千葉雅也・山内朋樹・読書猿・瀬下翔太『ライティングの哲学』感想
千葉雅也・山内朋樹・読書猿・瀬下翔太『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』(星海社新書)

https://www.seikaisha.co.jp/information/2021/07/05-post-187.html
読み始め:2023/8/12 読み終わり:2023/8/12
あらすじ・概要「書き出しが決まらない」「キーボードに向き合う気力さえ湧いてこない」「何を書いてもダメな文章な気がする」……何かを書きたいと思いつめるがゆえの深刻な悩みが、あなたにもあるのではないでしょうか? 本書は「書く」ことを一生の仕事としながらも、しかしあなたと同じく「書けない」悩みを抱えた4人が、新たな執筆術を模索する軌跡を記録しています。どうすれば楽に書けるか、どうしたら最後まで書き終えられるか、具体的な執筆方法から書くことの本質までを縦横無尽に探求し、時に励まし合い、4人は「書けない病」を克服する手がかりを見つけ出します。さあ、あなたも書けない苦しみを4人と哲学し、分かち合い、新たなライティングの地平へと一緒に駆け出していきましょう!
読んだきっかけ
一度読み進めて途中でやめてた。最近また「ちょっとマジで書けないんだけどどうしたらいいんだ」と真剣に悩み始めたので一気に読むことにした。
コメント・感想
面白かった。良い本だ。構成がまず良い。「書けない」座談会から始まって、3年経ってその座談会からどのように書き方が変化したかを各々が8000字で記す、そしてそれを元に再び集まって座談会をする、という構成が取られている。それぞれの著者の書き方の変化が見て取れるし、参考になる記述が多数あった。なんかこれは脇道にそれた話だが、確かもうすぐ山内朋樹の単著が出るはずで、この本を読むとつい「ここから単著が出るまでに……!」と感激してしまう。「書けない」ことをそれぞれが曝け出してくれているおかげで親しみを感じてしまうし、けっこう四人への好感度が上がった。
個人的に面白かったのは、千葉雅也と山内朋樹の執筆実践だった。面白かった、というか、自分に近いものを感じて、実践するにあたってノウハウを取り込みやすそうだった、というか。千葉雅也は小説も書いているし、私が「書けない!」と悩むのは大抵が小説なので、脱線ということ、散文を恐れないという記述には勇気をもらえた(それにしても「千葉は散文を恐れている」と指摘されたという話はかなりウケてしまう。私もちょっと「うっ」となった。小説をやってるくせに散文を恐れていないか? と胸に手を当てて考え込んでしまった)。保坂和志の小説論は既読なのだが、確かに感染力が強くて不安になっていた。それについての「人間は必ず個性的なのであって、何を真似しても当人のスタイルに変形される」という記述には励まされた。もっと気負わず書き始めていいんだなと背中を押された気がする。
山内朋樹の「混沌さん」の話、恐ろしすぎる。なんて良い話なんだ。混沌さん、という名付けが良い。仲良くなれそうだ。面白いのが、毎日WorkFlowyでログをとっているという話。毎日WorkFlowyに日時と書いた字数や書いたもの、所感などを簡単に残しておくというものだ。ああその手があったか、と感嘆した。私は毎日「モーニング・ページ」というのをやっているのだが、これは去年の12月から毎日欠かさず続いているもので、「モーニングページ」をしたあとにログを見返す、というルーティンを作ればこれ私もいけるのでは(何かが)と試したくてうずうずしてしまった。私も書くことを習慣化したい(モーニングページは習慣になっているのだが、人間には欲というものがありまして、それができるなら小説も毎日書けるだろ、と思ってしまうのだ、どうしても)。
その他印象に残った箇所をいくつか挙げておく。読書猿「〆切こそ最高の執筆術」ほんとにそう思う。あと、千葉雅也の書き方は坂口恭平の書き方とも接続してくるなと感じた(そういえば最近お二人はかなり親しくなってる気がする)。あと、千葉雅也がかつて「小説を書くのは愚かだ」と思っていたというくだりはけっこう笑ってしまった。私は最近少しずつ詩を書くことにも挑戦し始めていて、自分のなかで「なぜ小説なのか」を浮き彫りにしようと試みているのだが、千葉雅也の辿ったルートと逆だなと感じる。山内朋樹「『プロテインを摂取するのではなく鶏肉を食べよう』みたいな」わかるわかる。最近私は「ちゅっとちゅっとゼリー」という言葉にハマっているのだが、なるほど自分はそういうことを考えていたのだなと横から補強してくれたような心地になった。瀬下翔太の「コラムを依頼したら箇条書きが届いたので自分で原稿に書き起こした」という話、良い話すぎる。書くって本来もっとグラデーションがあったはずなのに、私は「書ける人間」であるからこそ、そういった連なりを見落としてしまっているところがあったと気付かされた。私も読書猿と同様に喋るのが苦手で「全部書かせてくれ」と思っている人間なのだが、面白いのが、たとえばタロットリーディングをするときなんかは、書くよりもまず喋るほうがすらすらとできるのだった。タロットリーディングではまず占いたい事柄をカードに言い聞かせるところから始まる。「なんかね、〇〇って人がね、こう、仕事で悩んでて、事業してるんだって、でその事業がね……」といった感じで語りかけている。それから結果を見て「あーこれはあれですね」とか「ここにキングが出るとはね」とか言い合って、メモに喋ったことを書き起こしていく感じだ。これはなんか面白い刺激だから続けたほうがよさそうだなと思っている。
改めて、現在の自分の執筆環境を見直してみたいと思った。いまどんなことをやっているかというと、
・小説(主に公募に出すもの)
・詩
・読書記録
・日記
・モーニングページ
・占い結果などの雑記
主にこんな感じだと思う。物理的な執筆環境としては、小説や詩を書くときはMacBook Proをモニターに繋いで、上下二段構えの画面で、主に上画面を使って執筆している。アプリはScrivenerを全画面にして使うことが多い。白くて気に入っている。Wordに流し込むのは本当に最終段階になってからだ。下の画面にはWorkFlowyを展開していることが多い。それか、小説だったら調べながら書くときもあるからGoogleChromeかFireFoxの画面が開かれていることが多い(タブが毎回ものすごい数になっている)。うまくいっているときの環境はそんな感じだ。小説をつくるときはメモの段階だと紙が多い。紙→(WorkFlowy)→Scrivener→Wordと変遷していく感じ。
詩は、「書きたい」と思ったらまずこのwordpressの新規作成ボタンを押す。Luxeritasというテーマを使っているのだが、その最大の理由が「縦書きブロックが用意されている」からで、詩や小説は基本的に縦書きで書き始める。そういった面では私も千葉雅也のように「エディトリアルデザインにも関心がある」のかもしれない。とにかく書く内容は決まっておらず、真っ白な画面を開いて、ただそこに詩を書いていく。そんなに書き直さない。これはまだ詩の初心者だからそうなっているだけなのかもしれず、少し前に見た吉増剛造の展示では原稿にめちゃくちゃ赤を入れていた。詩でもそういう推敲を重ねることが今後あるのかもしれないが、今のところはフリーライティングに近いスタイルで詩を書いている。
読書記録はまさにこの記事でやっていることで、これはかなり効用が大きい。もともと「私は本の感想が下手すぎる」と思って書き始めたのだが、それ自体は一向に上手くなる気配はない。ただし読んだ本について何か記録を残しておくという点では大いに役立っていて、なにより「こんなに読んだんだ」と嬉しくなるし、しばらく前に書いた記事を読み直すと本の内容をぼんやり思い出せて良い(本の記録を取っていなかったときはぼんやりとすら思い出せなかった)。

このように、あらかじめ感想記事のフォーマットを作っておいて、それを埋めるだけにしている。これが本当に楽。あらすじとか自分で書かない。コピペする。あと、書影があるとなんか気持ちが上がるので必ず入れるようにしている。また、「今読み進めている本」についてあらかじめ下書き記事を作っておいて「読み始め」の日付だけ入れておくことで「あ、この本読みかけだから読まなきゃ」と気持ちを読む方に持っていけるという効果もある。あと、読み終わったらとりあえずすぐブログを立ち上げるようにしている。この記事も、『ライティングの哲学』を読み終わってからすぐに書き始めている。本を読むときは付箋を利用するときもあるしそうでないときもある。付箋はどちらかというと詩集や歌集に使うことのほうが多い。Kindleで読むときはハイライトを多用する。余談だが、感想記事にはCコードをタグ付けするようにしている。今後役に立つことがあるかどうかは分からないが。
日記は、はてなブログを使用している。別名義で書いている。少し前までは、毎日一つ記事を作る形で投稿していたが、それだと一日書けなかったときにそれを引きずってずるずると書けなくなってしまうので、現在は「週記」という形で七日で一つの記事として投稿している。これはあんまり書く時間とか決まってなくて、二日前、三日前の出来事を思い出して書いたり、何も思い出せないときは「特に何もなかった」とか誤魔化したりして、「できるだけ続く」ことを重視して書いている。ちなみに何度か穴は空けながらではあるが、これは去年の7月中旬から現在まで続いている。
モーニングページというのは、ジュリア・キャメロン『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』で提唱されている方法で、毎朝起きて3ページのノートをとにかく埋める習慣をつくる、という実践だ。創造的に生きるための具体的方法論として紹介されており、同時に「脳の排水」でもあると語られる。ジュリア・キャメロンは「一日にノート3ページを埋めろ」以外に具体的な指示を出していないので、本来はノートのサイズや何でノートを埋めるか(絵なんかでもいい)は自由なのだが、私は愚直にB5サイズの5mm方眼ノートにびっしりと3ページフリーライティングをしている。めちゃめちゃ時間がかかる(30〜90分)ので、無職であるからこそこれだけの時間を費やして続けられているだけなのかもしれず、有職になった際にどのように続けていけるかは課題だなと思っている。これは手書きで行う。だから、その日の筆跡によって自分のコンディションなんかがわかったりもする。

これはとある二日間の記録(左が2023年8月3日の3ページ目で右は8月4日の1ページ目)だが、ぼかした写真からでも日によって筆跡が全然違うことがおわかりいただけると思う。8月3日は気分が乗ったのか恐竜を描いている。めんどくさくなってページの半分を絵で埋めようと思ったのだろう。対して8月4日は比較的精緻な文字でびっしりとページが埋められている。
主にこれらの方法で執筆を行っているが、今回この本を読んで取り入れたいなと思ったのが下記。
・WorkFlowyを小説の離陸のためにもっと活用する
・WorkFlowyで一日のログを取ってみる
現状、WorkFlowyをあまりうまく活用できていない気がしており、この本を読んで、もうちょっといい加減なものをポカポカ書き綴ってもいいんじゃないかと思った。私は書きすぎる方なので、WorkFlowyも気づいたらダーッと長くなってしまって、それでなんだか敬遠していた節があるのだが、もう少し発散することを恐れずに自由に書いていかないと、ほら現状「書けなく」なっていて本末転倒じゃないか、と感じるようになった。小説のアイデアを膨らますためにまずWorkFlowyで自由に書いていくというのを実践してみようと思う。普段はアイデア出しは紙でやっていて、短編だったら紙のメモからそのまま作品に起こすこともできなくはないのだが、少し長めの作品になってくるとそうもいかない。せめてプロになるまでには自分のなかで「プロットづくり」と呼べる作業の中身を確立させておきたい(厳密にプロットを作れるようになりたいという意味ではない)。
もう一つの一日のログを取るというのは、山内朋樹が実践していたものを試してみようと思う。WorkFlowyともっと仲良くなるためにも。そう、本来はNotionでそれをしようと思っていたのだが、まあ続かない。

こんなものまで作ったというのに、まー全然続かへん。多分Notionの思想が身体になじまないのだと思う。WorkFlowyでもっとシンプルに執筆のログをとっていこうと思う。
以上、ざっと現在の自分の執筆環境を書いておいたが、これが数年でどう変化するのかが楽しみだ。個人的にはもっと小説を毎日書けるようになってほしくて、その方法を数年後には身体が編み出しておいてほしいなと思う。他力本願ではあるが、とりあえず今の私にできることはWorkFlowyのさらなる活用かな、と思うのでそれを試してみようと思う(ので数年後の私がんばってください)。
この本のメインメッセージである、「もっと気楽に書こうよ」「書いていると感じず書けていた状態を作り出そうよ」ということの実践を私も手探りでやっていこうと思う。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.