平熱の君
畠山市立動物園をご存知ですか。畠山市の少し奥まった場所にある、広々とした動物園です。動物たちとの距離が近い動物園として大変人気で、平日休日問わず人の波が絶えることはありません。なかでも、ハシビロコウを見ることができる動物園は全国でも八箇所しかありませんので、そういった意味では貴重な動物園でもあります。
そう、そのハシビロコウです。一年前まで、畠山市立動物園のハシビロコウは一羽しかいませんでした。ハシビロコウのかりん(♀)です。園のアイドル的な存在で、公式SNSでもかりんの投稿は常に好反応を記録しています。のっそりのっそりと細長い脚を優雅に差し出しながら、胸はピンと張って気品高く、毎朝「ハシビロ園」へ登園するかりんの姿は特に目を引きました。かりんが「出勤」するのを、ファンは今か今かと待ちわびて、かりんのクチバシほどの大きさもある巨大なカメラを構え、じっと「ハシビロ園」を囲むのです。ハシビロコウは、日本でも十数羽ほどしか飼育がされていませんので、それぞれに固定ファンがつきやすいようです。かりんは日本全国のハシビロコウの中でも比較的有名なハシビロコウだったのではないかと思います。かりんを長年担当してきたベテラン飼育員がいたのですが、彼女がかりんに餌を与えながら、ハシビロコウにまつわるトリビアを語るトークショーは園の名物でした。
ところが一年前のある日です。ある朝、飼育員がケージを開けるとハシビロコウがもう一羽増えていたのです。かりんの隣に、全く見たこともないハシビロコウが我が物顔でしっとり佇んでいるのです。誰にも全く心当たりがありませんでした。慌てた職員たちは、はじめはその事実を隠そうとしたようです。しかしそう上手く事は運びませんでした。あるとき、その新しいハシビロコウは飼育員の目を盗み、かりんを追って「ハシビロ園」へ登園してしまったのです。かりんを待ち構えていたファンたち全員がそれを目撃しました。そして、突然の「新たなハシビロコウ解禁」に、全国の愛好家たちの間で激震が走りました。その衝撃はネットニュースへ、地上波のニュースへとぐいぐい波及していき、大勢の人々の知るところとなりました。なぜ事前に告知をしなかったのか? この新しいハシビロコウは一体どこからやってきたのか? 結局、園はその騒ぎを収めることができませんでした。さすがに「ある朝突然増えていました」とは言えず、「来園時から体調不良が続いていたため数年単位で秘密裏に隔離のうえ飼育されていたハシビロコウ」であるとぼかした説明がなされました。
実は、そのハシビロコウは私の姉なのです。馬鹿げた話だと思われるでしょうが、私はあのハシビロコウが姉であると確信しています。
話は二十年前へ遡ります。姉は、畠山市立動物園の飼育員として勤務していました。一方、私は主に動物を撮影するカメラマンとしてほそぼそと活動していました。「私たち、動物姉妹だよね」とよく笑いあったものです。私は休日でもよく動物園へ足を運びました。姉妹仲は良かったので、閉園まで時間を潰して姉を待ち、そうして退勤した姉とよく夕食を共にしていました。ある日、ふらりと入ったイタリアンのお店で、姉はこう切り出しました。
「実は、今度やってくるハシビロコウの担当になったんだ」
「へえ、おめでとう。お姉、鳥好きだし良かったじゃん」
姉は心底嬉しそうでした。私は、ハシビロコウが園にやってくることもそのとき知りました。ちょうど、ハシビロコウの知名度が上昇しつつあり、じわじわと人気が沸騰していた最中のことです。その後も姉は夕食のたびに「今日ハシビロコウがやってきたよ」、「あと二週間ほどでデビューできそう」、「公募で名前が『かりん』に決まったの」と逐一報告してきました。姉がハシビロコウのことについて語るときはいつも幸せそうで、この人はハシビロコウの飼育員になるために生まれてきたのではないかと常々感じ入ったものです。
かりんは華々しく動物園デビューしました。かりんのために、「ハシビロ園」が新設されました。若緑色のピカピカとした柵がぐるりと張り巡らされた園内には、アオキやカシワなどの草木が青々と生い茂り、ハシビロコウの生息環境を再現した沼地がつくられました。「ハシビロ園」のすぐそばにはアセビの木が植えられ、木陰に置かれたベンチから園内をくまなく見渡すことができました。かりんに配慮してか、奥まった場所に行くと客からはハシビロコウの姿は見えなくなります。そのあたりに飼育員の出入口や、寝室までの通路が設けられていました。かりんが初めて登園したときのことを、私は今でも覚えています。姉がかりんの後ろに立ち、少しずつ追い立てるようにして通路から出てきます。かりんはゆったり、ゆったりと、あの優雅な歩調で周囲を見渡しながら進み、彼女の園へとようやく登場しました。パシャリ、カシャリとカメラの音が絶え間なく響き、かりんはそれに面食らったようにも、興味津々なようにも見えました。遅れて姉が登園してきて、「ハシビロ園」を囲む来場客にぺこりと一礼します。かりんはそれに続くでもなく、マイペースに沼の方へと移動して、そしてそのまま動かなくなりました。「本当に動かないのね!」、「あ、いまちょっと動いたわ」といった声があちこちから上がり、来場客の賑やかさとは裏腹に「ハシビロ園」には静かな時間が流れていきました。しばらくは絶え間なく来場客がやってきて、「ハシビロ園」は常に盛況でした。時が経つほどに少しずつ落ち着いてはいきましたが、それでもどこか気の抜けない毎日だったのでしょう。次第に姉は「最近は悪夢をよく見て寝つけなくて……」と零すようになりました。私は、こうして勤務後に夕食を共にするのも疲れるだろうと気遣って、しばらくは夕食に誘いませんでした。姉のことは心配でしたが、私も本業が忙しくなり、出張が重なってなかなか姉には会えずじまいになっていきました。
それから数年経ったころでしょうか。今度は、久しぶりに姉の方から夕食の誘いがありました。来てみると、姉はなにやら神妙な面持ちでテーブル上のカトラリーをぼうっと見つめています。私のほうもただならぬ気配を感じて少し表情が強張ったことを覚えています。
「調子どう?」と恐る恐る聞きました。しかし返ってきたのは意外な返答でした。
「最近は、もう悪夢を見なくなったのよ」
「それは何より。……でもあんまり元気そうには見えないけど」
「元気よ、ただ引っかることがあってちょっとね」
姉が言うには「おかしな夢を見て以来、悪夢にうなされることがぱたりとなくなった」のだそうです。姉から聞いた話をまとめてみます。気がつくと、見渡す限りの闇がありました。自分がどこに立っているのかも分からなくなるほどで、強烈な不安に駆られたといいます。何かに追い立てられるようにしてしばらく彷徨っていると、遠方に何やらほのかに光るものがあり、たまらず駆け寄ったそうです。それは、神聖な光を湛えた沼地でした。この世のものとは思えないほど水面がきらきらと青緑色に光っていて、たいそう美しい光景だったといいます。暗闇にぽっかりと浮かび上がってきた沼地をしばし眺めていると、少し先に誰かいることに気が付きました。視線をあげると、沼地の淵にハシビロコウが一羽、じっと佇んでいました。姉はとっさに「かりんだ」と思ったそうです。きっと初めからそこにいたのでしょう。かりんは姉の方を一瞥したあと、水辺に視線を戻し、熱心に何かを探しているようでした。かりんは、沼をじっと見つめ狙いを定めています。しばらく、そんな静かな時間が続きましたが、それからは一瞬でした。あっと思う間にかりんがガバリと沼地にクチバシを差し入れ、バシャッと辺り一面に水滴が跳ね上がったかと思えば、そのクチバシには黒々とした巨大な魚が咥えられていました。姉はその魚に、得体の知れない気味の悪さを覚えたそうです。かりんは、その巨大魚を何度も空中で掴み直し、魚の頭をばりばりとクチバシで噛みならしてから、そのままぐっと丸呑みしてしまいました。そこで、目が覚めたのでした。
私はその話を聞いて、姉の悪夢をかりんが取り去ってくれたのだとしか思えませんでした。姉にそのことを伝えると「そんなものなのかしら、不思議なこともあるものね」と半信半疑のようでしたが。姉は少し鈍いところがあるのです。私は堪らず切り出しました。
「ねえ、お姉ほんとうに気づいてないの? かりんちゃんって絶対お姉のことが好きだよ」
姉は驚いたように私を見つめました。「好きって? そりゃ飼育員として一番懐かれているとは思うけど」
「そういうのではなくて、」
フリーランスは往々にして仕事と趣味の区別がつかなくなりがちですが、私もかりんを撮影することを趣味の一つにしています。そうしてカメラ越しにかりんを見ていると常々思うのです。かりんはきっと姉のことが大好きなのだ。好き、という気持ちが恋愛的なものなのか、友愛的なものなのか、そこまでは分からないのですが。懐く、ともまた異なって、好き、としか言いようのない大きくて温かい感情。
「惚れている、というのが正しいのかな」
姉を前にしたときのかりんと、そうでないときのかりんとでは、明らかに表情が異なるのです。これは動物カメラマンとしての勘がそう言っています。姉を前にしたときにだけ、かりんはなんとも言い難いあの平熱の表情のなかに、ほんのりと艶やかな色を滲ませるのです。確かに些細な変化かもしれません。それに、姉が気づかないのも無理はありません。姉に接するときのかりんは常にその状態なのですから。ハシビロコウは、やれ動かない鳥だ、何を考えているかわからない鳥だ、と言われがちですが、時間をかけて観察していれば驚くほど表情が豊かだと感じます。私の話を一通り聞いた姉は息を呑み、それから少し間を開けて「薄々気づいてはいるの」と答えました。しかし、あくまで「飼育員として」、かりんが姉にばかり懐いているようだと感じていたようです。姉は園内ではベテランの部類に入りますので、たびたびハシビロコウの育成について研修を行うことがあります。飼育員には定年もありますし、姉の体力も少しずつ下り坂を迎えるところでした。後進育成も飼育員としての大切な仕事の一つなのです。しかし、そうして研修生を迎えてかりんの飼育方法を伝授していると、かりんの機嫌が明らかに悪くなるのでした。
「こればっかりはどうしても駄目で困っているの。研修生を威嚇したりね……特に女性だとひどいのよ」
かりんがどうしても女性の飼育員が差し出した鯉を食べようとしないので、研修生は男性に絞っているのだと零しました。「本当はこんなことしたくないんだけどね」と姉はため息をつきました。
こうして指摘してみると、思い当たる節はどんどん思い出されたようで、そういえばこんなことがあった、あんなことがあったと会話が盛り上がりました。
たとえば、「ハシビロコウが見えない」とクレームが来たことがあったそうです。あんなに見晴らしの良い「ハシビロ園」でどうして? と姉は疑問に思い、遠巻きにこっそり「ハシビロ園」を観察してみることにしました。しばらくは何事もなく、羽繕いをしたり、沼の淵にじっと佇んだりと、ハシビロコウらしい動きを見せていたかりんでしたが、異変が起こったのは昼前でした。ちょうど、姉が給餌をする予定の時刻の一時間ほど前から、かりんはそわそわとし始め、「ハシビロ園」の奥まった通路——姉が給餌に来る出入口付近——で出待ちを始めたのです。確かにこれでは来場客からはかりんの姿が見えません。姉が給餌に出ると、出入口にかりんはいませんでした。沼地の方で、つんと澄ました顔で立っていました。それから、もうそんな時間ですかとでも言いたげに振り向いて、ゆっくりと姉の元へ近づいてきます。しかし姉からすれば、かりんがさっきまで姉が来るのを今か今かと待ち構えていたのは分かっています。そんなところに何食わぬ顔でかりんが悠長にやって来るので、大変愉快な気持ちになったそうです。給餌が終わり、それからかりんは姉にクラッタリング(ハシビロコウは、囀るかわりにクチバシをカタカタと鳴らします)をしました。そして、頭を下げて左右に振り、深々とお辞儀をしました。姉もお辞儀を返します。これはハシビロコウが親愛の情を示すときの行動だそうです。他の園では、機嫌の良いときには客に向けてお辞儀を返すハシビロコウがいるそうなのですが、かりんは頑なに姉にしかお辞儀をしませんでした。
また、こんなこともあったようです。ある休日に、姉はふと「ハシビロ園」の様子を見に行こうと思い立ったそうです。それで、自分が来たことがばれないよう、ありったけの変装をして向かいました。しかし、どれだけ変装をしてもかりんは姉のことを見破るのです。姉がやってくるのを目ざとく見つけると、カタカタカタとクラッタリングを始め、ふりふりとお辞儀をします。来場客からすれば、あれだけ動かない鳥と言われたハシビロコウが激しく動くものですから面白いようですが、どうして突然動き出したのだろうかと勘ぐられては姉もかりんも落ち着いてはいられません。それ以来、休日はなるべく「ハシビロ園」に行かないようにしているのだと姉は言いました。
「そこまで分かっていて、気づかないものかしらね」
と私が茶化すと、姉は曖昧に微笑みました。どこか淋しげな表情でした。
さらに数年が経ちました。姉も私も、変わりばえのしない日常を過ごしていました。時たま夕食を共にするのも変わらずです。ここ一年で立て続けに両親が他界したので、姉は私の唯一の肉親になりました。
「で、どうなの『平熱の君』は」
私は姉をからかって、かりんのことをそう呼ぶことがありました。いつも澄まし顔で、何を考えているか分からないかりんにはぴったりのあだ名だと感じたのです。もっとも、私はかりんの情熱的な部分も垣間見ていましたが。姉には、まだその点はぴんときていないようで、かりんのことをマイペースなお嬢様だと思っている節があります。
「そうねえ、かりんが話しかけてくるようになったの」
と姉は言いました。「え?」と聞き返しましたが、姉は「ハシビロコウの言葉がわかるようになった」と繰り返し主張します。ぼけ始めたのかしら、それにしてもまだ早いのではと困惑しましたが、姉は至って真面目でしたし、そう主張する以外には、目に見える衰えは感じられませんでした。そこで、とりあえずは話に乗ってみて「どういう話をしているの」と聞いてみることにしました。私がそう尋ねると、姉はうっとりと話し始めるのでした。
かりんってばものすごい皮肉屋さんだったの。ハシビロコウって、個体数が少ないからそれぞれにファンがつきやすいでしょう。飼育員からしても「ああ、またあのひと来てるわね」と分かるような常連さんが何人もいてね。その日も、かりんを熱心に推している女性客が来ていたの。それで給餌の時間になってね、わたしの手からかりんが鯉を受け取って食べていたら、その客がささやくように言うのよ。「今日は上手に食べれたね……」。それを聞いたかりんが突然わたしに話しかけてきたの。「今の聞いた? 今日『は』ですって! ああやってわたしのすべてを知った気になって悦に浸っているんだわ」って。それを聞いてもう思わず吹き出しそうになっちゃって。お客さんの前だから必死にこらえたけど。かりんはそれを見て何を思ったのか、こうも言ってきた。「わたしがたまに魚を捕りそこねるのはファンサービスなんだから。自分の役割くらい弁えているわよ」そうしてばさっと羽根を広げて広場を旋回するの。その後をカメラのシャッター音がパシャパシャと追っていって……少し前に言われた意味がわかったわ。確かにかりんって平熱なふりして情熱的かもしれない。
私はおかしくて手を叩いて喜びました。果たしてこれを姉の妄言だと退けられるでしょうか。私はすっかり姉の言葉を信じました。姉はそれからも、かりんとのやりとりを聞かせてくれました。ここで指折り話し始めると時間がいくらあっても足りませんからこのくらいにしておきますが、とにかく話を聞くたびにかりんという一羽のハシビロコウの輪郭がくっきりと彩られていくようで、私の人生の中でもこんなに楽しく、穏やかな時間は数え上げられるほどだったように思います。
さらに数年が経ちました。そのころの姉は目に見えて気分が沈んでいるようでした。理由は明白です。定年退職の日が近づいているのです。姉は、かりんが来てから他へ異動することもなく、担当替えもなく、かりんの専属飼育員としてほそぼそと園に勤め上げました。高齢を理由に、途中からトークショーを担当する飼育員は後任に引き継いだようですが、それ以外のかりんの世話は引き続き姉の仕事だったようです。というのも、かりんが「あなたが来てくれないなら、あのお遊戯会なんてめちゃくちゃにしてやってもいいのよ、きっと楽しいわ」と言い放ったらしいのです。それは困るとなんとか後任の飼育員を説得し、出勤し続けていると聞きました。姉はその話をしているあいだ楽しげでした。きっと後任も、定年退職を控えた姉のお願いは無下にできなかったのでしょう。「もうすぐ辞めていなくなるのだし、独身で身よりもなくて他に楽しみもなさそうだし、それくらいのわがままは聞いてあげよう、とでも思っているのかもしれないわ」。姉は自虐的に言い放ちました。私には、なんだか姉がかりんに似てきているようにも思えました。体力的にもきつくなっているでしょうに、姉は毎日のように「ハシビロ園」へ出勤し続けていたのですから頭が上がりません。
最後に姉と会ったのは、そんなある冬のことでした。その日は、外食ではなく私の自宅に姉がやってきました。姉は私を見るなり泣き崩れました。突然のことに私も狼狽しましたが、玄関で倒れ込むようにして泣く姉をなんとか部屋に招き入れ、温かい紅茶を出しました。しばらくして少し落ち着いたのか、姉はぽつぽつ、と語り始めました。
閉園の準備をして、かりんを寝室へ誘導したときだった。「抱きしめてよ」と声がしたの。振り返ると、かりんがいつもとは違った様子でこちらを見つめていた。青い瞳が震えているような気がした。「人間ならそうするんでしょう」とかりんは続けて言ったの。どこで知ったのかしらね、そんなこと。何も言えないわたしに、かりんはカタカタカタ……とクチバシを鳴らしてこう呟いた。「人間の事情だってわかってるつもりよ。もうすぐあなたいなくなるんでしょう」。わたしは思わずかりんに近づいて、そっとお腹のあたりを撫でたわ。熱いくらいだった。膝をついて、何度も何度もかりんを抱きしめた。それで思い出したの。人間の平熱は三十六度前後。対して、鳥のそれは平均して四十から四十二度もある。かりんはずっと、わたしのことを、わたし以上に愛してくれていたのね。
姉は嗚咽を漏らしました。私は何も言えず、姉の背中をさすってやることしかできませんでした。その日はもう遅いからと姉を泊め、夜が明けて彼女が発っていくのを、ただ黙って見送りました。私が彼女の姿を見たのはこれが最後になりました。
姉の失踪は突然でした。畠山市立動物園を定年退職し、一週間ほどが経ったころでした。しかし、私にはそれが起こるべくして起こったもののように思われました。警察に捜索願は出しましたが、それきりです。しばらくは姉の自宅の家賃を肩代わりしましたが、一年が経ってついに引き払うことになりました。姉の部屋は、必要最低限のものしか置かれておらず、片付けはあっという間でした。少しずつ姉の生活を解体していく、そんな日々を過ごしていると、なんとなく動物園に行くのも避けるようになっていきます。姉はもうこのまま見つからないだろう。そんな予感がひしひしとありました。
しかし、そんなところにあのニュースが飛び込んできたのです! ある朝、畠山市立動物園に突然増えていたハシビロコウ。私は膝から崩れ落ちました。ああ、本当によかった! 姉はかりんと生き続けることができたのだ。私は歓喜に打ち震えました。すぐに畠山市立動物園に向かい、人混みでごった返した「ハシビロ園」の前へと急ぎました。いました。二羽のハシビロコウが、カメラの前で並んで堂々とポージングしていました。私にも、かりんのからかうような声が聞こえてくるようでした。
「わたしたちを思う存分撮るがいいわ、それがお望みなのでしょう?」
二羽のハシビロコウは仲睦まじく、互いにお辞儀をしあい、カタカタとクチバシを鳴らして、のびのび生きていました。その姿のまぶしいことといったら。なぜだか見てはいけないものを見てしまったような気もして、私は後退りしました。しかし、向こうが私に気がついたのです。目が合いました。それで確信しました。まぎれもなく、目の前のハシビロコウは私の姉なのです。姉が近づいてきました。ゆっくりと、ハシビロコウのあの気品高いウォーキングを見事に身につけていました。姉は私の前でひたりと立ち止まり、そしてゆっくりとお辞儀をしました。遅れて奥からかりんもやってきて、深くお辞儀をしました。「姉をもらっていきます」と言われたような気がしました。それから二羽はゆっくりと私の元を離れていきました。アセビの花がさらさらと風に揺れています。かりんと姉は「ハシビロ園」を優雅に並んで歩くと、沼の淵に佇んでそのままじっと動かなくなりました。私はその場から離れることができず、いつまでもいつまでも柵の外から彼女たちを眺め続けていました。
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