文芸を志す人からセクハラを受けたこと

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以前インターネット上の文学賞に応募し、その旨をXにてツイートしたところ、ある文学の道を志す人から「読ませてほしい」とDMが届き、読ませてしまった。すると、作品の批評とは言えない性的な内容のDMが送られてきた。セクハラされたことの精神的ショックも大きかったが、何よりも文学を志す人間がセクハラをするという事実が許せなかった。

異性の書いた作品であれば性的な言動のとっかかりにしてよいのだと考えているのであれば、彼はこの世界に存在する文学作品を全く読めていないことになるし、そんな差別的な人間がつくる作品が良いものであるだなんて、私には口が裂けても言えない。そんなふうにしか他者の作品を読めないのに、そんなふうに不誠実な姿勢でしか他者と接することができないのに、どうやって文学をやろうというのだろうか。端的に言って、文学への冒涜だと思う。

私は彼のことを一生許さないだろうし、早く筆を折れと祈り続けることになるだろう。私はセクハラをするような差別的な人間の作品は評価しない。作品を評価するときに作者のことを抜きにして語るような器用な真似は私にはできないし、そうする必要もないと思っている。セクハラをするような人間は、文学に携わるべきではない。少なくとも、文学を食いぶちにするべきではない。文学の最も根幹にある「他者を尊重すること」という視点が、セクハラをする人間からはすっぽりと抜け落ちてしまっているからだ。私が最も許せないのはその点であり、「セクハラや性犯罪を犯した人間は文学に携わるな」というのは過激なことを言うようではあるが(なぜなら文学はすべての人間に開かれるべきだから)、この点は私の信条としてどうしても譲れない点であるということが、今回セクハラをされて改めて気がついたことだった。

この話にオチはない。ただ、私はセクハラをしてきた人間を一生許さないだろうし、私とは直接かかわりのない人であっても、セクハラや性加害を受けた人々がいればささやかながら力を貸すことができればと思っている。特に文学に携わる人間がセクハラや性加害を行うのは言語道断であり、その時点で文学に携わる資格を失うのだという考えが浸透すべきだと考える。

セクハラや性加害を行う人間、特に文学に携わる人間が軒並み筆を折りますように。他者を尊重する書き手がますます活躍できる世界になりますように。セクハラや性加害で傷つけられた人々が適切な方法をもって癒しを与えられますように。文学がその光の一つとなれますように。この機会に、改めて表明しておく。

二〇二五年五月二十九日  藤井佯