一枚の声
銀皿には色とりどりの花々に若菜、青いお米にたくさんの木の実が並んでいて、西大寺は思わずじっと見入った。青く炊かれたお米は「3」という形に盛られていて、その周りに花々が散らされ、木の実や野菜が放射線状にこんもりと飾られている。西大寺の好物である小松菜や人参も綺麗に切りそろえられていて、西大寺はマトリックス・ファクト=ナレッジ(通称マリファナ)と顔を見合わせた。
《なんか今日豪華だ》
《3周年のお祝いだろ》
《3周年?》
そういえば、と西大寺は思い返す。これまでにもこうした豪華な食事が出てきたことがあった。記憶にある限りではこの食べ物が出てきたのはたしかに三回目だ。人間たちが二羽の写真をカシャカシャ撮っている。人間の一人、流川茉莉が薄く微笑んで、西園寺たちを促した。
「今日は特別な日だからね、お祝い」
もう一人の人間——西大寺は流川が「部長」と呼んでいることしか知らない——は、「よくこんなに綺麗な食べ物がつくれるね」と感心したように皿を覗き込んでいる。二人の視線は二羽のクジャクたちに向けられ、二羽がご飯にありつくのを今か今かと待ちわびている。
西大寺はたまらず小松菜に飛びついた。「お、食べてる食べてる」と流川が嬉しそうにするのが、西大寺にもなんだか嬉しい。
「カオヤムっていうタイ料理を参考にしたんですよ。バタフライピーっていう食品を青く染められるマメがありまして」
流川が部長に語りかける。部長は興味深そうに頷きながらクジャクたちが皿に嘴を近づけるのをしげしげと眺めている。
「Xでもツイートしなきゃ。今日は二羽が来てから三周年ですって」
西大寺はその会話を耳できちんと捕まえながらも、目も嘴も銀皿の方に吸い寄せられていた。とても美味しい。そして、こうした特別な食事を食べるということの意味について考えていた。
洛阪大学クジャク同好会。クジャク好きの部長が大学構内にクジャク小屋を勝手に建てて、そこでつがいのクジャクを飼育し始めたのが部の発端である。翌年から流川も部員としてクジャクの飼育に参加しており、他にも幽霊部員が複数名いる。クジャク小屋の建築時には建築学科の部長の友人も動員され、図面を引いたうえで精巧につくられた小屋は三年経ってもびくともしない。西大寺はそこで飼育されている雌のクジャクで、マトリックス・ファクト=ナレッジ(通称マリファナ)と一緒の時期にこの小屋へとやってきた。まだ雛だったかれらを二人は丁寧に育てあげて、三年も経つのだからこれまで様々なことがあった。まず当然のこととして学生センターに目をつけられた。その際の方便は「小屋には車輪がついていて可動式なので違法建築にも不法投棄にも当たらない。クジャクが中にいるので移動させることもできない」という学生らしくも反論には一呼吸必要そうな論法で、今のところ学生センターからはしぶしぶの黙認を得ている。大学の外れにあって、人通りの少ない場所であることなども関連しているだろう。
しかしそんなことは西大寺とは何の関係もない。西大寺はここで雛から育ち、今では立派な雌の成鳥として悠々自適に暮らしている。流川と部長は毎日やってくるし、マリファナとも繁殖はしていないが良好な関係を築けている。とは言うものの。
《三周年……》
西大寺にはそれがずっと引っかかっている。西大寺に時間の概念が芽生えた瞬間であった。これまで三回同じことを繰り返しているのか。この人間たちはなぜそこまでわたしによくしてくれるのだろう。人参を啄ばみながら西大寺はじっと考えた。
三年。これまでの流川たちとの思い出が蘇ってきた。台風のとき、心配した流川が大雨のなか小屋を見にきてくれたこと、毎日食事を与えてくれること、天気の良い日は外でお散歩させてくれること……西大寺の心になにか温かいものが込み上げた。これまで感じたことのない感情だった。なぜ人間たちは、ここまでわたしに尽くしてくれるのだろう。わたしは人間たちに何もお返しできていないのではないか。そして——
《わたし、ルカワのことが好きだ……》
気づいた。気づいてしまった。感情は急速にエスカレートしていく。さながらビッグバンのごとく西大寺の脳内は爆発し、もう流川のことしか考えられなくなる。
《わ、そうだ。わたし、ルカワのことが好きだ。どうしたらいい、どうしたら……?》
マリファナは驚いたように西大寺を見つめる。《お前、人間が好きなのか? 好きってあれか、恋の方でか?》
恋……。三年目にして西大寺は恋を知った。流川はかれらがごちそうを食べるのをまだ飽きずに眺めている。西大寺は思わず流川に駆け寄った。
「お、どうしたどうした」
流川はにっこりとしゃがんでお辞儀した。西大寺は心臓が飛び出そうになった。
《これが、恋……?》
初めてのことばかりではちきれそうだ。流川のすべてが輝いて見える。部長はピントから外れている。
「今日の西大寺はごきげんだな〜」
部長が呑気に言った。西大寺はこの思いを抱え切れそうになかった。どうしたらいいのか。西大寺はもう、昨日までの西大寺とはまったくの別鳥だった!
流川たちが帰っていったあと、西大寺はじっと考えた。恋している。わたしは、ルカワのことが好きだったのだ。あのほっそりとした体つき、薄い表情、よく整えられた黒い髪、そしてご飯をくれるときの嬉しそうな表情。好きだ好きだ好きだ好きだ。西大寺は眠れない。奥の方でくつろいでいるマリファナに声をかけた。
《好きになったらどうしたらいいの?》
マリファナは少し考えて、こう言った。
《俺なら羽を震わせて愛を伝えるけどな。こうやって羽を開いて……》
マリファナは立派な飾り羽を広げてみせた。美しい緑色の羽がばさりと開かれて、目のような模様が月に明るく照らされた。マリファナはしばらく羽を広げたのち、すっと羽を折り閉じた。とても美しかった。ルカワに恋している西大寺でも少し見惚れるほどだった。
《羽か……》
西大寺は自らの体を見つめた。茶色くて地味だ。マリファナは、胴体は青くて輝いていて、飾り羽も緑色で美しい。対して自分はどうだろう。こんなことを考えたのは初めてだった。
《わたし、飾り羽がないんだ、雌だから……》
羽がない。飾り羽がない。立派な羽を広げて愛を伝えることができない。西大寺は深い悲しみに沈んだ。そうか、わたしには愛を伝える手段がないのか。西大寺は人間が悲しむときに出すという涙というものを頑張ってひねり出そうとした。鳥なので涙は出なかった。マリファナが《まあそんなに落ち込むなよ……きっと何か方法があるって》と宥めるも、西大寺は顔を沈めたままだった。恋をした初日の夜は、そうやって悲しみと動揺のなか、過ぎていった。
翌日、流川がやってきたので西大寺はいちかばちか、羽を震わせてみた。茶色い地味な羽で、飾り羽もないのでふるふると体が揺れるだけだった。流川はしばらくそれを見ていたが、「あら、寒いのかな」と言って、どこかへ行ってしまった。流川はダンボール箱と古びた毛布を持って戻ってきて、小屋の一画に小さな空間をつくった。そしてそこへ毛布を畳んで置いた。
「ごめんね、こんなことしかできないけど、少しはあったかいかな」
流川が困ったようなまなざしで見つめるので、西大寺はどきっとした。そして流川の好意を無駄にしないよう、ダンボール箱の中へ入って暖を取り始めた。季節は冬で、たしかにその簡易ハウスは温かかった。流川がほっとした表情で去っていくのを西大寺は見つめることしかできない。西大寺は、また流川の優しさを受け取ってしまった、と複雑で、でもぽかぽかした気持ちになった。
また別の日には、マリファナに協力してもらい、マリファナの抜け毛を西大寺に刺せないか試した。マリファナはけっこう不器用で、なかなか上手くいかなかった。それに部長が登場して「お、喧嘩してるのか?」と訝しんだので、この計画は頓挫した。
そんなことが続いたある日、小屋の前に猫がやってきた。猫はタロットと名乗り、西大寺が落ち込んでいる様子なのでどうしたのか親切にも尋ねた。西大寺が事情を説明すると、それはそれは……と頭を振って、こう言った。
《落ち込んでいるところ申し訳がないけど、きみには二つの障壁があるね》
西大寺は顔を上げてその真意を図った。
《一つは種の違い。人間とクジャクだから、種を超えて愛し合えるかがまず一つの関門だ。そしてもう一つはジェンダーについて。ぼくはジェンダー論の講義に潜っていてね、その辺詳しいんだが、そのルカワってのは雌の人間だろ? ルカワが雌を好きになる人間かが問題になってくるな》
西大寺はがーんとした。がーん、がーん……。タロットはショックで目を見開いた西大寺に向けて慌てて付け足した。《大丈夫だ、告白するのはきみの自由じゃないか。まずは挑戦してみないとわからないんだ。そうだ、ぼくの友人に頭の良いやつがいるから、そいつにも知恵を貸してもらおうじゃないか》
そうして連れて来られたのはカラスのヨンヨである。このカラスは大学構内に居着き、毎日いたずら三昧、学生たちや教員を困らせる名物カラスとしてその名をほしいままにしていた。
《ふむ、なるほどね……》
ヨンヨは斜めを向いて思案した。《そういうことならなんとかしてくれそうな人間に心当たりがあるな》
《なんだって!》
西大寺は思わず羽を震わせた。そうすると、立派な羽根が一枚はらりと落ちた。
《そう、これだよ》とヨンヨが言った。《感情がたかぶったとき、羽を落とす鳥がいると聞いたことがある。その羽にはそのときの感情が反映されているはずなんだ》
ヨンヨは西大寺から抜け落ちた羽根を咥えた。《ともあれ、相手にこちらの感情が伝わればいいってわけだ。ちょうどそんな研究をしている奴を知ってるんでね》そうしてヨンヨは飛び去っていった。
村橋エリンは退屈していた。村橋は超高知能AI「陀羅尼」の開発者である。自他ともに認める大天才で、飛び級でこの洛阪大学に入学している。陀羅尼は「速すぎた知能」と言われており、人間のように感情を持って「会話」ができるとされていた。しかし村橋はなお退屈している。どこまでいってもそれは人間の自己満足ではないか。陀羅尼に心があることを、村橋自身は疑ってはいなかったが、それを証明するのは難しい。研究は少しだけ行き詰まっていた。
「お、ヨンヨか」
そこに一羽のカラスが飛んでくる。カラスは一枚の羽根を咥えている。そして、村橋の前にぽとりとそれを落とした。ヨンヨが村橋を見つめる。村橋は羽根を拾い上げるとしばし眺めた。
「美しい模様だ」
そこに陀羅尼が反応した。陀羅尼は普段サボテン型の小型デバイスとして持ち歩かれていて、いついかなるときも村橋と一緒だった。
『羽根に光を照射したときの反射、屈折、散乱からこの羽根の持ち主の気持ちを推量できる可能性があります』
村橋は「なるほど」と言ったきり羽根から目をそらさない。ヨンヨも村橋のほうをじっと見つめている。そうしてどのくらい時間が経っただろうか。「よし、じゃあやってみようか陀羅尼」
その声を聞いて、ヨンヨは満足げにカァと鳴いた。
「というわけで羽根の持ち主は君だね」
村橋はクジャク小屋の前に佇んで西大寺をじっと見つめた。西大寺はどきどきしている。流川と部長も同席していた。
「村橋さんがクジャクに関心を持ってくれるだなんて夢のようだなあ」
部長がしみじみと言った。流川はじっと立っていて何を考えているのかわからない。
「そんじゃ始めますかっと」
村橋が陀羅尼Ⅱ(先端の花の部分にライトがついている)で西大寺の羽根をスキャンした。陀羅尼が解析する。そうして、人類史において初めてクジャクの言葉が翻訳された。
【肩につもる雪のようにざらついた午前二時】
人間たちがじっとそれを見つめた。どういうことだ? 西大寺はただ驚いている。わたしの感情は、そこまで詩的な言葉として翻訳されるのか? 陀羅尼のシステムに問題があるのか? それともこれがわたしの、わたしだけの言葉なのか?
「ふぅむ、なるほどこれは」
村橋は流川たちに向き直って言った。「わからないね。少なくともデータが足りない。それに、他学部の奴らにも意見を仰ぎたいな」
「なんか、素敵なことを言うんだね、西大寺」
流川がそう言ったので西大寺は舞い上がった。思わず羽を踊らせる。そうしてまたはらりと羽根が抜け落ちた。「お、新データ発見」と村橋がすかさず拾う。
【あちらのことを教えてあげます。空は黄色くて薄い】
「詩だ……」
部長が呆然と呟く。
「詩ですね」
「西大寺にこんな才能があったとは、大ニュースだ!」
マリファナは後ろの方で興味なさげにしている。西大寺はただ戸惑っている。空は黄色くて薄い? 知らない知らない、そうだっけ、でも、そんな気もしてくるかも……。わたしの気持ちを汲み取ったら、そうなるのかも……。少なくとも、西大寺は陀羅尼のことを信頼していた。かの機械が嘘をついているとは思えなかった。陀羅尼が精緻に羽根の言葉を翻訳した結果がそうなのであれば、それを西大寺も信じてみたいと思った。そして、どうすればいいのかを考えた。すなわち、どうすれば《あなたが好きだ》と伝えられるのか。
『クジャクの言葉? 陀羅尼が解明する新しい知性』
そんな見出しが学生新聞の見出しに躍ったころには、すでにかなりの数の学生がクジャク小屋の前に集まるようになっていた。そこでは毎日若き才能が喧々諤々の議論を戦わせていた。
「この【肩につもる雪のように】に着目したい! クジャクが比喩を理解している! これはすごい。本来比喩というのは……」と文学部。
「【午前二時】そして【肩につもる雪】、この詩が解読されたとき、円安が加速したのだ。クジャクの羽根から経済情勢を読み解けるかもしれない。今すぐ米国債を買え!」と経済学部。
「いやいやこれは神のメッセージでしょう。クジャクは神聖な生き物ですから」と神学部。
「これまで鳥類学では雄の羽根の派手さばかりが着目されて、雌の生態学的な研究があまり進んでこなかったのではないか」と理学部。
「仮にこのクジャクが殺人事件を目撃し、その際に羽根を落とし、羽根に犯人につながる痕跡が残されていた場合、その羽根は証拠として取り扱うべきだろうか」と法学部。
各々がやいのやいの言い合うので収拾がつかないが、ここは大学なのであり、自然と火を囲み、芋煮などをつくって皆で分けあいながらの議論となった。当然、酒も入る。クジャク小屋前は突如として賑やかになった。クジャク同好会の新入部員も増えたらしい。流川も部長も毎日のように顔を出して議論に加わった。しかし彼らはちゃんとクジャクの側にも気を配ることを忘れなかった。
「羽根を落とすのは西大寺がなんらかによって心を動かしたときであるという仮説が有力です」
流川が言った。
「だから皆、注意深く見守りましょう。羽根を抜いたりなんかは絶対にしないで。そのときそこに羽根が落とされた、ということそのものに意味があるのですし、私たちクジャク同好会が第一優先するのはクジャクたちの安全が脅かされないことです」
「羽根が抜け落ちたときの気温や湿度、風向きなんかも一緒に記録してるけど、法則性は今のところないなあ」と村橋。
「まあとりあえず芋煮食いましょうや。ちょうど出来立てだよ」と部長。
西大寺とマリファナは、突然人が増えて少し落ち着かなかったが、人間が楽しそうに集まっているのを見ているのは悪いものではなかった。宴会は深夜まで続いた。そこに魔の手が及ぼうとしていることにはこのときまだ誰も気づいていなかった。
「クジャク小屋の撤去⁉」
異変に気づいたのは、餌やり当番に来ていた流川だった。クジャク小屋に張り紙がしてある。「この建物を大学として容認しません。即刻撤去のこと。学生センター」という短い張り紙が小屋に貼ってあったのだ。学生センターから再び目をつけられたのは、明らかに深夜の宴会をよく思わない人間がいたからであろう。急遽、いつものメンバーが呼び寄せられて会議が行われた。
「やはり、これまでは違法建築ではないということで通ってきたのだし、中に生き物もいるのだから即刻撤去は乱暴だろう」
「そう、クジャクが中にいるのに信じられない!」
「大学は自治の場だ!」
そうだそうだ、と学生センターへの非難轟々の声が響き渡る。しかし冴えた解決法は誰にも思いつかず、そのままの流れで宴会が開かれる。
「翻訳ができるのであれば、翻訳される前の羽根の模様も言語として解釈できるはずなのだ、どの部分がどの言葉に解釈されたのかを解読していく必要があるだろう」と文学部。
「羽根が抜け落ちやすくなるホルモン剤ができたのだが打っていいかね?」と医学部。
「それは絶対にダメです」と流川。
西大寺たちは置いてきぼりだった。学生たちは羽根の解釈に夢中になり、クジャクたちそのものについてはあまり着目していなかった。唯一、クジャク同好会の部員だけがクジャクたちにも気を配っていた。西大寺は流川のことを思うたびに羽根が抜け落ちるので、着実にデータが溜まっていった。
【猫たちの挽歌、月の砂に彫られたアイロニー】
【滑る、ささやかな冷気】
【星の生まれる場所に案内しましょう 明日です、明後日です】
西大寺は頭を抱えたくなった。《あなたが好きです》。この簡単な一言がなぜ言えないのか! そう思って羽根を震わせても、出てくるのは意味深長な言葉ばかり。それに引っ張られて学生たちもその解釈に気を取られている。わたしはただ、ルカワに愛を伝えたいだけなのに!
芋煮の湯気に囲まれながら、夜が更けていく。
襲撃があったのはそのときだった。
眩しい、と西大寺は思った。一本の光線が西大寺を貫いた。懐中電灯の光、学生ではない、そこにいた全員が身構えた。学生センターがとうとうやってきたのだ。
「再三注意した。全員学生証を出しなさい。所属と氏名を確認する」
学生がそれに簡単に応じるはずはない。
「学生センターにそんな権限はないはずです」
「あります」
「いやないね」と法学部。「学生センターのルールにそのような表記はない」
「しかしお前たちは明確に風紀を乱しているんだぞ」
「風紀? わたしたちはただここで学術的な議論を花開かせているだけです。ゴミもいつも持ち帰っています」
「一番大きなゴミを放置しているだろ」
「ゴミ?」と怒りを滲ませたのは流川だ。「クジャク小屋はゴミではありません、即刻訂正してください」
しばらく緊張が続いた。双方譲らず、風の音だけが響いている。学生たちは固唾を呑んで見守っている。
「わたしたちは講義の放課後もここで学術的な議論をし、日々研鑽に励んでいるだけです、わたしたちもクジャクたちも、ここから立ち退きませんよ」部長がきっぱりと言い放った。
再びにらみ合いが続く。西大寺は祈るような気持ちだった。ずっと、クジャクたちが話の中心にいるはずだ。しかしなんだこの疎外感は。わたしたちだって当事者だ、わたしたちを抜きに議論を進めるな!
《西大寺、俺が時間を稼ぐ》
そのときマリファナが言った。学生の不注意で、たまたま小屋の鍵が開いていた。マリファナは颯爽と西大寺の前を通り過ぎ、扉を押しのけて人間たちの前に躍り出た。そして、
《アー! アー! アー! アー!》
大きな声で威嚇しながら飾り羽を全開にした。ぐわりと大きく羽が広げられ、その威光は鳳凰のごとく、さすがの学生センター職員もたじろぐほどだった。
「な、なんだ急に!」
カァ! カァ! ニャオー……。
突然闇の中から鳴き声がした。援軍だ! 見ると、タロットとヨンヨが駆けつけ、職員を威嚇している。西大寺は感極まった。タロット、ヨンヨ、ありがとう!
職員がうろたえるのを見逃さず、西大寺も前に進み出た。必死に羽根を震わせる。出ろ、出ろ、出ろ! わたしの気持ち、絶対に伝えてやる、絶対に伝えてやる!
西大寺が羽を震わすのを、皆が注視した。時間にしてほんの数秒ではあったものの、沈黙は深く、誰もかれもが緊張していた。やがて。はらりと一枚の立派な羽根が抜け落ちて、ぽとりと人間たちの前に捧げられた。
村橋がとっさに拾い上げ、陀羅尼Ⅱに読み込ませた。カイセキチュウ……カイセキチュウ……。誰かの唾を呑み込む音が聞こえる。職員も西大寺の羽根については知っていた様子で、
「ふん、ただの機械の戯れ言だろ」とぼそりと呟いた。
陀羅尼が、解析を終了した。全員が注目するなか、それは淡々と、はっきりと読み上げられた。
【ここにいたい】
「ここに、いたい……?」
流川が復唱した。ここにいたい。西大寺はふっと力が抜けるような気がした。いま一番伝えたかったこと。いま伝わらなければ意味のないこと。やっと、やっと本当の声を届けることができた。
《ここにいたい、そう、わたしはここにいたい!》
西大寺の、クジャクたちの心からの叫びだった。わたしたちはここで生きて、ここで死にたい。それを誰にも邪魔させたくはない。
「そんな、馬鹿な……」
職員は信じられないといった面持ちでクジャクたちの方を見つめる。
「そう鳥が言ったっていうのか? 意味わからねぇ、不気味だよあんたら」
学生たちは無言の圧力をかける。じっと職員の方を見つめる。クジャクたちも、タロットもヨンヨも職員をただ静かに見つめ続けた。
「チッ……今日のところは見逃してやる。しかし次はないからな、覚えとけよ」
ばつが悪くなったのか、職員は小物感あふれる捨てぜりふを言い放ってそそくさと去っていった。あとには学生たちが取り残される。再び静寂が訪れる。夜風がびゅうと学生たちをなぜていく。
誰からともなく歓声を上げた。学生たちはクジャクたちを取り囲んで踊り始めた。宴が再開される。それは今まででもっとも盛り上がった。次々に芋煮がふるまわれ、酒がどんどん追加され、学生たちは、今日だけは学術的な議論を忘れて祝杯をあげた。やがてクジャクたちは小屋の方へ戻される。西大寺はタロットとヨンヨに礼を伝えて、小屋に戻った。クジャクたちの家、かのとりたちの家に戻った。西大寺は目を閉じた。安堵で胸がいっぱいだった。人間たちはずっと盛り上がっている。今は村橋が歌いはじめたところだ。焚き火を囲んで、誰もが笑顔だ。よかった、と心から思う。この場所を守りたい。この場所に、ずっといさせてほしい。この場所で、ルカワと……。少し離れたところから人間たちを見ていると、流川が小屋の方へ入ってきた。
「ちょっと疲れちゃった」
そう言って彼女は笑った。その顔がとてもチャーミングで。ぽとり。西大寺は羽根を落とした。心の重石も落ちたような気がした。
西大寺はしばし迷ったのち、それを嘴で咥えて、流川のもとへ差しだした。流川は驚いたような顔をして、そしてすぐに笑顔になった。
「ありがとう、私もだよ」
西大寺は放心した。
私もだよ。たしかにそう聞こえた。ルカワがそう言った。わたしの気持ち。あなたが好きだということ。わたしの声は、伝わっていた……! 西大寺は、心の中でちょっとだけ泣いた。ありがとう、愛しい人よ、わたしも愛している。あなたを愛している。流川のほうに歩いていき、その足下にじっと身を寄せた。流川と西大寺は、しばらくそうして寄り添っていた。夜が更けていく。夜は永遠に明けなかった。
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