頼むから何事もなく無事に終わってくれと祈り続けている自分がいることに気づき、もし子どもがいたら、毎日がその祈りのさなかのことになってしまうんだろうなと思った、それでもその上で繰り広げられるものは儚く美しくて。

・祈りのシーンは、劇中でも何度も象徴的に描かれる。静寂が支配して、空気がピンと張り詰めた感じ。あの感じだよな、と思う。

・翻って、自分は小説の世界にいつまで立っていられるのだろうな、と思った。私は芸のためにそれ以外を譲り渡すなどできない。それでも、守るべきものを守りながら芸の世界に立ち続けるという別の闘いに挑みたいと感じた。庭を守ること。祈りを絶やさないこと。芸のためにはすべてを捨てなければならないという大きな物語に抗うこと。

・本当に良い映画だった。映画館で観られる人は、映画館で観ることをおすすめする。3時間、長くはあるが、それでも一人の人生に寄りそうにはあまりにも短い時間だなと思う。原作も気になった。おそらく映画にするにあたって原作ではもっと語られていたであろう話がカットされているな、と感じる瞬間がいくつかあり、原作を読みたくなる映画というのにも久々に当たったので嬉しい気分になった。

よかったな。良い映画でした。