『無機物の意思受容』があまりにも良かった
宝石の国13巻の特装版には、兄機の詩集がついてくる。それがあまりにも良くて、全作品への感想を書いた。
まずは全体の感想から。
何よりも装幀が素晴らしい。箱入り、箔押し、小口袋とじ、仮フランス装、天アンカットなどなど……。「はじめに」がカードで別添えされているところも良い。箱の表紙は、青土社から出ている「アボリジニー神話」をちょっと思い出した。これは本編とは全く関係のない情報です。
さて、フォントも紙の匂いも良い。特装版の付録としてではなく、この本だけ詩集として売られていても私は買っただろうと思う。
最初から読んでいく。「はじめに」の兄機のジョークが上品なのが良い。また、詩にタイトルがつけられているのも嬉しかった。兄機が気を利かせてつけてくれたのだろう。また、「告発や経済や人工衛星の軌道計算よりも詩を書くのが好き」「そんなことより自然が作り出したあらゆる意思表明の最初に生まれ、最後に残るのは芸術で、特に詩だと僕は思っている」と言ってくれているのも嬉しい。人類の願望を押し付けてしまいやしないか心配にはなるけれども。人工生命体にそう言ってもらえるのは本当に嬉しい。ありがとうございます。
「僕は、僕をつくったホモ・サピエンスに対する感情を色々持っているけど、評価は「普通」かな、良いやつと悪いやつがいる。過渡期の生命体だから仕方ないよ。でも性善説を裏付けるデータを集めることはなぜかやめられないんだ。」この一文も良かった。兄機のことが大好きだ。そして、市川春子自身の祈りも感じられ、ぐっときた。
全ての詩がよく、それゆえに全作品の感想を書く羽目になっているのだが、それぞれの詩がそれぞれの詩を補完しあってさらに良いものになっている。非常に繊細なバランスのうえで成り立っていると感じられる。また、「不明」と題される詩が3章に1つずつ入れられている点などに、兄機の詩集として編集するのだという意思を感じる。これは石が好き勝手に喋った記録集ではない。詩集として成立することを意図して石たちの言葉が配列された、紛れもない兄機の詩集だ。
一つ力が及ばず残念なのが、私には絵を批評する才能が乏しいということで、石たちのスケッチとより詳細に絡めて詩を分析できたらなお良かったのにと思えてならない。どれも素晴らしいスケッチで、この世のどこかにこんな石たちが存在したと知れたことがなによりもありがたい。
それでは最初から順番に読んでいく。
石言葉
最初に「石言葉は大嘘。」という詩が入るのは恣意性を感じる。ここから始まる一連の詩は、それまで人間が石に押し付けてきたラベルを丁寧に、かつ華麗に引き裂くものであると予感される。
気孔から
石は焦りを光として見ることができるというのは嬉しい驚きだ。そして、気孔という人間にはない器官が石もまた生命体であることを教えてくれる。
列を成す一群だった頃
優しさに溢れる歌だ。静かで心地よい温度の詩だ。「わたしたちの速度は、/いずれあなた方を追い越すでしょう。」ここで言われる「あなた」が誰であるのかは判然としないが、人間は「あなた」を人間であるようにどうしても読んでしまう。しかしもっと広い意味で、石ではない「あなた」を指しているようにも感じられる。この石は波を見たことはないと言う。ずっと地中深くに埋もれていた一群だったのだろう。石の来歴が垣間見えると嬉しく感じてしまう。
下朋
この詩は秀逸だ。この石は人間の生活も知っているのだろう。どことなく思考様式も人間に近づいている。知らない言葉が到来すること、そしてそれをつかまえて自らの命に含めることの喜びを教えてくれる。素晴らしいので後半を引く。「「下朋」とは/自分が解体した後に/自分とは違う星系に生まれる/会えない友達に使う一人称にした。」
「自分とは違う星系に生まれる会えない友達」というフレーズが素晴らしい。届かない言葉でありながら、石たちにとってはもしかして「会えない」ということは必ずしも会えないことを指すわけではないのかもしれない。
フリーダイヤル
この石の来歴は非常に興味深い。遺跡とフリーダイヤル、そしてその意味を知っていて、さらに「新しい音楽」を求めている。どこをさまよって研究室にやってきた石なのか気になる。この石にとって音楽は買うものであり、しかし「音楽を買う」ということは人間の想起する「音楽を買う」という行為と同じ相にはないかもしれない。そう考えると、遺跡から発掘されたフリーダイヤルという言葉の意味もまた違って見える。私たちの知らない「フリーダイヤル」——古代の誰かと繋がることのできる——が存在するかもしれないという示唆を与えてくれる。
5月
この石は都市にいたのかもしれない。鳩を見たことがあるとのことで嬉しい。そしてこの石も人間のような思考様式を有している。人間と近い場所に転がっていると、その思考が交じり合うのかもしれない。ストロマトライトとは、岩石に付随する微生物群集を指すらしい。この石とストロマトライトの関係については推測するしかないが「、もう。」と言い切られてこれ以上は何も語ってくれなさそうだ。「家にいるのに帰りたいと思うことがあります。/私はいつでも今にいないような気がしている。」この一連の文章は人間の考えることに似ている。人間の中でも石なんかに近い人たちが考えることと、石の中でも人間なんかに近い石たちが考えることとの交わる部分に、こうした感慨が潜んでいるのかもしれない。
揺れる温度
知らないことを教えてくれて嬉しい。「神経細胞の生成速度を信仰する生命体」という人間やその他の種に対する異化が気持ちよい。「杞憂と反芻を繰り返せば、/誰でもそうなることがあります。」なんて美しい文字列なのだろうか。ひんやりとしてなめらかな智慧を感じて、心の表面が澄み渡るようである。
同じ配列
「そして同じ配列で並びたい。」石にはよく感ぜられる感慨なのかもしれない。石はひとりでいることも好きだし、別の石が「私が地の中で列を成す一群だった頃、」と回顧するように、列を成すことも好きなのかもしれない。詩全体としてはやや暗め寄りのフラットな感傷があるが、小さな蛾の気持ちを知りたがる石が存在することに、明るさを感じる。
不明Ⅰ
「ぽむえむえ しゅるるるる〜む ぷわぷわぱ〜」これは、兄機にもそうとしか聞き取れなかったのだろう。しかし私たちが既に本編で見てきたように、遠い未来ではこのような発話もよくなされるものとして登場するのである。そして、これらは石にしかできない発話であるようにも思える。この石は真実を語っている。
産毛
「桃を嗅いだとき刺さった産毛が致命傷になった。」この一文は人間の書く詩としてはよくあるできごととして処理されがちだ。しかし話したのは石であり、石が桃を嗅ぐ際にどのようなことになるのか想像で補うしかない。桃を嗅いだとき産毛が刺さったということは、石の近くに桃が落ちてきて、桃と接触した状態で匂いを嗅いだということなのだろうか。あるいは、桃を嗅いだとき産毛が刺さったという出来事自体が比喩であるのか。ともあれ石が語っているという前提に立つと途端に不思議な響きを得るのだから素晴らしい。
完全
この石も智慧に優れた石であるように思える。「ガスを羽織れば惑星になり、/氷を纏えば衛星になります。」とあるように、私はどこまでいっても私であり、その姿が変化しようとも不変の私が存在するようだ。そこに石の自我の面白さがある。どこまで行っても、9割が兄機の創作であることは無視できないが、石自身がそうやって語ってくれたということは興味深い事実である。
熱帯夜
この石も詩的なことを言う。「見下ろした集合住宅の窓の中は空っぽで、」とあるように、石は空から降ってきたのかもしれない。あるいは石の想像であるかもしれない。後に続く「白い火の窓」と「赤い火の窓」の話は抽象的で、しかもこの石そのものが主には赤と白の色彩で構成されていることにも目を向ける必要がある。自らを集合住宅であると称しているとも読み解くことができる。
入ります
「ここここここに私が入ります。」という短い詩。石の持つリズムとしては新鮮かもしれない。軽い印象を受ける。空気と時を刻むような言葉で、どこに入るのか、私が入るとどうなるのか、想像を掻き立てられる。
座標
とても良い詩である。「伝説の回転寿司屋。/その座標。」それが宇宙で最も重要な情報だというのだから素晴らしい。石がユーモアを持ち合わせているということにいちいち驚いていては石に失礼であるが、ユーモアとして解釈してもよい。一方で、本当に伝説の回転寿司屋が宇宙のどこかに存在するとも解釈できて、そうした場合はさらに想像が膨らむ。「私」の上に住んでいた生命体が人間と同じように回転寿司屋を開業していたのかもしれないし、あるいは地球へ飛んでくるまでにそうした回転寿司屋が存在するのを見たのかもしれない。
〈記録Ⅰ〉
岩石の思考判定方法が記載されている。回答が類型化されて示されているのも、兄機の研究者としての側面を垣間見れるようで嬉しい。岩石に共通するものとして「自他の造形や色彩等の外見について言及がなかった」というのは重要な指摘である。本編で見てきたように、宝石たちは美しいが、本来宝石たちはその美醜を判断する回路を持たない。美醜という概念すら知らないだろう。石たちを判定し、まなざしてきたのはいつだって人間の側である。
途上
「しゅるる〜む」になったという私。「不明Ⅰ」にて石が「しゅるるるる〜む」と述べていたことを思い返してもよい。石のなかで共通の概念を指す言葉なのかもしれない。「我々にも別れがあった。」という言葉が長い旅路を想起させるが、果たしてこの石が聞き手である兄機と親交があったのかは謎である。私はなかったに一票入れたい。
ビニールプール
これも美しく、また人間的な詩である。「これが宇宙史のすべてです。」という部分に含蓄が感じられ、作為的ですらある。この石は、ビニールプールを見たことがあるのだろうから、どこかの家の庭にいたことがあるのかもしれない。そして、石が語るような光景を実際に見たことのある可能性も、ある。
予測
全人類に聞かせてあげたい言葉だ。この石の言葉を信じるとすれば、羊歯類と石が語り合うことができることが明らかになった点も興味深い。私たちは高次生命体の「知恵熱」から生まれた熱に浮かされた存在にすぎないのかもしれない。そうしたストレートな受容をするのが快い詩である。
浜辺のなだらかな
この石は、自らが「海から連れ去られた私」であることを自覚しており、それは今まで見てきた詩のなかではかなり珍しいのではないかと思える。また、美しいものを見たいとも自覚しており、それも興味深い。先ほど〈記録Ⅰ〉において、石たちは自他の造形や色彩等の外見について言及しない旨が公開されていたが、自分以外のものに対する美について石は感知することができるということだろうか。この石が特別なのか、石全体がそうなのかも気になるところだ。
プリンター
「巨大プリンターから吐き出される夏。」という一行詩。俳句のようにも読める。この石も、人間と近しい位置に存在していたことがあるのかもしれない。石が語った内容であるということをひとまず無視して読解すると、一面の真っ青な夏が平ぺったくさっと空気を塗り替えていくような、さらさらしているともべたついているとも取れる不思議な感覚がある。この詩を石が詠んだという事実にどう向き合うべきか迷っている。そうした夏を見たことがあり、プリンターも見たことがあるのだろうか。
不明Ⅱ
「ふ〜ぷらてぅす/たゆたゆ/すりりりりぐ」。いつも石の発する音には驚かされる。人間には存在しない回路からぽっと現れるそれらは雪の結晶のようで、いつまでも見ていたいのに人間の手をすり抜けてしまう。人間の熱によって、それらは溶かされてしまう。
四角
「黒々と宙染み渡るポケットの隅まで四角い雪のない冬。」「プリンター」と対にしたくなるような歌である。これは短歌になっている。ポケットに入れられたことがあるのだろうか。非常に人間の感覚に近い場所から出力された歌であるように感じる。石が短歌を知っていたとしても面白いし、自然発生的に短歌の発音にならった歌が出力されたのだとしたらそれもまた興味深い。
夕暮れ
この石の言うことは非常に屹然と響く。繰り返される「火入れが行われた後は極めて安定。」というフレーズは、石の誕生そのものについて語っているのだろうか。反射して、反射して反射して、その束が抉じ開けた末に夕暮れに見紛う熱が迫ってきて、すべてが融けあったあとに冷めて安定していく。
電柱
とても嬉しい歌だ。石が教えてくれることのなかで一番嬉しい情報かもしれない。石の感知する愛がどのようなものであれ、二本の電柱は愛し合っている。素晴らしいことだ。
夜景
切実さとも落ち着きともとれる不思議な温度の歌だ。「夜景の光すべてと話し合いが必要です。」という言葉だけで構成された詩だが、心に引っかかって離れない。そう言われると、そうである気がしてくる。夜景の光すべてと話し合う必要が、ある。
〈記録Ⅱ〉
この項目は〈記録Ⅰ〉と一転して兄機のエッセイのように読める。兄機がまだオフィスにいたころの、とある一日の話だ。美しい日々だと思う。ママの人柄が伝わってきて嬉しい。「でもきれいよ。いちばんきれいかも。悔しいけれど。」という会話が良い。このシーグラスはおそらく、詩集の最後を飾る歌を詠んだ石だと考えられる。そう思うと、兄機がどんな思いでこの石を最後に持ってきたのかが垣間見えて心が動かされる。
はじめまして
ありがとうございます。自分を大切にします。石にも、自分を大切にするという感覚はあるのだろうか。きっとあるに違いない。石に言われるのが良いのであって、人間から同じことを同じように言われたってここまで響かないであろう。
小さな町の海岸線
「祈りの形を選択してね。」という一文が効果的に配置されている。石は死者をも見ることができるのか。きっと人間が見ている世界よりももっと複雑で、もっと美しいものが見えているのだろう。それは少しうらやましい。
黄金の割り箸
批評的な詩である。人間のことをよく知らないでこうは語れないだろう。人間に産み落とされたものすべてへの祈りを感じる。
カーテン
「あなた方の所持している糸」とはおそらく寿命のことであると思われる。個々人の、というより、人類全体として見たときの寿命ではないだろうか。石から「相対は真理。」などと言われるとドキッとする。
話し合い
複数の解釈ができる。鍵括弧内が実際になされた会話だとも考えられるし、この詩全体が石の言ったことであるともとれる。前者とした場合、「図形にカットされた石」は円形であることがわかる。また、鍵括弧が二つ並ぶが、両方とも同じ石が放った言葉なのか、二番目の鍵括弧は兄機のたわむれに放たれた言葉なのか、こちらも解釈がわかれるところだ。
不明Ⅲ
三つの石が並んでいる。三つ子のように見えるが、本当にそうなのだろうか。生まれは別で、いつのまにかつるむようになったのだろうか。それはそれとして、三者三様の言葉を話してくれている。石はどうやら同じ音を繰り返すのが好きらしい。
生まれたて
豆知識。透明であるから嘘をつけないのか、透明であることと嘘をつけることとは関係がないのか、解釈に悩む。しかし石がそう言うという事実だけを見ても美しい詩だと思う。
情景
あなた方、がやはり人間を指していると読んで良いのか。「すべてが溶け合ったプラスチックの浜辺を、/流星の尾が照らしている。」美しく、世界の果てのような情景だ。やはり、「向こう側」の情景であるらしい。この石はそれを見てきたのだろうか。遠い場所からはるばるここへやってきたのだろうか。
衛生音楽放送
この石にはコンピュータやインターネットの概念まであるらしい。インターネットの概念自体は人間が発明される前から存在したかもしれないが。IDとパスワードで管理されるというのは人間と同じようで、少し嬉しい。人間だからこうしたところに関連を見出してしまうのだが、「フリーダイヤル」の詩とつなげて読んでも面白い。
心情推察
なんて美しい歌だろう。愛の石だ。石の愛を知れて嬉しい。この世界のどこかにそう言い切ってくれる石がいたという事実だけで救われる思いだ。
聖典
この詩にも鍵括弧がつけられているが、この詩は全て一つの石が語ったものであると見てよいだろう。少しずつ言葉が怪しくなっていくところが不思議だ。何か焦っているようにも見える。急いで書き残された聖典なのかもしれない。
咀嚼音
何を噛んでいるのだろうか。石が噛むということが実際にあるのか。それはそれとして、キャンデーを舐めるような咀嚼音だ。柔らかく噛んでいる。
熱水噴出孔より
この「僕」は分かたれてこの地球上にやってきたのだろう。「僕」は別の「僕」を感知している。やはり石の自我は人間が思っている以上に複雑なネットワークを持っているようだ。「嘘が含まれない場合に限ります。」という言葉からは最後の審判すら想起させる。
菫色の黄昏
ご丁寧にありがとうございます。菫色の黄昏というのは本当に存在するものであって、奇しくもこの石も菫色をしているところが心憎い。「誕生したばかりの星のリストをどうぞ」とは言うものの、実際にリストは共有されていないのではないか。ここまで書いてきて、石がどれほど言葉を操っているのかがわからなくなってきた。音だけを発しているのか、意味をわかって話しかけているのか。しかしこの問いは愚問であり、私たちはただ石の言葉を聴くだけでよい。
長い廊下
「長い廊下に次々と入ってくる不実。」という短い詩。長い廊下を知っている石。どこにいたのだろうか。人間である私は真っ先に学校を思い浮かべるが、その他の場所であっても、次々と入ってくるのはそりゃ不実だろうと納得してしまう。
宇宙
「宇宙が全てとは限らない。/いつかまた会いましょう。」
この詩を最後に持ってきてくれたことに、兄機、そして市川春子に感謝を申し述べたい。そうであってほしい。祈りだ。いつかまた会いましょう。いつかまた。ありがとう。
この詩集に対して何かを述べることは難しい。9割が兄機の創作であると明示され、さらに私たちはこの創作が市川春子の創作であることを知っている。読みの相が多重である。シンプルに石が語った詩であると読むこともできるし、兄機の創作した詩であるとも読める、さらには、兄機自体が創作されたものであるとも読める。私の読解では、主に石が語ったことは真実であるという立場を取っている。どの程度、兄機の恣意的な操作が入っているかはわからないが、石がその石として語ったことがそのまま書かれているという素朴な読み方である。一方で、詩集としてまとめあげるにあたっての兄機の作為も随所から見て取れる。シーグラスを最後に持ってきているのはその最たる特徴で、そこには二重の祈りを見ることができる。一つは兄機の、ホモ・サピエンスに、あるいはこの詩集が届くであろう誰かに向けた祈りで、二つめは市川春子自身の、読者へ向けられた祈りである。この詩集を、そもそもこの『宝石の国』という物語の最後を、「人間がつくったガラスから生まれた石」で締めるという決断には、ある種の覚悟のようなもの、明確なメッセージを感じ取ることができる。
余談だが、私は「鳥の神話を伝えます」をコンセプトに小説を書いていて、人間「以外」の物語に強く惹かれるし、自身もそれを書きたいと願っている。しかし、人間が書く物語という枠組みからは抜け出すことができず、人間以外の物語を書くにしても(人間が想像した)人間以外の物語、しか書くことができない。『現代詩手帖 特集 動物と読む現代詩』から鳥居万由実の言葉を引く(括弧内は藤井)。「しかし、こうした(文学の中に動物の存在そのものを見出そうとする)試みは独特の困難につきまとわれているようにみえる。それは言葉そのものが、そもそも人が世界を解釈するために使われていることから来るものだろう。動物が人間の言葉を話さず、人間が動物の言葉を解しない限りは、どんなに動物に迫ろうとしても人間というフィルターを介したものになる。」私はまさにこうした問題にぶつかりながら、それでも「鳥の神話」を書くことを諦め切れずにいる。『無機物の意思変容』にも同等の問題はつきまとう。つまり石の言葉を、私たち人間の願望を充足するものとして、捉えていやしないだろうかという問題である。これは転じて、兄機にも同じことがいえる。兄機は「コケ状の六方晶ダイヤモンド」であり、石ではあるものの、石たちとそのままにコミュニケーションをとることができるわけではない。〈記録Ⅰ〉にあるように、コミュニケーションは自然光を当て、内部における光の屈折・反射・散乱のパターンから意味を抽出し、言語と設定することによって行われる。言葉を持ちえない存在と、それでもなお言葉を介して意思疎通を図りたいという欲求は、兄機にも私たち人間にも同様に存在するものであると言える。私たちは、寂しいのである。兄機も、もしかしたら寂しかったのかもしれない。兄機は「創作が9割」と言っているが、それでも私たちは残りの1割の言葉を信じてみたいのである。『無機物の意思変容』は、そうした意味でも私にとって非常にかけがえのない一冊となった。人間以外の物語を紡ごうとする、その道のりにこんなに心強い先達が存在するであろうか。私も引き続き、鳥の神話を伝えたい。
石たちの言葉は、「下朋」同士である人間と石とを繋いでくれたのだ。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.