葉に溺れる

2023-03-13Works,公募エッチな小説を読ませてもらいま賞,小説

 パリュケイヤ(Morsitapete annihilians)は、主にネガラ大陸南部に群生する食人植物である。人体に作用する固有の神経毒によってヒトをおびき寄せ、海綿状の捕人葉から養分を吸収する。円形の捕人葉は直径約二メートルで、その周辺を数百の小さな白い花が囲む。その姿が絨毯のように見えることから「死の絨毯」を意味するMorsitapeteと命名された。食人植物という性質上、研究は非常に困難を極め、未だその生態には多くの謎が残る。
  本稿に引用するのは、タカミ・モルゾ博士により遺された手記である。タカミ博士は一八二六年四月、ネガラ大陸南部ケグァ地区にて調査を進めていた折、パリュケイヤに囚われ命を落とした。一八二八年十二月、後続の調査隊が運良く手記を発見し、回収した次第である。特筆すべき点は、この手記にパリュケイヤに囚われて以降の主観的な体験が克明に記述されている点である。パリュケイヤがどのような手段でヒトを死に至らしめるのか解明する貴重な資料であり、この手記の公開が人類に大きな貢献をもたらすであろうことは言を俟たない。
  尚、死への恐怖に関する記述や判読不可能な箇所は省略した。本稿ではパリュケイヤの捕人手段に関連する箇所を主に引用する。

          ◇
 
やっと自分の役目を思い出した。この手記が誰かの手に渡りますように。一八二六年四月二日、おそらくその日に私は捕らえられた。突然、遠くからなにかとてつもなくおおきなものが迫ってきて、胸がいっぱいになり何も考えられなくなった。すべてが冴え渡り、世界はこんなにも美しく、服を脱ぐべきだと強く感じた。空を仰がねば、日光を浴びなければと大地に横たわった。直情的なパワーで全身を突き上げられ、大地は私を包み込み調和した。強烈な多幸感で目がくらみ、真理に到達する。真理が私を見つけてくださった! 今でも思い出すだけで全身が打ち震えるほどの喜びに駆られる。
 
気がつくと、私は全裸でパリュケイヤの捕人葉の上に横たわっていた。辺りは暗く、どのくらい意識を失っていたのか分からない。私が上体を起こせたのも、手帳が近くに転がっていたのも、全く奇跡的なことだった。服や荷物は遠くの方に散乱していた。葉の上はふかふかのスポンジのようで、身体が心地よく沈み込んでいく。いつまでもそうしていたいと思えた。眠りよりも深く安寧をもたらすものがすぐ側にあり、委ねさえすればいつでもこの身を受け入れてくれる……。多幸感と絶望感が同時にやってきた。私はおそらくパリュケイヤの神経毒にやられている。しかし、抗うすべを見つけられない。パリュケイヤから脱出することは不可能だ。ネョが周囲にうろついている。パリュケイヤの上にいるのが一番安全である。ヴォジャッキの群れ、ハィドの触手も常に私を狙っている。パリュケイヤが私に死よりも恐ろしいものを教えてくれる。おかげで私はここに留まることができる。
 
もっと早く気がつくべきだった! 私たちはケグァ地区の先住民であるイャリパ族の集落に滞在していた。彼らは終始こちらに好意的だったが、パリュケイヤの話題になると頑なに話そうとしなかった。彼らの中には身体を不自然に欠損した人々が大勢おり、これを私たちは「パリュケイヤにやられた」のだと誤解していた。話したがらないのはそのせいだと。私がパリュケイヤに捕まったのは、彼らの中からガイドを雇い、周辺の植生を調査していたときだった。彼らは、初めからそのつもりで私たちをこの地に誘い込んだのだ。イャリパ族はその身をパリュケイヤに捧げている。彼らはパリュケイヤの手足の役割を率先して担い、私たちは彼らの崇める神の贄にされたということだ。
 
調査の日、腹を下して集落で休んでいたヘシナが心配だ。イャリパ族どもに危害を加えられていないだろうか。せめて彼だけでも逃げてくれれば……。
 
排泄物も取りこぼされることなく、捕人葉に吸収されている。どのような仕組みなのか全く理解が及ばない。周囲を見回して不思議に感じたことがある。ここには、あまりにも余計なものがない。まさか、髪も骨も、すべて溶かしてしまうとでもいうのか。どれほどの痛み。怖い。でもネョが。
 
 
最近の記録を読み返していたが、ネョってなんだ? ヴォジャッキの群れ、ハィドの触手、すべてに心当たりがない。恐怖の感触は本物だ。だが、全く覚えがない。それは、本当に、肉体をじわじわと溶かされていくことよりも恐ろしいものなのか?
(判読不可能)
 身体がぴくりとも動かず逃げることができない。脳に逃げろと信号を送るたび、別の何者かからそれをキャンセルされるかのような奇妙な感覚。

 
太陽が四回ほど昇ったはずだ。正気を保てる時間が少なくなっていると感じる。パリュケイヤに接地した尻や足の一部が溶けている。驚くべきことに痛みはない。神経毒の影響か? ただし、強い違和感がある。それは、人体の不完全性についてだ。パリュケイヤは本来私たちがあるべき姿へ還元してくれる。
 
酷い空腹感と喉の渇き。
 
ぽこぽこと捕人葉の表面からキノコのような突起が複数現れる。抗いがたく、思わず口にする。脳天を閃光が貫いた。みずみずしく、ぷちぷちとした食感があり、この世に存在する言葉では到底説明できない味。直後、猛烈に恐ろしくなった。パリュケイヤの一部を体内に入れてしまった! なんてことを。私は内側からも侵食されてしまうのか? それに、これは私の一部を溶かしてつくられたものではないのか? だが、食べる手が止まらない。こんなに美味しいものを食べたのは初めてで、涙が止まらない。
 
部下のヘシナがやってきた。何かを必死に叫んでいる。うるさい。何と言っているのかは聞き取れないが心底不快だ。こちらに手を伸ばそうとしている。パリュケイヤの邪魔をするのは許せない。ネョをけしかけられないか試みる。ネョがヘシナを連れて行った。これで安心だ。
 
イャリパ族が来た。彼らはパリュケイヤへの耐性があるのだろうか。いや、パリュケイヤが彼らを手足として利用するため、注入する神経毒の強さをコントロールしていると考えた方が、辻褄が合う。彼らは、私が溶けている様子をまじまじと見たあと互いにうなずき、捕人葉の突起や周囲に咲く花をいくつか摘み取って去って行った。かつてあったイャリパ族への恨みは一切消え失せている。パリュケイヤの創造した完全な円環のなかでともに務めを果たすことを誇りに思う。
 
いま私は正気だ! 私は欺かれている!
 
溶けている! 嫌だ! 誰か助けて!
 
痛みがないことが怖い。尻があったはずの場所に何もなくて、感覚もない。私がごっそり消えてしまった。でも、私はまだ考えている。減っても私のまま? 私は何? パリュケイヤに吸収されも、私は生きている……?
 
座り続けることは大変な苦痛と忍耐を伴う。常に、横たわりたいという強烈な欲望と戦っている。パリュケイヤにとってその方が、吸収効率が上がって都合が良いのだと推測する。ネョがネョがネョがネョが。自分の存在ごと柔らかくすべて掬い取ってもらえる。一滴も零さずに。
 
少しずつ私が削れている。ひと撫でひと撫で丁寧に。断面をパリュケイヤの表面から剥がしてみたとき、途方もない喪失感に打ちのめされた。それは、かつてあった私の肉体に対してではない。パリュケイヤを失うことへの圧倒的な恐怖だった。私の細胞の一つ一つがパリュケイヤを恋しがり、痛切に離れがたく、とっさに剥がした断面を再び戻した。私の肉が我先にとパリュケイヤをほしがって、吸い付くように蠢いた。全身があの多幸感に満たされ何も考えられなくなる。
 
ここ最近、パリュケイヤの様子がおかしい。私、何かした? 全然溶かしてくれない。腰の辺りまではすごく順調だったのに。私が気に入らなかった? おいていかないで。足の感覚はもう思い出せなくて、とてもいい気分。なのに、
 
ネョがひしめいていて怖い。身体があるから寄ってくるんだ。私がここにいなければいいのに。
 
溶けた身体のつなぎ目からカビが生えてきた。種類は同定できず。このカビとパリュケイヤは共生している? それともカビごと私を溶かしてくれる?
 
溶けたくない!!!!
 
今さらここ以外で生きていけない。パリュケイヤだけがこんな私を受け入れてくれる。
 
パリュケイヤの表面を撫でてみる。表面はとろけるように柔らかくてざらざらと湿っている。指がつーっと沈んで、凹んだ場所がゆっくり戻っていく。これだけで満たされる。パリュケイヤは元気になってきたみたい。よかった。
 
 
かけてる?
 
かけてるみたい。
 
やっぱりねころがりたくなって、でも、どうしてもこれだけはかかなきゃいけないようなきがして、なんでかな? あおむけになってみたら、ぜんぜんちがうの! なんでもっとはやくこうしなかったんだろう!
 
ごかんって、まっかなうそ、ぜんぶおしえてくれた、わたしたちはもっとふかくてひろくてもっともっとしんりにちかくてじゅんすいなそんざいなのに、いちぶになることでそれがわかるのに、にんげんっておおばかものしかいない
 
かみのけをひとすじひとすじなでてくれるこころはとかされるためにあったわたしはいままでおろかだったはじめからこころもからだも
 
みにくい……はやく……せぼね……
 
なりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたいなりたい
 
もうすぐ
 
 
なれる
 
          ◇
 
 手記はここで途切れている。ページ末尾に、それまでの筆跡とは異なる落書きあり。ニッコリと微笑む人間の顔文字のようにも見える。筆記具、インクともに不明。