正井編『大阪SFアンソロジー』感想
正井編『大阪SFアンソロジー OSAKA2045』(社会評論社)

読み始め:2023/8/24 読み終わり:2023/8/25
あらすじ・概要大阪を知る10名が綴る2045年の大阪の物語。万博・AI・音楽・伝統、そして、そこに生きる人々――。そこにあるのが絶望でも、希望でも、このまちの未来を想像してみよう。大阪/京都を拠点にする Kaguya Books より、待望の地域アンソロジー第1弾刊行!
読んだきっかけ
予約しており先日届いたので。
コメント・感想
文化の継承という大きなテーマが浮かび上がっていたように思える。大阪には、文楽への補助金を減額したり、公園の再開発の裏で行われた木々の大伐採であったり、万博のための再開発で水鳥たちの生息地を脅かしたりと、負のイメージをかなり抱いている。一方で、大学生活のうち5年間を過ごした私にとっては第二の故郷とも言える街でもあり、複雑な心境を抱かずにはいられない魅力的な土地でもある(公募、出したかった……大阪在住ではなく、大阪在住経験者が条件であったならば何本でも原稿を捧げたに違いない)。本アンソロジーに寄せられた作品も、大阪に対するそんなアンビバレントな心境を抱いた作品が多く見受けられたように感じられる。
北野勇作「バンパクの思い出」。語りのグルーヴ感がすごい。こういう話し方してくる人、大阪にぎょうさんおったわ〜と懐かしくなる。そして最後の「大阪は生きてるぞーっ」というきらきらとした叫び声。なんとも皮肉な終わり方。北野勇作さんといえば100文字でおとすというイメージだが、ここでもその痛快なオチが遺憾なく発揮されている。そしてやっぱり語りの力の強さを感じさせられる作品だった。
玖馬巌「みをつくしの人形遣いたち」。澪標ミオちゃんがかわいい。文楽とAIの夢の共演。「でも、ミオちゃんだけが表に出るいうんは、何かちゃいますわ」というお父さんの発言がとても良い。科学館の職員は三人(ここにも援助を減らされた科学館の姿がある)、文楽で人形を動かす黒子は三人、出来過ぎなほどの一致が愛しい。お初天神のあたりは私も学生のころよく歩いたから懐かしかった。最後の希望の持てる終わり方が爽やか。難波江の〜の歌の使い方も山椒のように効いていて憎い。
青島もうじき「アリビーナに曰く」。すごすぎた。一文目から引き込まれる。私は読んでいるとき思わず居住まいを正してしまった。「すべての塔にとって、その命の最後に残される役割は他でもない倒壊でありました。」ちょっと、この一文を読めただけでもこの本買ってよかったと思えた。めちゃくちゃクリーンヒットしました。ライカの名前は知っていても、アリビーナの名前は知らなかった。忘れ去られていく月の石、崩壊していくわたし、塔、月へ向かう一匹の犬。幻想的で泣きそうになる。千里の丘、というこの地の名前でもあるキーワードの使い方が巧すぎる。超絶大傑作。
玄月「チルドボックス」。うわーこれありそうな未来だわ……と一番ぞっとした作品。時代の波はうねうねと繰り返す。行き過ぎた愛国心に目覚める博士のような若者が大勢現れてもおかしくない。非常につくりの良いSFで、大変満足した。「博士が抱えている問題は、たんなるノスタルジーだ。物質では満たされない心の空隙を、かつての日本人が成しえなかった「物語」で埋めようとしている。」昭和(奇しくも昭和である)の冷静な目線がすっと心におさまっていく。オチが「生きているから、腹が減る」なのも、タイトルが「チルドボックス」なのも最高で、あー好きですね〜とにっこにこになった。
中山菜々「Think of All the Great Things」。俳句があるなんて聞いてない(私が不注意なだけ)! 嬉しい誤算だった。十三のあたりはけっこう好きだ。一、二句ごとに付けられたキャプションも良い。2045年になっても十三は十三なんだなという安心感(?)がある、句から読み取れる、十三を生きる人々の状況は厳しくなっていそうで全く安心してはいけないはずなのだが、なんだか読んでいてほっとする。「居酒屋へ行けぬ日当百日紅」がすき。そういえば十三で好きだった、でかい犬がいる小さな駅前の喫茶店はどうなっただろう。2045年まで残っているのだろうか。
宗方涼「秋の夜長に赤福を供える」。枚方にあまり馴染みがなく、私は菊人形のことをハイツ友の会のネタで知ったくらいなのだが(そしてそんな人間は大勢いると思う)、作中でそこに目配せしているシーンがあって面白かった。「臭っ」はおもろいけどあかんよね、おもろいけど。南海トラフ巨大地震。恐ろしい、2045ともなると起きている可能性は決して低くない。作中の出来事とはいえ心拍数が上がったし、主人公家族が全員無事でよかった。「にぎやかでやかましいだけが大阪の文化やない」という言葉はこのアンソロジー全体に響いてくる言葉でもあるなと感じた。オチの「策」についてはいかにもありそうで、そしてこうした一歩から着実に変わっていくものがあるはずで希望を感じた。
牧野修「復讐は何も生まない」。おもしれー。終始馬鹿馬鹿しい。水曜日とダリアの掛け合いが素晴らしい。ピーターのダサさにも満点をあげてしまう。なんか、こういう作品が中盤にぽんと置いてあるのは本当に素晴らしいですね。気遣いの行き届いたバー? 汚い関西弁を堪能できる最高の作品。念のため申し添えておくと、汚い、は褒めています。やっぱり口の悪さと目をかっぴらいてしまうようなバイオレンスでしか救えないものもありますね。
正井「みほちゃんを見に行く」。良かった。みほちゃんは私だ(と錯覚してしまうほど。正確には私はみほちゃんにはなれない)。一つフィルターがないと匂いが感じられない、という設定が最後のほうで存分に活きてきて、「そうきたか!」と膝を打った。そして名前のわからない鳥。良い、良いです。鳥好きすぎて鳥が出てくるだけで判定が甘くなってしまうのだが、そんなことを抜きにして、この「アンモニアと脂粉の交じる、粉っぽい悪臭」という言葉がたいそう気に入った。そう、鳥ってそうなんですよね、最高です。最後のさりげない発言も、みほちゃんに対しての主人公の思い出ってそういうものであってほしいというわがままな願いにドンピシャの「みほちゃん」な発言で余韻が非常に心地よかった。
藤崎ほつま「かつて公園と呼ばれたサウダーヂ」。何も信頼できなくてすごい。しかし最後に確かに現れた「サカタトシオ」と書かれた手形。現実世界にささやかな魔法がかけられたような、そしてそれが最新の科学技術によって果たされているという事実が素敵。叔父の生涯、主人公から見た叔父、またその他の親族から見た叔父……等々を同時に追体験していくような不思議な描写で物語が進行していく。こういうことができるのか、と興味深く読んだ。最後のミャクミャクのパレードが限りなく嘘で、しかしありそうな未来でもあって、そして現実に帰ってくるとさらに木々は伐採されてドンキが潰れそうでと散々で、ああここは確かに大阪なんだなという実感がやってくる。不思議な余韻を残す作品だった。
紅坂紫「アンダンテ」。大阪駅周辺では大勢の路上ミュージシャンを見かけた。あるときはその歌声に惚れ込んでCDを購入したこともある。人生を音楽で共有する「私たち」は配信もしない、手動運転のピックアップ・トラックで全国を巡業する、インターネットより現場を重視する。しかしそんな音楽はいまや大阪から死にかけている。作中に書かれたように実際のところ本当に死んだのかはわからない、しかし確かにかつてよりは衰退した空気感だけはびんびんと感じる。「私たち」の決意表明が眩しい。そしてブルーミング賞の賞金廃止といういかにもありそうな出来事(……と当初は書いたところ、実際の賞をモデルにしたとのことが後に判明した。賞金廃止も実際にあったことらしい)。「音楽は人生を賭けるに値するけれど、命を賭けるには値しない。命を賭けてしまえば、音楽は生きている私たちのためのものではなくなってしまう。」どんな芸術にもいえるこの言葉が胸を打つ。アンダンテとは歩くような速さでという意味。ゆっくりと、しかし着実に活動すると改めて決意した「私たち」に相応しい。そして、この小説がアンソロジーの最後に置かれていることにも強いメッセージ性を感じた。
面白かった。やはり一度住んだ場所だと情景が浮かんでくるし、自分のなかの記憶と小説のエピソードが結びついてむくむくとイメージが広がっていく楽しさがある。一方で思ったのは、やはり「北部」の話が多かったなということ。その他の大阪にまつわる話も読んでみたかった。そこにはきっと違う言葉があるし、記憶があるに違いないから。しかしこれはきっと編者の正井さんも述べるように「何かを選ぶことは何かを取りこぼすこと」という不可避の結果であって、編者としても「大阪」のあまりの広大さに呆然とし、有限のメディアのなかに閉じ込められる物語には限りがあるという事実を前に非常に悔しい思いをなされたろうと推察する。ともあれ非常に大阪らしさが詰まったアンソロジーで、大変楽しく読むことができた。
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