松浦理英子『葬儀の日』感想

2023-04-27DiaryC0193,書籍感想

松浦理英子『葬儀の日』(河出文庫)

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309403595/

読み始め:2023/4/25  読み終わり:2023/4/27

あらすじ・概要
葬式に雇われて人前で泣く「泣き屋」とその好敵手「笑い屋」の不吉な〈絆〉を描いたデビュー作「葬儀の日」をはじめ、「乾く夏」「肥満体恐怖症」の三篇を収録。特異な感性と才気みなぎる筆致と構成によって、今日の松浦文学の原型を余すところなく示した、記念すべき第一作品集。解説=植島啓司

読んだきっかけ
すごい、と聞いたので、すごいのかーと思い買った。

コメント・感想
すごかった。かなり好きだった。こんなの二十歳で書けてしまったら大変だ。二十歳の自分がこれを書けただろうかと考えるとやっぱり書けないので悔しい。SMの話をずっとやっている。三編とも好きなんだけど、「乾く夏」は「葬儀の日」の語り直しという感じがあり、また違った文章の迫ってくる感じがあってよかった。お手本のようなファムファタール。「乾く夏」と「肥満体恐怖症」を読むまでに一日空いたのだが、その一日のなかで、一年ぶりに自分の体重を計ってみたらいま人生で一番太っていることが判明して落ち込むということがあったので、読み始めてみたらタイムリーすぎてびっくりした。それはそれとして私はダイエットを決意しましたが。良い小説は感想が書きにくいもので、これは良い小説だったのでうまく言葉にしようという気が失せる(私の書いているなかで分量が多い感想記事を見て何かを察したりしないでください、それとこれとは話が別なので)。とりあえず、良かった文を書き写すにとどめようと思う。

良かった文・シーン
「川の右岸と左岸は水によって隔てられている。同時に水を共有し水を媒介として繋がっている。あるいは水によって統合されている。また別の観点から言えば、川の一部、川に属するという意味で、二つの岸は同じものではないにしても全く異なるものでもない。
 いずれにせよ、二つの岸は川の両端にあります。で、ある日突然、お互いに対岸の存在に気づいたとします。いったいどうするべきでしょう? 走って逃げ出すことは不可能です。無視を決め込んでそのまま何食わぬ様子で在り続けることはできます。もう一つ手があります。自らの体である土を少しずつ切り取り崩して行って、水の中に侵入し、対岸に達しようと試みることです。とても時間がかかるし、洪水などによる自然変動に妨げられることもあるでしょう。それでもいつか水を呑み尽くすことになるかも知れません。
「二つの岸はお互いを欲しているのか。」
 だって両岸がないと川にならないじゃありませんか。そして、そのことから、ある問題が生じます。二つの岸がついに手を取り合った時、川は潰れてしまってもはや川ではない。岸はもう岸ではない。二つの岸であった物、、、、、、、、、は自分がいったい何者なのかわからなくなってしまう。それで苛々するんです、進むべきか渋滞し続けるべきか。いずれにせよ甲斐のないことではないのか、とも。
「川とは何です?」
 私たちもそれを知りたいのです。
(p .30-31「葬儀の日」)
「夕方じゃ駄目なの?」
「駄目だね。空気が疲れてる。人の気配も消えていない。」
(p.140「乾く夏」)
この引用は個人的なもので(どの引用もそうに違いないが特に)、私は早朝の空気以外はゴミだと思っていて、その感覚を他者と共有できるものなのかどうか分かっていなかったのですが、松浦理英子が「空気が疲れてる」と書いてくれたことで、私以外にも同じようなことを考えている人がいた! と舞い上がってしまったのでした。とんでもない驕りかもしれないが、本当に嬉しくて鳥肌が立ったので。